第28回「小説でもどうぞ」佳作 お嫁さん S・フィドル
第28回結果発表
課 題
誓い
※応募数272編
お嫁さん
S・フィドル
S・フィドル
夜中にインターホンが鳴った。まだ夢を見ている目をこすって、枕もとのデジタル時計を確認する。十一月二十二日、午前〇時ちょうど。
独りぽっちの寂しさを紛らわすために、いつも通りあれこれ妄想してるうちに寝てしまっていたらしい。クタクタに疲れているのだ。
もう一度鳴った。夢ではなかった。頭をぼりぼり掻きながら、大きなあくびをしてアパートのドアを開ける。チェーンロックの隙間から覗くと、女が立っていた。白いウエディングドレスを着ている。驚いて引き下がると、バタンと大きな音を立ててドアが閉まった。
今度は壁がドンと大きな音を立てた。心臓がひやりとした。隣の部屋の住人だ。神経質なやつで、少しでも物音を立てると、ただでさえ薄い壁を穴が開きそうなほど殴りつけてくる。
だが、それどころではない。警察を呼ぶべきか? いや、大事にするのは気が引ける。明日の朝も早い。それに、何か事情があってのことかもしれない。ウエディングドレスだって、見間違いの可能性もある。
恐る恐るドアを開ける。女は、やはり真白なウエディングドレスを着ている。顔はヴェールに包まれて、よくわからない。
「何か用でしょうか?」
「今日は結婚式よ」
妙に媚びたところのある、か細い声だった。それに釣られて油断してしまった。
「部屋を間違えていませんか? それとも、酔っぱらっているのかな」
「冗談はやめてちょうだい。だって、今さっき、二十二日になったでしょう? 私の三十歳の誕生日だもの。あなたが覚えていないはずはないわ」
「いやいや、僕とあなたとは、赤の他人でしょう。結婚式も誕生日も、僕にとっては知ったことじゃない。やっぱり酔っているんだな。そうでなきゃ、悪ふざけだ。どうせ動画にでも撮って、ネットに載せる算段だろう。そうはいかない。こっちは仕事で朝早いんだ。君なんかに構っていられるほど、暇じゃない」
途端に、女は臆病な犬のように
近所で噂になっても困る。下手をすれば、こちらが警察を呼ばれるかもしれない。
チェーンを外し、仕方なくドアを開けると、女は駆け寄って抱きついてきた。薔薇のような甘い匂いがした。それがまた、こちらの感覚を鈍らせた。
「ねえ、お願いだから、赤の他人だなんて、そんな冷たいことを言わないで。私、あなたのお嫁さんになりに来たのよ」
「まあまあ、落ち着いて」
女の腕を離して、
「お嫁さんだって? 一体、どういうことだい? 説明をしてくれなきゃ、わからないじゃないか」
「本当に忘れちゃったのね!」
「ああ、ごめんよ。でも、頼むから大きな声を出さないでおくれ。静かにしてくれなきゃ、君も困るだろ?」
ヒステリーを起こした妻をなだめる夫のつもりで言った。
「私が三十歳になっても独り身だったら、結婚してくれるって言っていたでしょう? だからこうして来たのよ」
確かに、そんなことをいつか誰かに言ったような気がした。
「あなた、優しい女の人が好きでしょ? そう言っていたわ。私はね、こんな都会のコンクリートの棺桶みたいなところで、あなたがたった独りでいるなんて、かわいそうでかわいそうで。やっと三十歳になったから、すぐに結婚式を挙げなきゃと思って、急いで来たのよ。ちょうど『いい夫婦の日』だし、ぴったりでしょ? ねえ、私、優しいでしょ? あなたはもう、独りじゃないの」
「独りじゃない……」
口にすると、なんだか安心したような気がした。ふと、ドレスに圧迫された女の乳房の大きさに気がついた。ある衝動と理性とがせめぎ合っていた。
「ああ、そうだね、結婚しようか。でも、それまでにはいろいろとやるべきことがあるだろう? とにかく今は……」
しかし、女は
「嬉しい! きっと、いや絶対、今日は人生最高の日だわ。さあ、結婚式を挙げましょう」
またインターホンが鳴った。
「パパだわ! それに、皆も! ちょうどよかった!」
女がドアに駆け寄ると、モーニング姿のパパに、ベージュの衣装を着た外国人、そして隣の部屋の住人が、ずかずかと入ってきた。このワンルームに五人は狭すぎた。だが、彼らは気にも留めていない様子だった。
「とうとうこの日が来たか。娘よ、幸せになってくれて、パパは嬉しいよ」
「いつもはうるせえが、今日はめでたい夜だから勘弁してやる。ほら、御祝儀だぜ」
もう手遅れだ、と悟った。新郎新婦に親族、神父、そして参列者がそろってしまった。しかし、それの何がいけないのだろうか。思考は時として意味をなさない。結婚式は幸福の具現化。それだけで十分なはずだ。
男たちは乱暴に家具を持ち上げて、式場らしい空間を作り上げた。
「永遠の愛を誓いますか?」
神父の外国人が、わざとらしいカタコトの日本語で言った。
女のヴェールを挙げると、そこにはよく見知ったような、初めて見るような、ごく平凡な顔があった。それがたまらなく愛おしかった。
我々は互いの口を貪った。女の舌は、孤独とは全く対極的な、優越感の味がした。