短歌・俳句・川柳 どこが違うか? 川柳編
連歌(俳諧)の平句が独立したもの。和歌の練習法に上の句に下の句を付け、下の句に上の句を付ける付句があったが、宝暦7年(1757年)に七七をお題として1句12文で付句を募集した万句合が興行され、以降、この前句付けという懸賞文芸が人気となる。
連歌の平句には季語がないため、これが独立した川柳にも季語がない。
選句したのは初代柄井川柳。川柳とはもとは選者の名前だ。
脇句は発句を受けて1首にする。つまり、
〈ときは今天が下しる五月哉水上まさる庭の夏山〉となる。
第三句は脇句に合う上の句を考える。つまり、
〈花落つる池の流れをせきとめて水上まさる庭の夏山〉となる。
以降、この方式をくり返す。
(明智光秀の連歌会「愛宕百韻」より)
<前句付けの例>
お題 切りたくもあり切りたくもなし
投句 盗人を捕らえてみれば我が子なり
お題の七七に合う五七五を考えて投句する。
のちには前句なしの五七五だけで詠まれるようになる。
五七五(17音)
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穿つとは穴を開けること。物事を正面から見ず、裏や斜めから見る。
例:仲直りもとの女房の声になり
<軽み>
軽薄ということではなく、さらっと言うということ。
例:孝行のしたい時分に親はなし
<おかしみ>
滑稽、ユーモア、ペーソス、ウィット、自虐など自他を笑うこと。
例:本ぶりになって出て行く雨宿り
川柳は人事を詠み、客観性が求められる。また、物事の本質を突くような洞察力も必要となる。ギャグ作家のような能力は必須ではなく、人間くささや涙を伴う笑いなどを発見できる感性の持ち主が向く。
季語がないことでは川柳と短歌は同じだが、長さが違うので印象が違う。
お墓にお酒ではなく栄養ドリンクが供えられていたとして、これを短歌にしたら、〈あの世でも励めとばかり墓前に供えられたる栄養ドリンク〉となるが、川柳は五七五であり、文語は使わないので、〈墓前に栄養ドリンク供えられ〉などになる。
川柳と俳句との違いは、季語の有無。切れの有無。対象のとらえ方。
無季俳句、切れのある川柳もあるが、まずはこの三つが大きな違い。
〈だいこ引きだいこで道を教えけり〉(小林一茶)
だいこは大根のこと。「だいこ引き(大根を収穫している人)」でいったん切れる。収穫中の農民に道を聞いたら、大根を持った手で「あっち」と教えられた情景を発見したときの「なんと!」という感動が詠まれている。主題は作者の内にある。
〈ひん抜いただいこで道を教えられ〉(作者不詳)
こちらは川柳。大根で「あっち」と教えられたことに面白さを見出して句にしている。切れはなく、一気に言い切っている。主題は作者の外にある。
ちなみに、「教えられ」のような連用止めは俳句ではやらない。川柳でこれをやるのは、もともとが前句付けであり、〈ひん抜いただいこで道を教えられ面白きかな面白きかな〉のように続くという前提があるから。
■文芸的
切り取った情景に詩がある川柳。
例:ふる雪の白きを見せぬ日本橋
■サラ川的
ユーモア、ペーソスのある川柳。
例:まだ寝てる帰ってみればもう寝てる
■狂句的
言葉遊びやエログロ(詩はない)。
例:ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い
■標語的
標語を五七五にしたような句。
例:ドラレコであおり運転抑止力