作家になる技術2:己を知り、日々自分を磨くべし


馬齢も重ねれば強み
十代でデビューした作家の処女作は、自宅と学校、アルバイト先とその周辺が舞台で、ほんの少しの体験を想像力で広げて書いていたりします。そうした実例を目の当たりにすると、実体験などなくても想像力があれば小説は書けるという意見にも頷けます。
しかし、その手の小説はどうしたって世界が狭くなりますし、知りもしない世界を想像力だけで書けばいつかはボロが出ます。リアルでもない。
大人なら会社員の一日を書くのは容易ですが、高校生が書いたら薄っぺらなものになりそうです。時代もの、警察ものを書いても、テレビドラマを写しとったような安っぽい感じになるでしょう。
一番いいのは、経験に裏打ちされているということでしょう。海外赴任中に自爆テロに遭った人がいたとして、それを書けばそれなりに迫力のあるシーンになりそうですが、そんな希有な体験でなくても、十年、二十年かけて経験してきた蓄積は大きく、それは物語性の強い小説ほど生かされます。
実体験でなくてもいい
作家の中には、あらゆる職業を経験したという人もいますが、それでも個人が経験できることには限りがあります。そこで疑似体験! 他人の体験を見聞きして、自分の体験にしてしまいましょう。
たとえば、映画。前述の自爆テロのシーンでも、シーンを書くだけなら自分で体験する必要はなく、映画を見れば済みます、小説を読めば済みます。
百の作品を鑑賞すれば、百の人生を疑似体験できるのですから、これを利用しない手はありません。もちろん、創作のためにです。
具体的な数字を挙げれば、映画なら週に数本、小説なら月に五~十冊。
ただし、娯楽としてではなく、創作の手本として鑑賞する。大事なのは、鑑賞後、テーマについて思索することと、テクニックを盗むこと。量も大事ですが、鑑賞の質も問われるのです。
引き出しを広げる
生涯に書くのは一作というのであれば、小説だけを読んでいればいいですが、多くの作品を書くためには引き出しがないといけません。そのためには、日頃からいろいろなことに興味を持つこと、知的好奇心を持つことです。
たとえば、趣味でテニスをしているというのであれば、歴史や戦法をはじめ何から何まで徹底的に調べる。日本の伝統芸能に興味を持ったら、歌舞伎、能、狂言、詳しく調べて実際に見てみる。脳科学が気になったらすぐにその手の入門書、専門書を読む……etc。
作家になるような人は知的好奇心が旺盛で、知らないことがあると気になってすぐに調べます。あるいは、一つのことを深く掘り下げて研究したりします。
そのときはなんの役に立つものでもありませんが、小説の構想を練るとき、あるいは書いているときなど、思わぬところで思わぬものが役に立つものです。
小説の知識・技術を得る
小説に関する知識も知っておきましょう。それを独力で発見できれば一番ですが、小説講座や小説指南書、文学史を学「小説は他人に教わるものではない」
これは一理あります。確かに、小説を読んだことがない人がいたら、その人には小説は教えようがありません。
しかし、「小説は他人に教わるものではない」というのはひとつの心構えという意味合いでもあり、教えられる知識や技術はいくらでもあるのですね。
実際、アマチュア時代に小説講座に通ったという作家はいくらでもいます。指南本を読みあさったという人も無数にいます。そもそも大学で文芸科にいた人は授業で教わっているはずです。そして、先人の奥義に触れ、開眼したりしているのですね、人に言わないだけで。
文学史も知っておきたい知識のひとつです。小説は過去からの贈り物であって、私たちが書く小説には、近代文学の歴史の中で考察されてきた小説に対する考え方が生きています。描写ひとつにしても、過去の作家たちが描写とは何かと考えたその結果が反映されているものです。
文学史を学んで得られる知識はテクニックというよりは小説に対する考え方、思想ですが、これも知っておくと引き出しのひとつになってくれます。
一日一話トレーニング
「いざ書こうと机に向かったものの、まったく何も浮かばない。なんだかなあ」となってしまう向きには、一日に必ず一話、簡単なお話を作ることから始めるという方法があります。
起:お人好しの好子は隣の家の夫婦ゲンカの仲裁を頼まれ四苦八苦。
承:今度は隣の夫婦から愛犬がいなくなったと捜索を依頼される。
転:さらに借金まで申し込まれ、窮して買った宝くじが大当たり。
結:賞金を分けてあげると、それを取り合って隣の夫婦はまた大ゲンカ。
なんだかとりとめもない話ですが、ここでは発想のメモ程度と考え、あまり細部は考えなくていいです。
たとえば、例として書いた起承転結の場合、「承が浮いているので、ここと結とが繋がるようにしよう」とか、「いきなり宝くじが大当たりでは嘘っぽいので、起のどこかに、当たっても不思議ではないと思えるような伏線を張っておこう」など、書き出す前に詰めておかねばならないところは多々ありますが、一日一話、一年で三六五話作りますので、あまり凝り過ぎても長続きしません。
ここでの目的は、ストーリーを紡ぎ出す訓練をすること。完成度は低くてかまいません。筋力トレーニングと同じで、毎日やることが肝心です。
そうして毎日お話を作るとなるとそれなりにネタを探す必要にかられ、結果、ネタを探す感覚も養われるのです。
字数ピッタリトレーニング
もうひとつ、定期的に何かを書くというトレーニングもあります。たとえば字数は八〇〇字(原稿用紙二枚)、週に一本、エッセイを書くとか。
このとき、以下の二つのことを自分に課します。
一、原稿には穴を空けない。
二、字数ぴったりで終わる。
原稿に穴を空けるというのは、原稿が書けないということ。仕事ではないから、誰も尻をたたいてくれないからと、ついついサボってしまう人もいるでしょう。
そのような人は締切を設けましょう。
毎週土曜締切とか。毎週更新でブログを書いてもいいです。少ないながら読んでくれる人がいると励みになります。
字数のほうは決まった字数ジャストでなくてもいいですが、最後の行は最低一文字は埋める。それがルール。
短歌や俳句もそうですが、決められた枠の中に納めるというのは書き手の能力を飛躍的に成長させます。
たとえば、バスで桟橋まで行き、船に乗り、南の島に行ったとします。題材はそのとき、船中で起きた出来事。
しかし、規定枚数が短くて全部は書けない。そうなったら、船に乗るまでと降りたあとは省略し、船中での出来事だけを書きますよね。また、それでも字数が足らないなら、なくても話が通じる箇所を探し、徹底的に文章をシェイプアップするはずです。
小説以前の文章トレーニングですが、字数を決めてそこに納めるということをしてみてください。
セルフプロデュースという発想
文学賞を持っている出版社に持ち込みをしても「賞のほうに応募してくれ」と言われるのがオチですが、文学賞を実施していない出版社の場合は持ち込みを受け付けてくれる場合もあるようです。
ただし、直接持参しないと効果はないとか。直に受けとった場合は断るにも読まなければだめ出しもできませんから、目を通してくれるというわけです。よく言われることですが、送っただけでは机の下の足置きにしかなりません。
持ち込みなどできないという向きは、文学賞に挑戦します。その際、自分で自分をプロデュースしてみましょう。
出版プロデューサーであるあなたは、誰に向かって、どんな話を書けば売れるかを考えます。それ以前に、先行商品である過去の受賞作と比べ、自作の売りはどこにあるかを考えます。売りというのは自作だけが持っているセールスポイントですね。
作家も個人事業主なら、市場に出回っている商品と同じもの、またはその劣化版を売り出そうとは考えないはずですが、作家志望の方は割と無頓着ですね。市場のことはあまり考えないようです。
もっとも、マーケティングをすればベストセラーが書けるかというとそうはいきません。それは理屈でヒット商品を狙っても、必ずしもうまくいかないのと同じです。
しかし、書く前に、ほんのちょっとだけ出版プロデューサー目線で考えてみてはどうでしょう。意外と簡単に〝こうすれば評価される〟が見えてくるかもしれません。
※本記事は「公募ガイド2012年12月号」の記事を再掲載したものです。