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8.15更新 VOL.31 早稲田文学新人賞、ほか 文芸公募百年史

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文芸公募百年史

VOL.31 早稲田文学新人賞、ほか 


今回は、昭和59年に創設された、早稲田文学新人賞、織田作之助賞、さきがけ文学賞、講談社一〇〇〇万円長編小説を紹介する。
今回は4賞とも歴代受賞者にこれといった著名人はいないと思ったが、唯一、早稲田文学新人賞が大きな話題を提供してくれた!

史上最高齢の75歳で早稲田文学新人賞と芥川賞をW受賞

昭和59年(1984年)、早稲田文学新人賞が創設されている。「早稲田文学」と言えば三田文学と並ぶ老舗中の老舗で、明治24年(1891年)に坪内逍遥が創刊した文芸誌として名高い。だから、新人賞はとっくの昔に持っていたと思っていたが、創設されたのは文学賞の歴史からするとだいぶ最近の昭和59年のことだった。

「早稲田文学」は商業誌ではなく機関紙であり、販売収益もあるが、多くは大学からの資金と寄付によって成り立っている。だから、よくも悪くもがつがつしておらず、真摯に文学と向き合えるのが売りだ。他誌がこんなことを始めたから、うちは真逆の企画で売りまくろうなどという俗なことは考えないし、購読者も同じで、小説で一発当てて印税暮らしなんて欲の塊のような人はいない。そういう人は「早稲田文学」は買わない。

歴代受賞者を見ても、こちらの不勉強を棚上げてして言えば、作者もタイトルもよく知らない名前がずらっと並んでいる。選考委員には著名人が並んでいるし、賞金もこの手の賞にしてはちゃんと10万円も掲げているのにちょっとおさびしい。規定枚数も100枚程度と長くはない。作家は書く場を与えられて初めて育つと言われているが、そういう意味では「早稲田文学」は“育成の場”としては弱かったのかもしれない。

しかし、2012年(平成24年)の第24回だけが燦然と光り輝いている。
受賞 黒田夏子「abさんご」
言わずと知れた第148回芥川賞をW受賞した作品で、受賞者の黒田夏子さんが75歳という史上最高齢であったことも話題となった。文学なのに横書きで、ひらがなを多用した文体も注目された。

また、早稲田文学新人賞の選考委員が文芸批評家で東大総長だった蓮見重彦だったことも話題となった。だってあの蓮見重彦が激押しであれば、それは超傑作に違いないと思ってしまうよね。芥川賞の名だたる選考委員も「蓮見さんが推すなんて相当前衛的なんでは……」と思ったはず。蓮見さんを向こうにまわして「これは×です」なんて言えるかな、言えないよね、と思ったら芥川賞の選考会で山田詠美さんだけが否定的な講評をしていた。山田詠美さん、すごっ!

ちなみに、蓮見重彦氏は、2016年(平成28年)に第28回三島由紀夫賞を「伯爵夫人」で受賞しているが、このとき、「まったく喜んではおりません」「はた迷惑」「80歳の人間にこのような賞を与えるのは嘆かわしい」「暴挙である」「もっと若い方が取るべきだ」と言い、記者から自身も75歳の黒田夏子さんを受賞させたではないかと言われると、「黒田さんは若々しい方ですし、文学としても若々しい」と答えている。さすが蓮見重彦、やってくれるわ~と会見を見ながら思った。並みの受賞者だったら炎上ものだよね。

早稲田文学新人賞に戻る。黒田夏子さんのときの第24回(2012年)の応募数は391編だったが、次の第25回(2015年)は黒田効果で590編に跳ね上がっている。早稲田文学は2014年から月刊から季刊に、5、6人いた選考委員も2008年から1人にしていたが、そんな状態で応募数だけ増えるのは痛し痒しだったかもしれない。これがトリガーとなったのか、早稲田文学新人賞はこの回をもって終了し、「早稲田文学」自体も2022年休刊となっている。芥川賞受賞者を輩出しなければ、早稲田文学は今も細々と続いていたかもしれない。

織田作之助賞は、地味ながら堅実に現在も公募継続中!


毎年、募集が始まるたびに、「いやあ、よくぞ継続してくれた」と思ってしまうのが、織田作之助賞だ。織田作之助は太宰治や坂口安吾らとともに無頼派と言われ、代表作『夫婦善哉』でもわかるように大阪が生んだ作家でもある。この織田作之助生誕70年を記念し、昭和59年(1984年)に創設されたのが織田作之助賞だ。主催は大阪文学振興会、規定枚数は50~100枚、賞金は30万円と20万円相当の記念品(現在、織田作之助青春賞の賞金は30万円)、賞創設当時の選考委員は谷沢永一、富士正晴、藤沢恒夫の3氏だった。

第1回応募数は401編とまあまあだったが、その後は低迷し、第6回は135編まで落ち込むが、その後は持ち直し、2005年(平成17年)の第22回のときは507編までいっている。しかし、この手の文学賞は、昭和の頃は「文化事業」と謳うだけでみんな納得してくれたが、バブル景気もとうに終わった2000年代になると、「意味あるの? 実施しなきゃだめなの? 2位じゃだめなんですか(これは事業仕分けだった)」と言われる。かくてどの文学賞も終了するかリニューアルするかの決断を迫られることになっていく。

織田作之助賞は後者を選んだ。それが2006年(平成18年)の第23回のとき。この年から織田作之助賞は受賞作をプロ作家の小説から選び、公募文学賞のほうは織田作之助青春賞と改称し、満24歳以下を対象として継続することになった。25歳以上の人には残念だが、関西文学新人賞、大阪女性文芸賞、神戸文学賞など関西発の文学賞が終了するなか、地道に継続しているのはうれしい。なんかね、お互い長生きしようね的な気持ちになる。舟橋聖一文学賞ともども末永く頑張ってほしいよね。

地方文芸の中では数少ない優良公募、さきがけ文学賞

昭和58年(1983年)、直木賞作家の渡辺喜恵子氏が文学の新人発掘のため、地元紙の秋田魁新報社に1000万円を寄付し、翌昭和59年(1984年)、秋田魁新報社がこれに1000万円を足して計2000万円の基金にして創設されたのがさきがけ文学賞だ。
渡辺喜恵子氏は超有名というわけではないが、秋田県出身の作家で、昭和34年(1959年)に『馬渕川』で第41回直木賞を受賞している。主催は当初は秋田魁新報社だったが、現在はさきがけ文学賞渡辺喜恵子基金となっている。

さきがけ文学賞のいいところは、テーマが自由であるところ。地方文芸というと応募資格は問わないが、テーマは地元の産業、歴史、自然、偉人などとすることといった条件がつく場合があり、この制約下で書くのはけっこう難しい。小説を書く機会が欲しい創作者には全国公募でテーマ自由というのは本当にありがたい。いわゆるホームタウンディシジョン(地元びいき)ということもなく、さきがけ文学賞は、ちよだ文学賞、北日本文学賞、やまなし文学賞、木山捷平短編小説賞、林芙美子文学賞と並ぶ地方文芸お勧め文学賞の一つに数えられる。

受賞には超有名人という方はいないが、歴代の受賞者を見ていて「あれ?」と思う方が何人かいた。まずは2016年(平成28年)の第33回のときに「南天絵羽織」で選奨に入った三宅直子さん。この方は『あなたも書けるシナリオ術』という著作がある脚本家で、2013年に第2回かつしか文学賞を受賞したときも「名前に見覚えがある」と思った。おぼろげながらの記憶だが、公募ガイドの読者ページ「入選しました」にハガキをもらったことがあったようななかったような。

もう一人は翌2017年(平成29年)の第34回のときに「一九四五年・チムグリサ沖縄」で受賞した大城貞俊さん。実は1991年(平成3年)に沖縄県具志川市(現うるま市)がふるさと創生事業を活用して1000万円懸賞小説の具志川市文学賞を単発で実施したことがあったが、このとき、大城貞俊さんは「椎の川」で受賞している。当時、1000万円をもらった方はどんな人だと思って注目していたのでよく覚えている。

こうして見ていると、地方文芸の受賞者の中には複数の地方文芸を受賞している人が割といる。三宅直子さんはかつしか文学賞とさきがけ文学賞、大城貞俊は具志川市文学賞とさきがけ文学賞、前述の織田作之助賞では高嶋哲夫氏が最終候補までいっており、氏はのちに北日本文学賞を、その後、サントリーミステリー大賞を受賞している。

プロの登竜門的なメジャーな文学賞に応募し、即デビューという人は少なく、苦節十年という人はざらにいるが、その過程では、地方文芸でちょっと腕試しという時期もある。今村翔吾、土橋章宏はデビュー前に伊豆文学賞を受賞し、高田郁は北区内田康夫ミステリー文学賞に入選している。我田引水で推測すると、皆さん、公募ガイドを見て、「この賞なら手頃な枚数だな、賞金もいいし」という感じで応募していったのではないだろうか。

「小説現代」創刊20周年記念 講談社一〇〇〇万円長編小説

昭和59年(1984年)創設の文学賞はみんな地味なのだが、一つだけちょっと派手な文学賞があった。それが講談社一〇〇〇万円長編小説だ。
昭和の時代に実施された1000万円懸賞小説を挙げてみると……。


昭和47年(1972年) 実業之日本社「週刊小説」創刊記念懸賞小説
昭和49年(1974年) 開局50周年記念 NETテレビ「二千万円テレビ懸賞小説」
昭和55年(1980年) 徳間文庫発刊記念 総額2000万円懸賞小説募集
昭和51年(1976年) 集英社創業50周年1000万円懸賞募集


各社とも何か売り出したい、打ち出したい、PRしたい何かがあったからこんな派手な花火を打ち上げたわけだが、では、講談社はどうだろう。「小説現代」創刊20周年記念と銘打っているが、明治42年(1909年)に創業した老舗中の老舗出版社がなぜこんな派手なことをやったのかなと思わないでもない。書籍も雑誌も漫画も児童書もみんな売れまくってお金が余っていたのかなあ。羨ましい。

規定枚数は400~500枚。賞金は言うまでもなく1000万円で、選考委員は、昭和41年(1966年)に第6回小説現代新人賞を「さらばモスクワ愚連隊」で受賞し、翌年、『蒼さめた馬を見よ』で第56回直木賞を受賞、その後も『青春の門』『戒厳令の夜』などのヒット作を連発していた五木寛之氏だ。

応募総数は578編、長編にしてはまあまあだが、ところがどっこい、受賞作は該当作なしだった。いわゆる新人文学賞は一定のレベルに達している作品がない場合、賞の権威を守るためにも該当作なしとすることが多い。しかし、懸賞小説というのはコンテストであり、普通は応募作の中でもっとも優れている作品を1等賞として受賞者にする。ということは、出来のいい作品は皆無だったのかもしれない。

発表資料によると、予選を通過した作品は4編だったが、五木寛之氏の要請で6編足して10編を選考したと言う。邪推だが、当初4編を読んだが、「これしかないのか」ということで6編追加したのではないだろうか。しかし、それでも当選作はでず、佳作2編を選ぶにとどまった。募集は派手、結果は地味といったところだろうか。文学賞の担当者はつらかっただろうね。公募ガイドがあったら全力で応援したかったが、公募ガイド創刊はこの翌年、昭和60年(1985年)になる。



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