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名作のパクり方2:元ネタをアレンジする

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視点や時間軸を変える

第一章は名作や既存の作品からストーリーを借用していいという話でしたが、それもそのはず、小説など創作物のオリジナリティーを決定づけるのは、あらすじではなく、その中身です。
だから、ストーリーの骨格や運び自体が同じだったとしても、中身が違っていればいいのです。
しかし、そうは言っても、一から十まで同じ展開では〝変わった感〟が出ませんし、変わっていないのであれば、いったいなんのためのリメイクだったのかと思われてしまいますよね。今回の「小説の実験」(この特集の後半で受賞作を発表しています)の課題Aでも、テーマもストーリーも元の話と同じというものがありましたが、そうしたものは残念ながら選外となりました。
では、ストーリー自体は同じであっても、どこをどう変えたら違った作品に思えるでしょうか。
まず、決定的に変わった感じがするのは、誰を視点人物にするか。
今回の課題Aで言うと、ほとんどの人は全知視点的な客観三人称で書くか、または主人公である与平の一元視点で書いていましたが、これだとよほど話の中身や人物設計を変えない限り、昔話版「鶴の恩返し」との差は出にくいですね。
一方、最優秀賞になった「羽」はつうの視点で書かれていますから、昔話「鶴の恩返し」ではほとんど窺い知ることのできなかったつうの心情も書け、内容的にも違いが出ました。
また、昔話「鶴の恩返し」が時系列で書かれているのに対し、「羽」は出来事が終わったあとでそれを回想するようなかたちで書いています。つまり、昔話「鶴の恩返し」とは時間軸を変えていますので、その点でも全く別の作品のような印象を受けると思います。
ちなみに、この回想形式の場合、語り手がいる時間が現在で、出来事が起きたのは過去ということになりますが、語り手は出来事が起きた過去に舞い戻って、過去を現在として描写したりもしますので、書きなれない人がやると、過去と現在が入り乱れてわけの分からないことになりがちです。注意しましょう。

構成で変わった感を出す

〝変わった感〟を出すもう一つの方法は、構成を変えること。構成にもいろいろありますが、ここでは時系列でない方法を三つ挙げてみましょう。

  1. ラストシーンの一つ前のシーンを 冒頭に持ってくる。
  2. 作中で扱う時間を短くし、経緯は あとで説明するか、回想させる。
  3. 特定の部分だけ書く

一は、ラストシーンの一つ前のシーンを冒頭に持ってきて、時系列を崩す方法。
たとえば、こんなふうに。

 

「危ない」
イヌは叫び、キジはケーンと警告を発しましたが、時すでに遅し、赤鬼が放った矢が鎧に突き刺さり、桃太郎はどうと倒れました。

 

よくある方法ですが、こうすると説明過多になりがちな冒頭に動きのあるシーンを持ってくることができます。「主人公は最終的には死んでしまうのか」というミスリードにもなります。
もちろん、例にとった「桃太郎」の話は結末が分かっていますので、素直に「桃太郎は死ぬんだ」と思う人はいないと思いますが、それならばそれで、「では、作者はいかにして『実は桃太郎は生きていました』というどんでん返しにするのか、鎧の下に防弾チョッキのようなものを着込んでいたとするのか、それとも赤鬼の矢に細工がしてあったとするのか、それが納得いくような伏線をどう張るのか」という興味につながります。
二の方法は、作中で扱う時間を短くするために時系列を崩すという方法です。
昔話「桃太郎」では、桃太郎が生まれてから成長するまでの長い時間を扱っていますが、小説でこれをやるといかにもダイジェスト版然とします。そこで、たとえば、鬼ヶ島に行く途中から書き始めたりする。
そうすると、「桃から生まれた桃太郎」とか、「おばあさんは川に洗濯に」といったくだりは書けなくなりますが、必要であれば、それらはあとの時間軸の中で触れます。たとえば……。

 

「つかぬことをお聞きしますが」
背後からサルの声がした。桃太郎は無言で振り返った。
「なぜ桃太郎という名に?」
「おばあさまが川で洗濯をしていたところ、川上から桃が流れてきた。持って帰り、切ってみると赤ん坊がいた。それが私だったそうだ」
「なるほど、それで桃ですか」
サルは合点がいった顔をした。

 


全部が全部、時系列で語るのではなく、遠い過去の経緯は説明で済ませると、作中で扱う時間が短くなります。
なお、過去の出来事は回想シーンとして処理してもいいですが、回想は過去と現在が入り乱れますし、回想している間は話の進行がストップしてしまいますので、短めにするか、長くなるなら回想の入りと明けをはっきりさせましょう。
最後の三の方法は、ある部分だけをクローズアップし、あとの大半は切ってしまうという方法です。
たとえば、いきなり鬼との戦闘シーンから始まり、それが終わると話も終わるとか。あるいは、イヌ、サル、キジと出会うシーンだけを書き、その前後は数行程度、または書かずに推測させるとか。
この方法にした場合、話の印象も大きく変わりますが、テーマも全く違ったものになっているはずです。

語り手と視点人物

本文中にでてきた用語を説明します。
小説には語り手がいます。誰かが語っているということを前提に書かれていると言ってもいいです。
一人称小説なら、語り手は主人公とイコールで、「ぼく」とか「私」とかです。「私」が「私」について語っているという設定ですね。
三人称小説の場合、語り手は作中にいない誰かになります。誰とは書かれてはいませんが、誰かが語っていることになっています。つまり、語り手は姿かたちのない幽霊のような存在です。
さて、視点です。視点には、全知視点、一元視点、多元視点があります。
全知視点は、なんでも知っている神のような存在の語り手が語る形式です。語り手はすべての作中人物の心の中に入り込め、人物の過去も未来もすべて知っています。それゆえ神の視点とも言います。
作者視点、客観三人称とも言います。昔の通俗小説や歴史小説に多い視点で、現代小説ではあまり用いられません。
一元視点は、特定の人物の心の中を書いていく形式です(語り手が憑依するようなかたちで同化したこの人物を視点人物と言います)。
一元視点(一人称一元視点と三人称一元視点)は視点人物の五感を借りて、視点人物の見たもの、聞いたもの、思ったことを書いていく形式ですが、語り手と視点人物が密着していますから、視点人物の知らないことは書けず、鏡でもなければ自分の背中のことも書けません。
ただし、三人称一元視点の場合、語り手は一時的に視点人物を離れ、視点人物の表情や周辺の情景を描写したり、説明としてナレーションを入れたりすることもできます。視点人物を大きく離れることはできませんが、周辺をさまようことはできるというわけです。
とはいえ、読み手は視点人物の目で作品世界を見ているため、視点人物の知らないこと書きすぎてしまうと違和感を持たれますので注意してください。
多元視点は章など大きな括りで視点人物が変わる形式で、このことを除けば一元視点と変わるところはありません。

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※本記事は「公募ガイド2013年2月号」の記事を再掲載したものです。