小説・エッセイ推敲のポイント1:あとで大幅な修正に ならないように大局を見る
テーマは表現できているか
推敲の第1段階ではどんなチェックするのか説明しようと思いますが、長編の例文は書けませんので、今月の「誌上エッセイ」の応募作品を例として挙げます。
長編と掌編では枚数こそ違いますが、やることはだいたい同じです。
さて、推敲の第1段階でまっさきに確認しなければならないのは、「テーマは表現できているか」です。
今月号で発表の「誌上エッセイ」の課題は「そんなバカな」でしたが、その応募作品の一つを紹介しましょう。
自慢じゃないが、けっこうモテる。しかし、おじいちゃんにだけ。理由はわかっている。それは私の外見だろう。
今時、髪も染めず、もっちりプリプリした体型。色気がまったく感じられないところに安心感があるのだろう。要は、私はあか抜けない女の人なのだ。
作者は歯科助手をしていますが、あるとき、患者のおじいさんに言われます。
「ねえ、マスク取ってくれる?」
「いいですよ、は~い」
私がマスクを外すと、おじいさんはすかさずこう言った。
「うわ、美人……」
色気がなくてあか抜けない作者が「美人」と言われ、本人としては「そんなバカな」という気持ちだったかもしれませんが、読者はそこまでは思わないでしょうね。「けっこうモテる」とも書いていますから、意外性の面でも欠けます。
推敲の第1段階では、テーマがあればそれはなんだったかを確認し、それが十全に表現できているかを確認します。テーマがない場合は、自分が書こうとしたテーマが表現できているかを考え、できていなければ、テーマが浮き彫りになるよう書きかえます。
むだな部分を徹底的に削る
無駄なことは、最初と最後に書いてしまうことが多いようです。
書き出しに迷い、なかなか本題に入れないまま、どうでもいいことをだらだらと書いてしまったり、最後の最後になんだか完結していない気がして、これでもかとばかり言わずもがなのこと書いてだめを押してしまったり、そういうことが起こりやすいのが最初と最後です。
無駄とまでは言えなくても、ここを削っても話は成立するという部分は徹底的に削りましょう。
無駄な文章は、それがあると、言わんとすることをわからなくします。
多くの小説家は、公募文学賞という登竜門を経てプロになっている。作家志望である私も、そうした文学賞に応募するつもりである。
これは以下のような論理展開です。いわゆる三段論法ですね。
A 公募文学賞はプロへの登竜門である。
B 私は作家志望である。
C だから私は公募文学賞に応募する。
ところで、文章を書きながら、ある単語に触発されて、何かを連想してしまうことがありますが、前記の文章を書いている途中、「登竜門」という言葉から、
D 登竜門は「竜門に登る」と書き下す。
竜門という急流を登った鯉は竜になるという伝説があり、それが語源である。
という文章を思いつき、これを文中に入れたとしましょう。
多くの小説家は、公募文学賞という登竜門を経てプロになっている。
登竜門は「竜門に登る」と書き下す。
竜門という急流を登った鯉は竜になるという伝説があり、それが語源である。
作家志望である私も、そうした文学賞に応募するつもりである。
間にDが入っただけで、A→B→Cという展開が阻害され、論旨のわかりにくい文章になってしまいました。
これは短文ですから、そのことがよくわかります。しかし、ABCDが長い段落の場合は、何が論旨の明快さを阻害しているのか気づかなかったりします。
そのような場合は、長文を短文にし、つまり、段落を要約し、それを書き出してみれば、筋道としておかしい部分が容易に見つかるはずです。
話の配分を見る
今月号の「誌上エッセイ」の応募作をもう一つ紹介しましょう。
妻に実年齢を一歳ごまかしていた私。
結婚することになっても「まあいいや、どうせばれるんだし」と高をくくって、あえて訂正もしないままだった。
その後、婚姻届を出す段階になって実年齢がバレると、婚約者は怒り、作者を平手打ちしたうえ、結婚を渋る。作者としては「1歳くらいでそんなバカな」であるが、実は婚約者は占いで結婚を決めたため、年齢詐称は大問題だったのです。
しかし、作者は「おれたちの運命は占い師が決めることじゃない」と言って説得します。以下は、最後の部分。
私の言葉に妻は心が動いたようだった。
そして、結果的に結婚届を出すことにした。私は自分の言葉が妻に効果的な作用をもたらしたことをうれしく思った。これには後日談がある。妻はそれでも諦めきれず、例の占い師に占ってもらったという。結果は大凶。これを聞いて私が笑い飛ばしたのは言うまでもない。
しかし、今の結婚生活は明らかに大凶。
妻にとってではなく、私にとって。お金は妻に握られ、自由な時間はなく育児に束縛され、毎日へとへとになって生活している。
これは話の配分を間違ってしまった例です。前半の「そんなバカな」と言ってしまったシーンを結末にし、あとはさっと終わりにするべきだったでしょう。
先触れとネタバレ
冒頭部分はひとつの先触れであり、つまり、これからこんな話が始まりますよという予告を兼ねています。少なくとも、読者はそう思って読み始めます。
私は若い頃、ちり紙交換というアルバイトを好んでした。それは仕切り場で軽トラックを借りて気ままに古新聞や雑誌、ダンボール、そして鉄くずなどをトイレットペーパーなどと交換するという、昔風に言えばクズ屋、かっこよく言えば廃品回収業である。
時間に束縛されることもなく、好きなときに出かけて好きなときに帰ってくるという、自由気ままなこの商売が私にはもっとも合っていたと言える。
これだけ書き出しが長いと、これは廃品回収業の話かと思うはずです。ところが、この話は同僚が窃盗で逮捕され、娘さんの結婚も破談になったという内容です。導入部の文章のベクトルが、結末に向かっていない例ですね。
次は、予告が過ぎた例です。
もう半世紀も前の話なので時効として書かせてもらう。生き馬の目を抜くという新聞記者の世界で、そんなバカなということが起きた。こともあろうに、競争相手の他社に自社の記事を送稿してしまったというドジな話である。
書き出しでネタバレになっています。
こう書いたら、さらに読者の予想の上をいく結末を用意しないと、期待して読んだ読者の納得は得られませんね。
第1段階のポイント
推敲の第1段階では、「テーマは浮き彫りになっているか」「ストーリーラインは蛇行していないか、配分はどうか」など大きな観点でチェックしていきますが、そのコツは削ることにあります。
何かを足しても形は見えてきません。
1割から、多い場合は2割ぐらい削って初めて作品のあるべき形が見えてきます。足すのはそれからです。
キング推敲のポイント
スティーヴン・キングは、『小説作法』の中でこう書いています。
原稿が仕上がると、私は一息入れて、作品の底流にある傾向を探りながら読み返す。そこにはきっと何かがあるはずだから、見極めたものを取り出して、くっきりと浮き彫りにする意識で第二稿を書く。(中略)二稿の担う働きは二つ、シンボリズムの増幅と主題の補強である。
(スティーヴン・キング『小説作法』)
テーマを浮き彫りにするわけですが、その際、加えるより削るほうが圧倒的に多いのが普通です。削ることで、隠れているものを浮き彫りにするわけです。
また、キングは、推敲の過程では以下のように考えながら書くそうです。
私は絶えず自問する。最大の関心は、話が首尾一貫しているかどうかである。(中略)言い換えれば、私は「つまり、何なんだ、スティーヴィ?」と自分に問いかけているのである。
(スティーヴン・キング『小説作法』)
「つまり、何なんだ」「ひとことで言えばなんだ」と自分に問えば、読者にそう言われることもありませんね。
※本記事は「公募ガイド2013年10月号」の記事を再掲載したものです。