第8回W選考委員版「小説でもどうぞ」最優秀賞 相談者の憂鬱 芋粥竜之介
第8回結果発表
課 題
悩み
※応募数323編
相談者の憂鬱
芋粥竜之介
芋粥竜之介
この日、私はある決断を胸に競馬場敷地に立っていた。目の前にはまもなく始まる第一レースのパドック。しかし、そこには目もくれず、ある目的のために施設内特別室へと向かった。
腕時計の時刻をちら見し、ある部屋の前にくる。扉には、公営競技ギャンブル依存症カウンセリングセンターとある。長い。なんという長い名称だ。
咳ひとつしてノックする。軽い応答があったため
私が椅子に腰を下ろすや否や、本人確認後矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
⦿毎週土日がくると興奮するか
⦿レース途中でやめることができるか
⦿ビギナー時に大勝ちしたことがあるか
⦿給料が入るとまず何を考えるか
などなど、うなずきながらメモを取っている。
「うーん。やはりあなたはギャンブル依存症ですね。間違いないな」
うらなり男は、隣の丸眼鏡に
「そうですね。あなたはギャンブル障害、或いは病的賭博と呼ばれるものです。我々はそういった方に適切な治療と支援を行うものです」
丸眼鏡はペンをくるくると回しながら、部屋のモニターに目を移すと、
「ほら、まもなく第一レースが始まります。一番人気は五番の馬ですが、この馬はジョッキー人気のため飛ぶ可能性が高い」
「そう、危険な人気馬だね。今回の距離が前走より二ハロン伸びるというのも気になる」
うらなりが解説者の如くつぶやいた。
「あなたはどう思いますか?」
いきなり振られた私は動揺しながらも、
「確かにそういう見方もできますが、父母ともこの距離で重賞を勝っているので、間違いなく血統的には買い。それに差し向きの展開利もありそうで侮れません」
といった会話をしているとすぐレースが始まり、結果は五番馬の圧勝だった。
二人の相談員は、
「いやあ、さすがですな。ギャンブルがやめられないはずだ」
「本当だ。いくら賭けてたの? ヒモ二頭が人気薄だから八万くらいついてたよね。ね、買ったんでしょ?」
うらなりの顔が湯気立つかのように紅潮している。
「え、買ってないですよ」
私の返答に二人は意外な表情をした。
「あなた、八万もついたんですよ。なぜ買わなかったんですか?」
「なぜって、私はギャンブルをやめるためにここに来たんですよ。それを……」
二人は乗り出していた身体をシンクロさながら元の姿勢に戻すと、
「いや、その通り。あなたのその態度、つまりギャンブルをやめようと努力すること、それが何よりも肝心です」
「そうそう。本人の自覚ですな。それにしてももったいない。いや、これは失言」
丸眼鏡は汗ばんだつるを持ち、
「ところで、今後、私はどのような治療をすれば良いのでしょうか」
「ふむ。通常は医師を交えた認知行動療法とか、ギャンブルに行く時間を自助グループ参加に切り替えることで徐々に問題解決へと導くのですが、当方では特殊な対策を試みています。ほら、この相談室に競馬モニターが設置されている理由がわかりますか?」
私が無言でいると、うらなりが続けて、
「あのモニターから流れる実況を見て何も感じなくなる訓練です」
「なるほど。第一レースから最終十二レースまでここに缶詰めで待機し、一喜一憂しなければいいんですね」
「おっしゃる通り。おっ、第二レースが始まりますよ。ここは七番の馬で堅いでしょ」
「いや、私は一番と思いますね。この馬の出足は天下一。好枠活かして一気の逃げ切りと見ましたが」
二人は適当なゴタクを並べていたかと思うと、
「あなたはどう予想しますか?」
丸眼鏡は自信あり気な顔を私に向けた。
「いや、ここは大外の十六番でしょ。この馬は馬混みを極端に嫌うのでこの枠は最高。加えて昨夜の雨で
「え、それがくるとオッズは……うぉ」
思わず隣のうらなりがオッズモニターを覗き込み、奇声を発した。
「まもなく締め切りですね」
私の言葉にハプニングが起こった。相談員の二人が我先にと部屋を飛び出したのだ。
(了)