どこからが盗作か1:盗作・盗用をなくす基礎知識
類似であれば、すべて盗作ではない。データは同じでいいし、アイデアも同じでかまわない。何が盗作なのか、基礎知識を知っておこう。
類似かそうでないか基準を理解しよう
最近の盗作騒動で思い出すのは、佐野研二郎さんが制作した東京オリンピックのエンブレムに対して、ベルギーのリエージュ劇場のロゴを制作したオリビエ・ドビさんが自分の作品に酷似していると訴えた問題だろう。 これが類似かそうでないかは、ここでは問わない。問題は、特に基準もなく個々人の感覚で似ている、似てないと言うこと。
それだと何が類似で、何が類似でないかわからない。そこでここでは、主として文章系の盗作や類似の問題についてまとめておく。
類似・同一でいい場合もある
一口に類似と言っても、全く同じでもかまわないケースもある。
たとえば、以下のようなもの。
- 事実やデータ
- ありふれた表現
- ごく短いもの
- アイデア
データ(何かの番号など)は引き写してもかまわない。そのデータを導き出すために著者が相当な苦労をしたとしても、単なるデータは著作権では保護されない。
事実も同じ。〈織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれた。〉という事実は、簡潔に書こうとしたらこう書くしかない。だから同じでもいい。
ありふれた表現もまねができる。
たとえば時候のあいさつ。〈時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。〉という文章には特に創作性はない。
題名や名称も、短くてシンプルなものは著作物とは言いがたく、ストーリーや設定、トリックといったアイデアも著作物ではない。
盗作、類似と言う場合は、これらを除外して考えたい。
なお、著作権は親告罪のため、告訴がなければ罪には問われない。
知的所有権
知的所有権は、創作物や技術などの知的財産を守る権利。
特許権、実用新案権、意匠権などがあり、ここでは著作権と商標権について説明する。
著作権
文章や図案、写真などを作った瞬間に発生。登録制度もあるが、しなくてもいい。
商標権
商品名やマーク等の使用権。
先願主義といい、先に登録した人に権利がある。
そう書くしかない表現は同じでいい
著作物でないものは著作権では保護されないから類似でもいいわけだが、では、何が著作物かと言うと、著作権法には「思想又は感情を創作的に表現したもの」とある。「思想又は感情」と言うとハードルが高そうだが、幼稚園児の絵でも著作物になり得る。問題は「創作的」という部分だ。
たとえば、右記のA。これは川端康成『雪国』の冒頭。これは一般的には創作的だが、研究者によるとこの文章は事実を述べたもので、同じ状況にあるなら誰でもこう書くだろうという意味で、そこに創作性はないと考えると言う。
しかし、これに続くBは創作的で、借用には注意が必要だ。
つまり、偶然Aのような文章を書いた人がいても、「そう書くしかなかった」で通る。しかし、Bは通らない。「夜の雪国は一面が銀世界だった」など、ほかに書きようはいくらでもあるからだ。
ただし、偶然の一致も。一文なら神経質にならなくていい。
自分の文体を持ち、引き写さないこと
事実を述べた、ありふれた文章の場合は、そのまま引き写してもいいのだろうか。
答えはノーだ。
ありふれた文章であっても、それをどのような配列、順番で書くかには創作性があるからだ。
たとえば、〈吾輩は猫である。〉。猫を主人公に小説を書けば、こんな文章も出てくるだろう。
しかし、これに続く文章には無数の組み合わせがあり得る。〈吾輩は猫である。子猫である。〉でもいいし、〈吾輩は猫である。野良猫である。〉でもいい。
あるいは、〈吾輩は猫である。秋空のようである。〉のように先行文と全く関係ない文章でもつなぐことができる。〈吾輩は猫である。秋空のようである。心変わりしやすい性格なのだ。〉とつなげればいい。
つまり、こういうことだ。ある一文を書いて、それが誰かが書いた文章と似てしまうことはあり得る。しかし、2つ続くとなるとかなり確度(可能性)が低くなり、3つ、4つと同じ文章が続くとなれば、これは偶然では通らない。
これを防ぐには、まず資料などを見すぎないこと。見ながら書けばどうしたって似てしまう。先行作品が頭にあっても、手元になければそっくりにはならない。
もう1つは、自分なりの文体というものを持つこと。これは音楽で言うと曲調にあたるだろうか。
たまたま同じメロディーになってしまっても、曲調が違えば似ているとは思われない。
似ているにもいろいろある
なんとなく似ている
なんとなく似ている、雰囲気が似ている、文体が似ている、作風が似ているなどであれば全く問題ない。著作権侵害でもない。似ていると言われても気にしなくていいが、類型的ゆえにそう思われたのなら反省材料に!
ストーリーがほぼ同じ
著作権は表現を保護する法律だから、ストーリーといったアイデアが似ていることはなんら問題ない。問題があるとしたら道義的な問題になる。つまり、いくらなんでも何から何までそっくりでは人のものだと顰蹙を買う。
部分的にそっくり
著作権法でも偶然の一致を認めている。一文ならそれもあり得る。それ以前に、そっくりと言われた部分に創作性がなければ同じでもかまわない。指摘され、うっかり著作物を盗用していたことに気づいたときは削除しよう。
ほぼ1字1句おなじ
何行にもわたり、言葉の選択も配列もほぼ同じとなると、偶然の一致では通らなくなる。資料を引き写したか、WEBからコピペしたか、いずれにしても元ネタに依拠していると判断され、著作権侵害となる可能性が高い。
盗作・盗用と似た手法
リライト
いくつかの資料から新たに1つの文章を書くこと。合法的に引き写せる文章は、事実やデータ、ありふれた表現、つまり、創作性のない文章。作者の創作的な表現については、引用でなければ借用はできない。
引用
どこかの資料の部分をそのまま引いてくること。無断でいいが、1行空きにするかカッコを付けるなどして明瞭に区別し、本人の文章が主、引用が従で、出典を明記する。「無断引用」は言葉としては矛盾している。
オマージュ
敬意を込めてまねをすること。先達の思想や手法をまねることが多いので、同じ作品になることはまずない。
ただ、敬意ととるかまねととるかは相手にもよるし、やり方にもよる。下手な人がやるとパクリになる。
パロディー
先行作品を下敷きに、からかったり批判したり。盗作として騒動になった例としては、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』とディーン・リップルウッド『バターはどこへ溶けた?』がある。
パスティーシュ
パロディーの1つ。文体模写とも言われ、まねをする対象となる作家に特徴的な文体や作風などを模倣して、多くは笑いにする。日本では、司馬遼太郎の文体で猿蟹合戦を書いた清水義範がパイオニア。
※本記事は「公募ガイド2018年3月号」の記事を再掲載したものです。