2019年10月号特集SPECIAL INTERVIEW 岸本葉子さん
公募ガイド10月号の特集「絶対応募したい!エッセイ公募を格付け」では、エッセイストの岸本葉子さんにご登場いただきました。
誌面に入りきらなかったインタビューをご紹介します。
岸本先生インタビュー
――岸本先生はエッセイのほか、俳句もおやりになりますが、エッセイでも俳句でも、テーマを与えられて、パッと思いついたものを題材にすると、他の人と内容がかぶりますよね。
岸本先生:たとえば、伊香保で俳句大会をやると、「川沿いの緑に朱色の橋」という内容でみんな作るんですね。意識しないと、人の発想って似るんです。だから、最初に思いつくものには飛びつかないで、置いておくほうがいいのかなと思います。
――第一発想は捨てたほうがいいということですね。
岸本先生:ほかに切り口を探して、でも、探した末に、自分に一番響いたのはあの「朱の橋だな」と思ってそこに戻るときは、最初に飛びついたときとは別の何かを見つけていると思うので、題材が同じでも、違う作品になっていると思います。
――結果的に、第一発想に戻ってもいいのですね。
岸本先生:「発想と表現」というのがあって、発想で飛びついたときは表現も人と似ていると思うんですが、一巡してまたそこに戻ってきたときは、表現も深化、深くなっています。
――今年は「令和」や「改元」を詠んだ句が多かったそうですね。
岸本先生:ある俳句大会では、「改元」を扱った作品がいっぱいあったなか、特選に選ばれた句はやはり「改元」を題材にしていたんです。「屈みこむ天皇終(つい)の種撰(えら)み」という句です。
――解説をお願いしてもよろしいでしょうか。
岸本先生:「種撰み」は春の季語で、まず良い種を選ぶという行為です。ここに今年も収穫があるようにと祈る気持ちがあり、「屈みこむ」には老いの意味と、土に膝をついてひざまずくことを嫌がらない君主だという意味もあります。この「屈みこむ」という動詞を発見したことで、改元のときに緑の風が吹いて、といった表現とは違う表現になっています。着想が同じでも、表現の仕方によって違う句になるんだなと思います。これはエッセイについても同じことが言えると思います。
インタビューを終えて(編集後記)
背伸びして書いても、選考委員にはわかる
「うまく書こうとするな」という文章作法があります。
書き慣れない人がうまいふりをしようとすると、文章が硬くなる傾向があります。
たとえば、単に「驚いた」でいいんじゃない? というところでも、
「驚愕の眼差しで一瞥をくれるのであった」とか。
こういうのを、ペダンティズムと言いますね。
「オレはこんな難しい文を書ける」とひけらかしているわけです。
でも、プロが読んだら、背伸びしてもまずバレます。
「この人は、中身の薄さを言葉でごまかそうとしている」と。
中身に自信がある人は、もっと普通に、もっと平易に書きます。
実力以上のことを書いたふりはしません。背伸びもしません。
そんなことをしたってどうせバレるのだから、
自分にできることを普通にします。
面白い内容でも、あまりにも下手では採れない
これに対し、井上ひさしさんは、「うまく書こうとしないで、うまく書けるはずがない」という趣旨のことを言っています。
さすが、文章の達人クラスになると、本質を突きますね。
「うまく書こうとするな」は、難しい言葉を使えば高尚な文章だと思ってもらえるとか、明治期の翻訳調のような文章がいいというような勘違いを諭したもの。
うまく書こうとすること自体を否定しているわけではありません。
確かに、エッセイ公募の落選作を読んでいると、「こんなに面白い体験をしたのに、切り取り方を間違っている」とか、「文章があまりにもつたなすぎて、伝わるものも伝わらないなあ」と、とても惜しい気になることがあります。
選考委員の方々は、「いいエッセイを発掘したい」という気持ちで読んでいます。
テクニックを超えた、書き手の思いを見出そうとしています。
「だけど、いくらなんでも、この書き方では入選作にできない」と、残念に思いながら落とすわけですね。
事実であっても、やりすぎると嘘っぽくなる
一方で、うまい人ほど、作り込みすぎる傾向があります。
たとえば、作者の気持ちを代弁させて、「その日は朝から暗雲たちこめる空模様だった」とか。
一瞬、本当かなあ、嘘くさいなあ、と思ったりします。
でも、事実かもしれないし、本質的な部分ではないからいいか、と読み進める。
すると、作者のスマホが震え、父親が入院したという知らせが来ます。
慌てて実家に帰り、病院に急行する。
一時はどうなることかと思ったが、手術は成功し、事なきを得る。
そして、父親はこうつぶやく。
「三途の川が見えたけど、渡らなかった。だって、父さん、かなづちだから」
で、この公募のテーマが「工具」だったりすると、
えー! 本当? 事実だとしても、別のときに言ったのを、このときに言ったことにしたんじゃないの?
と思ってしまいます。
事実はわかりませんが、なんとなくピンと来る。話がうますぎるなあと。
なぜわかるか。私たちもよく使う手だからです。
これも技術のうちですから、やるのはいいと思います。
嘘と言えば嘘ですが、まるっきり創作したわけではないので許容範囲でしょう。
でも、やるならうまくやりたいですね。
うまいからできることではありますが、やりすぎにはお気をつけください。
岸本葉子(エッセイスト) きしもと・ようこ
1961年神奈川県生まれ。東京大学教養学部卒業後、会社勤務、中国留学を経て執筆活動に入る。食や暮らしのスタイルの提案を含む生活エッセイや、旅を題材にしたエッセイを多く発表。同世代の女性を中心に支持を得ている。俳句にも造詣が深い。