2020年1月号特集SPECIAL INTERVIEW 原田マハさん
公募ガイド1月号の特集“書く力”の秘薬、スローリーディング」では、小説家の原田マハさんにご登場いただきました。
誌面に入りきらなかったインタビューをご紹介します。
原田先生インタビュー
――2005年に『日本ラブストーリー大賞』を受賞してデビューされますが、受賞作の『カフーを待ちわびて』を書いたきっかけはなんでしょうか。
原田先生:仕事で沖縄の伊是名島に行き、浜辺でラブラドール犬と遊ぶ男性に、「なんて名前のワンちゃんですか」と聞いたところ、「カフーっていうんです」。「どう言う意味ですか」と聞くと、「沖縄の言葉で、『幸せ』という意味です」。その瞬間、何かが、どーんと下りてきて、帰りのレンタカーの中で、すっかり小説のプロットができあがっていました。
――小説を書く前に、プロットは作りますか。
原田先生:作るときと作らないときがあります。連載を始めるときは作りますが、だいたいプロットどおりにはいきませんね。でも、新刊の『風神雷神』で言えば、「俵屋宗達が、天正遣欧少年使節団と一緒にローマに行って、カラヴァッジョと会う」というフレームは変わりません。
――20代のとき、原田宗典さんが「すばる文学賞」(佳作)を受賞してデビューされていますが、お兄さんの影響はありましたか。
原田先生:兄が読書家だったので、子どもの頃は競い合うようにして本を読んでいました。
――ご自身も小説を書こうとは思われなかったですか。
原田先生:何か書きたいという気持ちはどこかにあったのかもしれませんが、身近なところに小説家がいて、その喜びと苦しみを見ていましたので、安易な気持ちでは小説家になりたいとは思いませんでしたね。
――原田マハさんはアートの専門家でした。専門性を持っている方にアドバイスをお願いします。
原田先生:専門家である時点で一歩リードしていると思いますので、それをぞんぶんに生かすといいと思います。ただ、専門分野が成しきれていないまま小説を書き始めたら、どっちも中途半端になると思います。私もアートの世界で20年やってきました。やりきるほうがいいと思います。
インタビューを終えて(編集後記)
親子で小説家、兄弟姉妹で小説家という場合、同性のペアのほうが多い!
もしも自分の両親や兄弟姉妹が小説家だったら?
同じ血が流れ、同じ環境で育った者としては、「私もなれるんじゃないか」と思っても不思議ではないですね。
それで、親子で小説家、兄弟姉妹で小説家という例を探してみました。
親子で小説家
森鷗外・森茉莉、幸田露伴・幸田文、太宰治・津島佑子、井上光晴・井上荒野、阿川弘之・阿川佐和子。
また、親のほうの職業を文筆業というように広げると……。
江國滋・江國香織、吉本隆明・吉本ばなな、も該当します。
兄弟姉妹で小説家
吉行淳之介・吉行理恵、サトウ・ハチロー・佐藤愛子。
みんな性別が違いますね。
同性のペアは、アレクサンドル・デュマとデュマ・フィス、観阿弥と世阿弥(ともに父と息子)や、有島武郎と里見弴、グリム兄弟、大森兄弟、ブロンテ姉妹(ともに同姓の兄弟姉妹)もいますが、異性のペアのほうが圧倒的に多いようですね。
同性の場合、夏目漱石・夏目房之介(漫画家)、芥川龍之介・芥川也寸志(作曲家)、齋藤茂吉(歌人)・北杜夫のように、同じ芸術の分野の中で違った道を行くことが多い。
理由はよくわかりませんが、父親や兄が偉大過ぎると、息子や弟は端から“遠く及ばない”と腰が引けてしまい、そのプレッシャーに耐えられなくなるのかもしれません。
条件が揃うと自然に発芽するように、小説家になるにもタイミングがある
原田マハさんは、言うまでもなく原田宗典さんの妹です。
原田宗典さんは、早稲田大学を卒業後、24歳ですばる文学賞(佳作)を受賞してデビューします。
原田マハさんとしては、どんな気持ちだったでしょうね。
子どもの頃からの夢を叶えた兄を誇りに思うと同時に、「私にはできるだろうか」とも思ったかもしれませんね。
あるいは、「兄が小説家の道を選んだのなら、私は別のジャンル」のように反発したかもしれません。
いずれにしても、原田マハさんは、大学卒業後、アート関係の道に進みました。
その後、原田マハさんは、アート関係の仕事を20年やって、やりきりました。
以前から、40歳になったらやりたいことをやろうと思っていたそうで、そこに「いつかは何か書いてみたい」と思っていた気持ちがつながり、最終的に『カフーを待ちわびて』を書いてデビューします。
20代のとき、兄のデビューに触発されて、「私も」と小説家を目指していたらどうだっただろうか。うまくいったかもしれませんし、いってなかったかもしれません。
ただ、何かになるには、タイミングがあるのも事実です。
「水・温度・酸素」の3要素が揃うと自然と発芽するように、原田マハさんが40代でデビューできたのは、ある意味必然。
逆に言えば20代だったら芽が出ないか、出てもうまく育たなかったかもしれません。
専門分野を生かして小説を書くときも、タイミングがある
最近は、何かの専門家が、その分野のことを題材に作家デビューすることがあります。
いわく、医療関係者が医療小説を書く。弁護士が法廷ものを書く。
警察関係者が刑事ものを書く。金融関係者が経済小説を書く。などなど。
一般の人は知らないような世界が描かれれば、それだけで興味がわきますね。
いわゆるお仕事小説を読むと、「へえ、そんな仕組みになっているんだ」と思ったりします。
もちろん、門外漢でも調べれば書けますが、“現場感覚がある”というのは強みで、その道に精通しているのであれば、ぜひ生かしたいところです。
ところが、原田マハさんは、そうはしませんでした。
アートが専門なのに、デビューして3年はアート小説を書いていません。
40代でデビューしたのもそこにタイミングがあったからですが、アート小説を書くのにもタイミングがあったわけです。
デビュー作で無理してアート小説を書いていたら、失敗していたかもしれませんね。
歴史の「IF」を大胆に広げた、アイデアに富んだ歴史小説
原田マハさんは2005年に「日本ラブストーリー大賞」を受賞しているので、2020年でデビュー15周年ということになります。
今や、押しも押されもせぬ人気作家ですね。
そんな原田マハさんが上梓した新刊『風神雷神』は、俵屋宗達とカラヴァッジョを主人公とした歴史小説です。
歴史小説というと、食わず嫌いの人もいるかもしれませんが、『風神雷神』はいわゆる歴史小説とは違います。歴史の中の「IF(もしも)」をかなり大胆に広げて、「こんなこともあったかもしれない」というところに物語を作りました。
すなわち、俵屋宗達とカラヴァッジョという同時代人がいて、洋の東西は違うものの、もしかしたら2人は会っていたかもしれない、というのがこの小説の肝です。
ちなみに、俵屋宗達は、戦国時代から江戸時代初期の画家です。琳派の祖です。
カラヴァッジョは、16世紀から17世紀初頭のイタリアの画家です。
この時代、日本からイタリアへ、天正遣欧少年使節団が派遣されています。この中に俵屋宗達が紛れ込んでいれば、物理的にも2人は相見まえることができるというわけです。
詳しくは原作を読んでもらうとして、ところで、『風神雷神』の物語は、まず現代から始まります。
ここも原田マハさんお得意の技巧と言っていいですね。
舞台が現代で、実在する京都美術館が出てきて、これまた実在する俵屋宗達の『風神雷神図屏風』が出てくると、現実と小説世界が地続きになって、「これって実話なの?」というふうに思ったりもしますね。
こういうのも1つのテクニックですね。
今回の特集のテーマは、小説をどう読むかというところにありますが、導入部を含め、『風神雷神』をじっくり読み、原田マハさんの作家生活15年の技巧を盗んでみましょう!
原田マハ(小説家) はらだ・まは
1962年東京生まれ。2005年『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞。2012年『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞、2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞を受賞。アート小説を多数執筆。