第45回「小説でもどうぞ」佳作 お節介な隣人に気を許すな 佐海美佳


第45回結果発表
課 題
隣人
※応募数393編

佐海美佳
ピンポーン。
マンションのインターフォンが鳴った。小さな液晶画面を確認すると、人の良さそうな妙齢の女性がカメラに向かって微笑んでいる。
今日引っ越してきたばかりなのだが、人とは関わりたくないので無視した。
翌日、またもインターフォンが鳴った。同じ女性の顔が見える。
なんだろう、この人。しつこすぎる。
『すいませーん、お忙しいところ、私、隣のものです』
隣近所の人に引っ越しのご挨拶をすることさえもリスクになる時代、自分からその禁を破ってくる強者おばさん。いや、流石おばさんと言うべきか。
こういう人は無視しすぎると「挨拶もしない無礼者」とみなされ、観察対象にされそうだ。観察はされたくない。挨拶ぐらいなら、俺の身元がばれることもないだろう。そう判断して「応答」のボタンを押した。
「はい」
『あ、いらっしゃった。こんにちは、ちょっといいですか』
要件を言え。要件を。
若干イライラしながらインターフォンを消して玄関に向かい、チェーンをつけたままで扉を開いた。
「なんですか」
「あら、男前じゃない。どーも、隣の山田です。あー、表札がないんだけど、お名前は?」
五cmにも満たない隙間に、顔をぐいっと近づけた女性は、何が面白いのかヘラヘラ笑いながらこちらを見上げる。
個人情報保護の観点から考えても、一人暮らしが表札なんかつけるわけないだろ、という考えを飲み込み、偽名を名乗ることした。
「斉藤です」
「サイトウさん? どういうサイの漢字?」
「え?」
一瞬固まる。漢字のことまで考えていなかった。
「一番簡単なやつです」
「あぁ、なるほど。じゃあ、これ誤配送かしら、宛名が髙梨さん。こちらの住所宛てに届いたお荷物なんだけど、お引っ越しされてくる少し前に届いたから、私が預かってたのよ。ほら。最近は配送業者もいろいろと大変でしょう?」
他人の荷物を勝手に預かるなよ。
山田さんは体の背後に置いていた旅行用の大きなカバンを、コロコロ転がしてドアの隙間から見える角度に置いた。
やばい。それは確かに俺が宅配便で送るように指示したものだ。変に偽名なんか使うんじゃなかった。
背中に嫌な汗をかきながら、言いわけを考える。
「それは俺の部屋に来る予定の後輩のやつです」
「まぁ、そうなの。それじゃあ名前が違うはずね。ここに置いておくから」
「……ありがとうございます」
玄関のドアを閉める。一分待って、チェーンを外してドアを開く。廊下の左右を確認して、旅行用のカバンを引っ張った。
カバンの中には大事なものが入っているのだ。誰にも渡すわけにはいかない。
リビングまで運んで、カバンのダイヤルロックを解除する。新聞で包んでガムテープでぐるぐる巻きにした現金が顔を見せた。
これは俺の勤め先である銀行の、貸し金庫に入っていた取引先の金だ。簡単に言うと窃盗である。
貸し金庫の中身を確認しない借り主を選んで盗んできたので、まだ先方にはバレていないはずだ。ニュースになる前に、海外に逃げる予定だ。
だから、いくらおばさんとは言え、先ほど現れた山田さんとは、これ以上関わりたくなかった。
次からは居留守を使う。絶対だ。そう決めていたのだが、次の日もインターフォンが鳴った。
最初は無視した。
二時間後、もう一度来た山田さんは、俺がいるかどうかもわからないのに、カメラに向かって一枚の紙切れを差し出した。
『斉藤さん、あのね、明日電気設備点検の日なの、ほら、これ。マンションの部屋にいないといけないのよ、知ってる?』
おばちゃんという生き物は、どうしてこうもお節介なのだろうか。
明日はもうこの部屋にはいない。だから電気設備に不具合があっても関係ないのだが、受け取るまで廊下で騒がれそうだし、不用意にばったり出くわしたくない。
仕方なく対応することにした。
『あら、いた』液晶画面の山田さんが、びっくりした顔になる。
「ポストに入れておいてください」
『わかったわ。あとね、実家からリンゴがいっぱい届いちゃってね、食べる?』
凄い。こんな時代に食べ物のお裾分けかよ。びっくりしながらも、俺は腹を押さえた。実は、外出すると防犯カメラに映りそうな気がして、食べ物を買いに出ることもできず、空腹である。
「じゃあ……いただきます」
リンゴはチェーンをかけたままでは受け取れないだろう。そう判断して、普通に玄関のドアを開いた。道ばたで立ち話をしていそうな雰囲気の山田さんは、話の相づちで掌を振るように俺の片手を掴んだ。
「え?」
山田さんが持っていたのはリンゴではなく、手錠だった。
「逮捕状が出るまでまだ時間がかかりそうだからさ、取りあえず緊急逮捕ね」
「は? え?」
「あらら。おばさんだからって油断してたの? こう見えて警察なのよ、隣人じゃなくてごめんなさいね」
俺は膝から崩れ落ちた。
女性だから油断していた。警察は男性だと思いこんでいた。
「このまま海外に高飛びされたら困っちゃうじゃない? 上司に相談したら緊急逮捕しろって言うからさぁ」
可愛そうにお腹空いてたの? と同情されて、そこからあとのことはよく覚えていない。
(了)