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第45回「小説でもどうぞ」選外佳作 スローライフ 高岡有雨

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小説・シナリオ
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小説でもどうぞ
第45回結果発表
課 題

隣人

※応募数393編
選外佳作 

スローライフ 
髙岡有雨

 小鳥のさえずりの他には、タタタン タタタン と遠くから電車の音が聞こえるだけだ。この辺りは本当に静か。
 数年前に夫とふたりここに来て、のどかな毎日を過ごしている。
 ぽかぽか陽気に誘われて外に出ると、お隣さんの顔が見えた。最近うちの隣にひとりで入った関口さんは五十代のシングルマザーだ。
「関口さんのところはいつもお花がきれいにしてあっていいわね」
「ええ、息子がこまめに手入れしてくれて。私のことなんてほっといていいのに」
「いいじゃないの。うちなんて息子も娘も遠くに住んでるからって年に一回顔を見せればいいほうだわ」
「森さんのところはご夫婦水入らずでいいじゃないですか」
「陰気くさい夫と中にこもっていると息がつまりそうよ。だからこうして外に出て関口さんとおしゃべりしているのがとっても楽しいわ」
 だいたい八十のじじいとばばあで水入らずもなにもあったもんじゃない。
「あたしも仲間に入れて~」
 もう片方のお隣の葉山さんが缶ビール片手にふらふらとわたしたちのところへやってきた。
「やだ、葉山さんったら昼間から飲んじゃって」
「うちに来る人みーんなビール持ってくるもんだから、どれだけ飲んでもなくならないのよお」
 葉山さんはわたしたち夫婦と同時期にこの分譲にやってきた。いつ見てもほろ酔いだ。
 年は聞いていないけどおそらくわたしと同世代か少し下。ご主人は見えないので独身なのか死別したのだろう。
 余計な詮索はしないのがわたしたちのルール。いつもこうして女三人外に出て暇さえあればおしゃべりをしている。
 ここは海のそばの小高い丘の上にある分譲で、隣近所との間隔も大きくとられているのが夫婦で気に入って申し込みをした。現役の頃は都心のゴミゴミした街の狭いマンションで暮らしていたので老後をこんな自然の中でゆったりと過ごせるなんて幸せ。
 両隣の関口さんと葉山さんも本当にいい人で、どれだけおしゃべりしても飽きることはない。わたしってばなんて恵まれているんだろう。
 日が暮れて中に入ると、陰鬱な夫の顔が目に入ってこちらまでめげそう。
「いつまで気にしてるのよ。もう過ぎたことじゃない」
「本当に申しわけないことをした」
「そのおかげで思っていたより早くここに来られたんだし、関口さんや葉山さんっていう隣人に恵まれて、わたしは今とっても幸せよ」
 夫は何年も前の過ちをクヨクヨ悔やんでふさぎこんでいる。
 たまにはわたしみたいに外に出て海でも見ながらご近所さんと立ち話でもすればいいのに。なにを言ってもしくしくと泣くもんだから鬱陶しくてしかたない。せっかくこんなにすてきなロケーションのところにいるのにもったいないったら。
 あくる日もいつものように関口さんと葉山さんとおしゃべりに興じていると、ふたりがわたしの腕をつっついた。
「ねえ、あそこに見えるのって」
 ふたりが指さす方に目をやると、中年の男女が歩いてくるのが見えた。
「森さんのお子さんたちよね」
 ふたりは、わたしがなんだかんだと言いながら息子や娘に会えるのを楽しみにしていることをちゃあんと知っている。
「やだ、あの子たちはいつも来るのが急なんだから」
 それにしても盆でも正月でもないのに息子と娘ふたりそろって来るなんてどういうことだろう。ほんの少し嫌な予感が頭をかすめた。
 息子と娘は歩きながらなにやらもめているようだった。近づいてくると少しずつその内容が聞き取れた。
「まだ言ってるのかよ」
「だって、ここはお母さんがどうしてもって言って決めたのよ。そんな勝手に」
「勝手も何もないだろう。お前も遠くてここに来るのは大変だって言ってたじゃないか。だったらおれたちが住んでるところの近くのほうがいいだろ」
「でもあんな、味気ない」
「味気なくてけっこう。管理費だってタダじゃないんだ。おれが出すからお前は文句言うなよ」
 イヤだ、ご近所さんの前で兄妹喧嘩なんてみっともない。
「やあね、ふたりして。ちょっと静かに」
「だいたいなあ」
 わたしの言葉を息子が大きい声でさえぎる。
「おれが免許返納しろって何回も言ったのに、お前がうやむやにするから親父も案の定事故を起こして墓の下だ」
「それは言わないでよ!」
 娘が今にも泣きそうな声で叫ぶ。
「まあ他人を巻き込まなかっただけよかったかもしれないがな。親父もおふくろも一度にいなくなっちまうなんて考えもしなかったな」
 息子が目頭を押さえる。
 関口さんと葉山さんの顔が見られない。
「だいたいなんでわざわざこんな田舎の墓を買ったんだ。管理する方の身にもなってみろって」
「お兄ちゃん」
「おれが契約したマンション型の墓はすごいぞ。カードをかざすと自動で遺骨が出てくるんだ」
 息子は最新式のお墓の仕組みを妹である娘に嬉々として語っている。
「森さん、出て行っちゃうの?」
「せっかくなかよくなれたのにねえ」
 息子と娘の会話を聞いてすべてを察した関口さんと葉山さんが、わたしの肩をそっと抱いた。
「都内の最新マンション型なんておしゃれでいいじゃない」
 落ち込むわたしをなぐさめようと、葉山さんが言った。
「いやよ。マンションなんて。あなたたちみたいな隣人に恵まれるとは限らないのよ」
「あら、少しはあたしたちのこと気に入ってくれていたのかしら」
「あたりまえじゃない」
 わたしがきっぱり言うと、関口さんと葉山さんの目から涙がこぼれた。
 ああ本当にあなたたちって最高の隣人だわ。
(了)