現代と昔で大きく意味が異なる言葉 その2
「空気」
「空気」ということばがあるが、「空気」は嘉永二年(一八四九)の和製造語である。それ以前は、存在は知られていなかったと言うか、意識されていなかった。
私たちが日常的に空気を呼吸しているにも拘わらず、である。
「呼吸」は、荘子(紀元前三百六十九年頃~二百八十六年頃』が書き表した『荘子』の第十五巻『刻意第十五』次のように出て来る。
このように、非常に古い言葉である。
ところが、「深呼吸」となると、そうはいかない。
「深呼吸」は明治三十九年に石川啄木が『葬列』の中で使った造語で、それ以前の時代なら「深」を削除して使わなければならない。
「雰囲気」
近代の言葉はややこしいが、中でも筆頭は「雰囲気」だろう。
「雰囲気」は幕末の頃の造語で、最初は「地球を取り巻いている大気」の意味であった。
「その場の空気・気配・様子」といったニュアンスの「雰囲気」は、明治四十二年の北原白秋の造語であった。
なお、「その場の空気・気配・様子・佇まい」も「地球を取り巻いている大気」も、英語にすると、全く同じ「atmosphere」である。
北原白秋は早稲田大学の英文科の出であるから、英語の意味を熟知していて、現在の用法を編み出したものと思われる。
北原白秋のお蔭で、英語には意味が残っている「atmosphere」も、本来の「地球を取り巻いている大気」の意味が消し飛んでしまった。
更にややこしくしたのが、シーボルトである。
シーボルトは「呼吸」を英訳するに際して「inspiration」とした。
「inspire」は「息を吸い込む」であるから、確かに「吸気」である。
しかし、「inspiration」と聞いて「吸気」だと直感的に思う人は、日本人には、ほとんどいないだろう。
圧倒的大多数の人は、まず「アイディアの閃き」「発想が思い浮かぶこと」といったイメージで捉えるだろうと思われる。
「厄介」
このように言葉は変遷するのだが、厄介な言葉の一つに「厄介」がある(冗談でなく)。
「厄介」は現代人は「難儀」「日常生活の困難で障礙(しょうがい)の多い問題」といったニュアンスで捉えているものと思われる。
そもそも「厄介」は「扶養家族」の意味だった。
それに、やがて「居候」「食客」の意味が加わった。
要するに、自分ではほとんど働かず、ただ飯を食わせてもらっている人間のことである。食わせている立場の人間にとっては、よほど裕福な家でもない限り、迷惑なこと、この上ない。
「厄介者」である。
もっとも、この「厄介者」という言葉は、文化十年(一八一三)に式亭三馬が現代の用法で使い始めた造語である。
式亭三馬以前は「厄介者」という言葉自体が「扶養家族」を意味した。
ということは、式亭三馬以前の時代においては、扶養家族にただ飯を食わせることは、ごくごく当たり前の常識で、さほどの迷惑ではなかったのかも知れない。
核家族時代の現代にあっては、大多数の人にとっては想像もつかないだろう。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。