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「小説の取扱説明書」~その50 現在形をどう使うか

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作文・エッセイ
小説の取説

 

公募ガイドのキャラクター・ヨルモが小説の書き方やコツをアドバイスします。ショートショートから長編小説まで、小説の執筆に必要な情報が満載の連載企画です。

第50回のテーマは、「現在形をどう使うか」です。

現在形には時間の感覚がない

なぜ現在形を使いたがる人がいるのかはわかりませんが、おそらく義務教育時代に「現在形を使うと目の前で起きている感じがでる」と教わり、それでやっているのか、あるいは、〈――た。――た。――た。〉と同じ語尾が続くのを避けるためにやっているのでしょう。

いずれにしても、よく考えたうえで表現しているのではなさそうです。

確かに、「血が流れた」より、「血が流れる」と書いたほうがライブ感はあります。

一方で現在形にすると、そうした事実があったという意味合いが失われます。

〈負けないように必死に努力した。〉と書けば、そうした事実があったのだと示せますが、

〈負けないように必死に努力する。〉」と書くと、これはそういう概念を示しただけであって、出来事は意味しません。現在形には時間の感覚がないのです。

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない。
(夏目漱石『こころ』)

最初のセンテンス以外は現在形です。

現在形で書くと、今まさに告白をしているような印象を醸すことができます。だから、現在形なのです。

試しに、すべて過去形にしてみましょう。

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けなかった。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからだった。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云いたくなった。筆を執っても心持は同じ事だった。余所々々しい頭文字などはとても使う気にならなかった。
(夏目漱石『こころ』語尾加筆版)

現在形のときは、「今まさに出来事が起きている最中」という印象でしたが、過去形にすると、出来事が起きたのはあくまでも過去であって、今はそれを振り返るようにして書いているという印象になりますね。

過去において出来事が起きたことはわかりますが、〈余所々々しい頭文字などはとても使う気にならなかった。〉と言われると、それは過去の話であって、今は違うのかなと思ってしまいます。『心』の冒頭に関しては、現在形で正解だったということですね。

では、それならなぜ冒頭の一文だけは過去形にしたのでしょうか。

まず、すべて現在形にするとふわっとした印象になってしまいます。

また、小説の中には敢えて書きませんが、語り手の立ち位置はあくまでも今現在であり、それを忘れて現在形で書くと、何が現在で何か過去なのかわからなくなるからです。

過去を現在として書くから現在形にできますが、今現在から見れば出来事が起きた時間はあくまでも過去なのです。

それで最初の一文だけは過去形にし、「これは今現在から見ると過去の話であり、過去においてこういう出来事があったんだよ」と印象づけておいて、そのあと、現在形をもってきたものと思われます。

現在形を使うときは、段落の最初などどこか重要なところに過去形を置いておく。乱用はせず、使うときは過去形でないほうがいいと判断できるところだけにする。うまい小説家はそのように書いていると思われます。

(ヨルモ)

 

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ヨルモって何者?

公募ガイドのキャラクターの黒ヤギくん。公募に応募していることを内緒にしている隠れ公募ファン。幼馴染に白ヤギのヒルモくんがいます。「小説の取扱書」を執筆しているのは、ヨルモのお父さんの先代ヨルモ。