角川春樹小説賞 その3
敢えて「現代語」で書く
今回も、前回に引き続き、角川春樹小説賞について論じる。
取り上げるのは、第10回受賞作の『童の神』(今村翔吾)である。第9回受賞作の『乱世をゆけ――織田の徒花、滝川一益』と比較して、段違いに出来映えが良い。ぐいぐい物語世界に惹き込んでいくだけの、卓越した筆力がある。
さすが第19回の伊豆文学賞を受賞、第23回の九州さが大衆文学賞大賞と笹沢左保賞をW受賞し、第96回のオール讀物新人賞と第8回の野性時代フロンティア文学賞候補という錚々たる応募実績は伊達ではない。
『童の神』は、第160回の直木賞候補と第10回の山田風太郎賞候補にもノミネートされている。
これほどの『童の神』と比べ『乱世をゆけ』は、遥かに見劣りがする。見劣りがするから、前回、書いたように、時代考証間違いの出鱈目ぶりが、どうしても目に付く。
時代考証間違いという点に関しては、『童の神』の物語の舞台は、平安時代で、この時代には存在しなかった言葉が『童の神』には頻出する。敢えて言うなら「現代語」である。
が、おそらく作者の今村翔吾は、きちんと承知の上で、「このほうが、今の読者には読みやすいはず」という信念に基づいて、現代語のオンパレードで『童の神』を書いている。その点が、時代考証の無知ぶりを露呈した佐々木功と根本的に違うところ。
それを明確に感じたのは、1里を約4㎞と註釈して書いてあったこと。1里が4㎞になったのは江戸時代で、それも主要5街道だけである。
全国的に1里が4㎞になったのは、明治時代になってからである。平安時代の1里は、中国に倣って、およそ500mだった。
しかし、1里=500mの換算率で書いたら、おそらく現代の読者の大半は、ついて来られない。執筆の基準が「現代感覚」に統一されているから、良いのである。
『童の神』の剣戟シーンの迫力などは素晴らしく、帯に「北方謙三、今野敏、角川春樹、満場一致の大激賞!」とキャッチ・コピーが書かれているのも頷ける。
この剣戟シーンは、時代劇で新人賞を射止めようと目論んでいるアマチュアは是非とも模倣して欲しい。
超有名人を登場させるべからず
もっとも、『童の神』に問題点がないわけではない。新人賞を狙うアマチュアが犯しそうな問題点である。
基本的に新人賞は「他の人には思いつかないような物語を書ける新人を発掘する」ことに主眼を置いて選考が行われる。したがって、似たような設定の物語は、束にして落とされる。
つまり時代劇だと、超有名人が登場する応募作は、他の応募者とアイディアがバッティングする確率が極めて高いからダメなのである。
例えば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、真田幸村、徳川綱吉、徳川吉宗、徳川家斉、徳川慶喜、田沼意次、松平定信、井伊直弼、近藤勇、土方歳三、沖田総司、斎藤一、渋沢栄一、千葉周作、桂小五郎、高杉晋作、坂本龍馬などは完全アウトな人物と言える。
こういう見方で『童の神』には、知名度から言ったら完全アウトな登場人物が出て来る。それも1人や2人ではない。山ほど、である。
まず、主人公が大江山の酒呑童子(最初は、酒呑童子とは分からない。「桜暁丸」という幼名で書かれ、酒呑童子だと分かるのは、物語の後半になってからである)。
しかし、物語が始まって早々に、物語の鍵を握る重要人物として、陰陽師の安倍晴明が出て来る。
他に、源頼光、渡辺綱、坂田金時、金太郎、怪盗の袴垂(藤原保輔)、藤原道長と、前述の超有名人と同程度に超有名な歴史上の人物が出て来る。
また、朝廷(実際は藤原道長)が酒呑童子討伐軍を、源頼光を総大将に、数千人規模で起こすが、おそらく、この時代の日本の総人口は、500万人から600万人程度。
これほど大人数の討伐軍を編制できたわけがない。そういったところは意図的に無視して、とにかく迫力重視で書いたところに『童の神』の良さがある。
ところで、時代劇の受賞作で、平安時代を舞台にした作品は少なく、最近では、第13回の鮎川哲也賞受賞作『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子)と第19回の松本清張賞受賞作『烏に単は似合わない』(阿部智里)あたりが記憶に残る程度である。
つまり、平安時代を舞台にした時代劇は、ほとんど売れない(『千年の黙』はミステリーだし、『烏に単』はライトノベルで、時代劇ファンを読者層には想定していない)からだが、『童の神』が直木賞候補にノミネートまでされたことで、大いなる勘違いをしたアマチュアが、平安時代を舞台に、超有名人(源義経、源為朝、木曾義仲、巴御前、弁慶など)を登場させる応募作を諸新人賞に応募することが予想される。
そうすると選考委員は「また、似たようなのが来た」と、真剣に読まずに落とすことになる。
その辺りを、じっくり考えて応募作のプロットを練って欲しい。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。