ヨルモの「小説の取扱説明書」~その25 主人公の死~
公募ガイドのキャラクター・ヨルモが小説の書き方やコツをアドバイスします。ショートショートから長編小説まで、小説の執筆に必要な情報が満載の連載企画です。
第25回のテーマは、「主人公の死」です。
物語の結末も、時代の影響を受ける
昭和も30~40年代ぐらいまでは、主人公が最後に死ぬのが普通だったんだなあと思ったことがありました。
小松左京の『日本沈没』は2006年にリメイクされているのですが、これを観たあと、改めて1973年(昭和48年)版を観たら、こちらは主人公が日本を沈没させないために犠牲になって死ぬんですね。
最後に主人公が死ぬ……昭和っぽいですね。
誤解のないように言うと、別に主人公が死んでもいいんです。『アルマゲドン』だって、地球のために主人公たちは犠牲になりますが、これに不満を持つ人はいないでしょう。
同様に、1973年当時は、『日本沈没』において主人公が最後に犠牲になっても違和感はありませんでした。当時は、「死んでも国は守るべきだ」という観念があったのでしょう。
今はどうかというと、国のためになら死んでもいいなんて、誰も思いませんよね。21世紀は個が優先される時代であって、滅私奉公なんて思想はない。
だからこそ、2006年版の『日本沈没』では主人公が生き残る設定にしたのかと。脚本家かプロデューサーが、最後に主人公が死ぬことに違和感を覚えたのでしょう。
理由のない死は受け入れられない
1973年版の『日本沈没』に戻りますが、当時は「美しい死への憧れ」という発想もまだ残っていたのだと思います。『忠臣蔵』もそうですし、戦艦大和を扱った映画もそうです。そういうの、日本人は好きなのかもしれません。
小説でも、伊藤左千夫『野菊の墓』、堀辰雄『風立ちぬ』、武者小路実篤『愛と死』、みんな主人公が最後に死にます。そして、いずれもそれらが感動を呼んでいます。
これらの名作は死への過程がきちんと描かれているから成立していますが、問題はなんの伏線もなく唐突に主人公が死ぬことです。
アマチュアの習作では、「そろそろ終わりにしたいけど、どう終わっていいかわからないから、主人公を殺しちゃえ」というようなものがままありますが、これは不満が残ります。イヤミスのような意図的な後味の悪さではなく、「納得できない」という不満です。
たとえば、障害に負けず、一途に努力してきた主人公が夢に向かって努力している。その夢が実現しそうになるが、ふいに暴漢に襲われて死ぬ……。
もともと「一寸先は闇」という主題を打ち出して書いてきたのなら納得できますが、「どう展開させていいかわからないから、主人公を殺して終わりにしよう」というのでは読者はやりきれない。理由がないことは、そう簡単には受け入れられないのが人間です。
結末までの過程をしっかり描く
それを逆手にとったのが、カミュの「不条理」かもしれません。
人を殺しておいて「太陽のせい」って、ちょっと茫然としてしまいますよね。
(ネタ割れですみませんが、ミステリーではないので結末を知ってしまっても文学的価値は少しも揺るぎません)
「展開に窮したら主人公を殺して終わる」は、昔の童話にもよくあったようで、これでは子どもの読者はたまりません。大人はある程度、不条理を受け入れることができますが、「頑張って頑張って、最後に死んでしまう主人公」では子どもにはつらい。
死んだり、罰を受けたりするのには、理由が必要ということですね。
「桃太郎」の鬼だって、「村を荒らす悪い鬼」という設定があるから、最後に成敗されても問題ないです。
しかし。これが「島にいる善良な鬼」という設定だったら、「鬼がかわいそう」と思えて、結末に納得がいかないはずです。
「予想はいくら裏切ってもかまいませんが、期待は裏切ってはいけない」と言います。ハッピーエンドでもバッドエンドでもかまわないのですが、結末に至る過程はきちんと書いておきたいですね。
(ヨルモ)
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ヨルモって何者?
公募ガイドのキャラクターの黒ヤギくん。公募に応募していることを内緒にしている隠れ公募ファン。幼馴染に白ヤギのヒルモくんがいます。「小説の取扱書」を執筆しているのは、ヨルモのお父さんの先代ヨルモ。