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ヨルモの「小説の取扱説明書」~その20 視点によるセリフの違い~

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作文・エッセイ
小説の取説

 

公募ガイドのキャラクター・ヨルモが小説の書き方やコツをアドバイスします。ショートショートから長編小説まで、小説の執筆に必要な情報が満載の連載企画です。

第20回のテーマは、「視点によるセリフの違い」です。

セリフは主人公に聞こえた音

一視点と神の視点、つまり、人物視点と作者視点では、視点が違いますので、書き方も変わってきます。

一視点の場合、小説として書かれた文章は、視点人物が「見たもの、聞いた音、思ったこと」です。

例文で見てみましょう。

 ぼくの座っている席から、JR渋谷駅まえのスクランブル交差点が見えた。十月になって、だいぶ日が暮れるのが早くなっているみたいだ。横断歩道は淡いオレンジ色の縞になり、断崖の端につめかけるように数千という人が待つ四つ角を結んでいる。年齢はいろいろだが、ほとんどは浮きあがるように楽しげなカップルだった。
(石田衣良「十五分」)

一人称(ということは一視点)で書かれていますので、ここに書かれたことは、すべて「ぼく」が認識したことになります。

「ぼく」が、「スクランブル交差点が見えた」「だいぶ日が暮れるのが早くなっているみたいだ」「ほとんどは浮きあがるように楽しげなカップルだった」と思ったわけです。

一人称の文章の中に、

「やあ、久しぶり」

というセリフがあったとしたら、それは主人公にそういう音(声)が聞こえたという意味になります。

地の文に主人公の内面を書いていい

一視点の小説では、小説として書かれる文章は「すべて主人公の内面」です。

ということは、地の文の中に、そのまま内面の声を書くこともできます。

 ぼくの座っている席から、JR渋谷駅まえのスクランブル交差点が見えた。平日だというのに人出が多い。
 みんな暇なんだな。早く帰ればいいのに。

と書いてもかまいません。内面の声だからといって、

 ぼくの座っている席から、JR渋谷駅まえのスクランブル交差点が見えた。平日だというのに人出が多い。
(みんな暇なんだな。早く帰ればいいのに)

というふうにカッコをつける必要はありません。

実際に発話した声を「  」でくくり、内面の声は(  )でくくるのは、神の視点で書くときです。

神の視点では、地の文は作者による説明

神の視点の場合、小説として書かれたことは、すべて作者による説明です。

ここが人物視点との大きな違い。

 山椒魚は悲しんだ。
彼は彼の棲家である岩屋の外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることはできなかったのである。(中略)
諸君は、発狂した山椒魚を見たことはないであろうが、この山椒魚にいくらかその傾向がなかったとは誰がいえよう。諸君は、この山椒魚を嘲笑してはいけない。
(井伏鱒二『山椒魚』)

「諸君は」と言っているのは山椒魚ではありません。作者(語り手)が直接書いています。

神の視点はそういう前提で書かれます。

ですので、神の視点の場合、作者による地の文とセリフは区別され、

(みんな暇なんだな。早く帰ればいいのに)

のように、内面のセリフを(  )付きで書くわけです。

(ヨルモ)

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ヨルモって何者?

公募ガイドのキャラクターの黒ヤギくん。公募に応募していることを内緒にしている隠れ公募ファン。幼馴染に白ヤギのヒルモくんがいます。「小説の取扱書」を執筆しているのは、ヨルモのお父さんの先代ヨルモ。