ヨルモの「小説の取扱説明書」~その13 一人称小説~


公募ガイドのキャラクター・ヨルモが小説の書き方やコツをアドバイスします。ショートショートから長編小説まで、小説の執筆に必要な情報が満載の連載企画です。
さて、第13回目のテーマは、「一人称小説」についてです。
「私」が認識したこと=「一人称小説」
一人称小説は、語り手自身が主人公になって、「私」「僕」などの一人称で語っていく形式です。
語り手=主人公で、主人公が自分の目を使って語っていくということです。
目と書きましたが、心の目と解釈してもいいです。主人公である「私」が見たもの、聞いたもの、思ったことを書いていく形式ですね。
換言すれば、「私」が知らないこと、五感や意識として認識できないことは書けないということです。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。
(川端康成「伊豆の踊子」)
「道がつづら折りになって」いることも、「雨足がすさまじい早さで麓から追って来た」という光景も、すべて主人公の「私」の心に映ったことです。
「私が二十歳で、今、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけてい」ることも、主人公の「私」が認識したことです。
このことはよくよく留意しておかないと、おかしなことを書いてしまいかねません。
たとえば、前出の「伊豆の踊子」の冒頭を、主人公の目を通さない客観描写のつもりで書いてしまい、このあと、「このときはまだ、天城峠がつづら折りになっているとは知らなかった」などと書いてしまえば、読者は戸惑います。
自分で「道がつづら折りになって」と語っておきながら、今度は「このときは知らなかった」って矛盾しているぞ、なんかこの小説、視点がおかしいぞ、と思われます。
ヒーローは、「一人称」向きではない
一人称小説には、もう一つ、注意点があります。
それは自分で自分を語る形式だけに、自慢話のように思われるということ。
三人称で、
〈彼はいい男だ。〉
と書いてもなんでもないですが、
〈ぼくはいい男だ。〉
と書いたら、なんだか自惚れているみたいですね。
だから、ヒーローを描いたりするときは一人称は向きません。一人称で書くときは、主人公はだめ人間のほうがいいんですね。
しかし、三人称で、
〈彼はあの子に一目惚れした。〉
と書いても普通ですが、
〈ぼくはあの子に一目惚れした。〉
と書くと、告白めいていますよね。
一人称は、内面をさらけ出すような小説に向きます。
(ヨルモ)
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「小説の取扱書」を執筆しているのは、ヨルモのお父さんの先代ヨルモ。