ヨルモの「小説の取扱説明書」~その10 語り手の顔出し~
公募ガイドのキャラクター・ヨルモが小説の書き方やコツをアドバイスします。ショートショートから長編小説まで、小説の執筆に必要な情報が満載の連載企画です。
さて、第10回目のテーマは、「語り手の顔出し」についてです。
感情移入しやすい、内面の声
たまたま手元に、O・ヘンリーの「賢者の贈りもの」という短編があります。
その中に、こんな一節があります。
登場するのは、ジムという夫とデラという奥さんです。
ドアが開いた。ジムがはいってきてドアを閉めた。やつれて、ひどく真剣な顔つきをしていた。
この文章は、デラの視点で書かれています。
つまり、デラが「ドアが開いた(のを見た)」、デラが「ジムがはいってきてドアを閉めた(のを見た)」、デラが「(ジムは)やつれて、ひどく真剣な顔つきをしていた(と思った)」という意味の文章です。
デラの内面を通して書いているわけですね。
読者は、デラの気持ちに寄り添うことができ、感情移入もしやすくなります。
先ほどの文章の後には、こう続きます。
――まだ二十二歳になったばかりだというのに――家庭という重荷を背負わされているなんて!
デラになりきって読んでいる読者からすると、急に“天の声”が聞こえたみたいに思えますよね。
これは誰が語っているかというと、作者とも言ってもいい語り手が、人物(デラ)を通さずに、ダイレクトに読者に語りかけてきた文章です。
天の声への違和感(人物と語り手の区別)
神の視点では、こうした“天の声”のような表現が自在にでき、人物の知らないことも自由に書けて便利ではあります。しかし、語り手によるナレーションなのか、人物が認識したことなのかは区別できるように書かないと、ストーリーを混乱させることになります。
上記の例で言えば、この奥さん(デラ)自身が、実は心の中で夫のことを「家庭という重荷を背負わされているなんて!」と思っていると解釈されてしまったら、印象が変わってきてしまいますね。
一元視点はカメラが一台しかないので、作品世界が狭いという弱点がありますが、その点、神の視点は広い世界を扱えます。
短編や童話でも使えますが、「語り手は誰で、誰の目を借りて語っているか」ということがわからない人には諸刃の刃になり得ます。ご注意を!
(ヨルモ)
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「小説の取扱書」を執筆しているのは、ヨルモのお父さんの先代ヨルモ。