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ヨルモの「小説の取扱説明書」~その8 神の視点と大衆小説~

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作文・エッセイ
小説の取説

公募ガイドのキャラクター・ヨルモが小説の書き方やコツをアドバイスします。ショートショートから長編小説まで、小説の執筆に必要な情報が満載の連載企画です。

さて、第8回目のテーマは、「神の視点と大衆小説」についてです。

「神の視点」で書かれた「大衆小説」

神の視点は、作者である語り手が、まさに神のようになんでも知っている立場で語るので、主人公の内面を語ったかと思えば、その前にいる別の人物の内面を語ったりします。

現実世界では、目の前の人の心がわかったら超能力者であって、そんな事態は不自然。だから、神の視点で下手に書くと、なんとも不自然な印象を持ってしまったりします。

ここでまずは、神の視点で書かれた作品が多かった昔の「大衆小説」について記しておこう。

 

唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、こんな一節があります。ちょっと長いけど、引用します。

 クラブ雑誌というのは戦前から戦後にかけてゾロゾロと刊行された、娯楽読み物雑誌群で、『面白倶楽部』だとか『講談倶楽部』、『探偵倶楽部』、『傑作倶楽部』など、“クラブ”と誌名につくものが多かったのでそう総称された。罵倒癖のあった百目鬼恭三郎などには、クラブ雑誌小説というのは“読者に頭を使わせずに、低俗な欲求を満たすことだけが要求され、従って文章は下品でなければならず、登場人物は紋切り型で、月並みな行動パターンと、必然性のないご都合主義の筋書きに乗って動くのが特徴”である。

と、これ以上ないというくらいひどい表現で説明されている。

「神の視点」に貼られた、レッテル

日本の大衆小説にも傑作が山ほどありますが、大衆小説が成立した大正期や昭和初期は、ご都合主義の安っぽい作品が多かったようで、当時の文学者たちは自分たちと大衆小説を一緒くたにされることを嫌っています。

純文学という言い方は、大衆小説との区別のために生まれた呼称と言っていいと思います。

芥川龍之介も、大衆小説について、こう書いています。

 僕は大衆文芸家が自ら大衆文芸家を以て任じているのは考えものだと思っている。その為に大衆文芸は興味本位――ならばまだしも好い。興味以外のものを求めないようになるのは考えものだと思っている。大衆文芸家ももっと大きい顔をして小説家の領分へ斬りこんで来るが好い。さもないと却って小説家が(小説としての威厳を捨てずに)大衆文芸家の領分へ斬りこむかも知れぬ。

 

昔の大衆小説は、神の視点で書かれることが多く、そして、質も悪かったため、「神の視点で書く=粗悪な読み物」というレッテルが貼られたようです。加えて、大正から昭和にかけては私小説全盛の時代でもありますから、「視点がブレる=未熟な作品」と断じられたのだと思います。

もちろん、神の視点でもうまい人が書けばやはりうまいのですが、神の視点は神の視点というくらいですから、作者と作品の距離が遠くなりがちです。作品とは離れたところから書くと、作者自身、話に乗りにくいですし、それを読む読者としても感情移入しにくい作品になります。

うまい人が書くと、この距離の取り方が絶妙で、俯瞰して説明したかと思えば、ぐぐっと人物に寄って場面をリアルに描写したりするのですが、神の視点は、こういう芸当を自然にできる人でなければ難しい気がします。

 

次回は、小説におけるナレーション「語りの中性性」について解説していきます。

(ヨルモ)

「#教えてヨルモ」に答えるヨルモ♪

ここで、ヨルモに届いた小説の悩みをピックアップしてご紹介します。

今回は、「招き猫」さんからいただいた質問を取り上げます。

 

「教えてヨルモ宛」:質問者(招き猫)

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こんにちは。

私の悩みは、「小説を書く上で、自分の知らないこと、世界はなかなか書きづらいこと」です。

資料などで調べて書いたとしても限界を感じ、素人は編集者がついて調べてくれるわけでもなく、どうしても浅く途中でごまかして作者に都合よくとばして書いてしまったりしがちで深みも出ず、想像力でも書けません。

どのように進めて書いていくのがいいでしょうか?

よろしくお願いいたします。

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↓  ↓  ↓  ↓

「招き猫さま」:回答(ヨルモ)

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ご質問いただきありがとうございます。

資料を調べるのは、面倒ですよね。

 

書くにあたっては、2つの方向性があると思います。

1つは、エンタメ性が強い作品の場合

エンタメは、言ってみれば「嘘の話」です。嘘をつくためには、周りをリアルな事実でかためないといけません

ですので、舞台が「寿司屋」なら、「寿司」や「寿司店」について関連書籍を10冊、20冊と読み、寿司屋さんが読んでも「リアルだね」と思わせないといけません。

内館牧子さんも、「とにかく取材して、足下をかためる」と言っています。

取材といっても、アマチュアの場合、寿司店に行って、

「中を覗かせてください。なんなら握らせてください」。なんて言えませんよね。

できることは、寿司職人の知り合いに話を聞くぐらいでしょうか。

それでも現場の人の話は説得力があると思います。それが無理なら「寿司大全」みたいな本を読むだけでも大丈夫です。

ただし、小説で大事なのは、正しく書くことではなく、面白く書くことです

取材したことは、足下を固める材料ではありますが、メインではありません。これを履き違えると、実用書になってしまいます。

もうひとつの方向。

それは、純文学的な作品の場合です。

村上春樹さんは、第一稿の段階ではほとんど取材ということはしないそうです。

寿司店を作中に出す必要があれば多少は調べるでしょうが、大半は自分の知識をもとに推測するそうです。

「たぶん、こんなふうに仕入れ、接客し、こんなことを思っているんだろう」。それがだいたい的中するそうです。

小説家は、1%の知識をもって、あとの99%は想像で補うんですね

0から想像するのは難しいですが、ヒントがあれば想像できます。

想像と言うと格好いいですが、要は確からしい推測をしているだけで、誰でもできます。

小説を書きながら、「はて、神社の社務所ってどんな感じだったかな」と思えば、今はネットがあるので、検索すると説明やら画像やらが出てきます。

ちょっとした場面なら、それでだいたい推測できます。

神社がメインの「神社物語」を書くとなると、関連書籍を読むなどしてもっと詳しく調べないといけませんが、「これで重要な場面がリアルに書ける」と思うと、調べることが楽しくなってきます。

小説家は一つの題材を取り上げると、それでうんちくを語れるほど詳しくなっていますが、それは調べることが楽しい、未知のことを知ることに快感を覚えるからだと思います。

ご質問には、「想像力でも書けません」とありましたが、あんまり難しく考えず、自由に想像してみましょう

考え方としては、

事実かどうかより、読んだ人が騙されるようなうまい嘘をついてやろう」と思って想像してもいいかもしれません。

想像のためには、多少の資料は必要ですが、資料にあたるのも、楽しんでやるといいと思います。

でも、取材は土台であって、それだけでは家になりませんので、そのあとはしっかりした家づくりに注力してください。

 

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ヨルモって何もの?

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「小説の取扱書」を執筆しているのは、ヨルモのお父さんの先代ヨルモ。