アガサ・クリスティー賞 その2


10項目、欠点を挙げられるかどうか
今回も、前回に引き続き、アガサ・クリスティー賞について論じる。
まず、取り上げるのは、第6回の優秀賞受賞作の『花を追え』(春坂咲月)である。
ハヤカワ文庫に収録されていて、簡単に入手できるので、ここから先を読む前に、まず『花を追え』を読んでそれから本文の続きを読んで欲しい。
さて、ここから、あなたが『花を追え』を読了したもの、という前提に立って、話を進める。
あなたは『花を追え』を、「上手だ」「良くできた作品だ」と感じただろうか?
もし、そうなら、あなたがビッグ・タイトル新人賞のグランプリを射止める可能性は果てしなく遠い。まず、確実に10年以上は要する。最悪、最後まで新人賞には手を届かずに終わる可能性も、かなり高い。
正反対に「大したことない作品だなあ。これで、よく優秀賞を受賞できたもんだ」という感想を持ったとしたら、どこに欠点があるか、箇条書きに10項目、欠点を挙げられるかどうか。
そういう細かい分析ができず、ただ漠然と「大したことないなあ」と感じた程度であったら、やはり、あなたがビッグ・タイトル新人賞のグランプリを射止める可能性は、まだまだ低い。
項目立てて分析できなければ、あなたは“傾向と対策”を立てる能力が著しく低い。
では、『花を追え』の欠点を項目立てて挙げていくことにしよう。
①主人公の八重に全く魅力がない。
これは誰でも感じるだろう。引っ込み思案で、とにかく、やたらと会話が吃る。やたらと溜息をつく。これで、相手役の宝紀から、なぜ惚れられるのか。全くリアリティがない。
つまり、主人公のキャラが立っていない。これでキャラが立っていれば、諸々の欠点はあるが、グランプリを射止められただろう。
現状は「これで、よくもまあ、早川書房は優秀賞に選ぶ“大盤振る舞い”をしたものだ」である。ハイレベルの争いになっていたら確実に予選落ちするレベルで、選考委員の北上次郎も「昨年よりレベルが落ちる」と明確に指弾している。
②登場人物の登場比率が良くない。
八重が主人公の単独主人公なのか、と思って読んでいくと、第2話の冒頭は宝紀が主人公で、第4話の6節に、第3の主人公の祭文が出てくる。つまりトリプル主人公の物語である。
トリプル主人公の場合の登場比率は4:3:3で、均等なほど良い。これよりアンバランスになると、選考時の減点対象。ハイレベルの争いなら落選に直結する。
『花を追え』の登場人物比率は9:0.6:0.4ぐらいだろう。もっと八重に偏っているかも知れない。
これはページを捲って確認してみてほしい。『花を追え』は、中途半端に第2、第3の主人公を出したりせずに徹頭徹尾、八重の単独主人公で押し通すべき物語なのだ。
③鸚鵡返しの台詞が、やたら多い。鸚鵡返しは基本的にNGである。映像脚本は重要なことは鸚鵡返しが基本(台詞は片端から消えていくため)だが、小説では反対に「芸がない」として選考時の減点対象になる。
これも、この回の応募作のレベルが極めて低かった証明になる。これも、ページを捲って、頻出する鸚鵡返しの数を勘定してみてほしい。あまりの多さに、呆れ返るはずである。
④強調語の「しまう」「しまった」を乱用している。
基本的に強調語は、時たま出せば、その部分が強調されて非常に効果的になる。
しかし『花を追え』のように、めったやたらと出したのでは、少しも強調にならない。最初のうちは良いが、次第次第に「悪文」が鼻についてくる。
⑤間投詞や、キャラに無関係の無駄な台詞の乱発。
「あ・あら・ええ・へえ・はい・うん・ああ・ふむ・うむ・そう・ほう・いや・いえ・しかし・やあ・はあ・まあ・あの・おお・おい・もしもし・えーと・すいません・ありがとう・おはよう・こんばんは・こんにちは・おつかれさん・もちろん」など、実際に喋るであろう応答の台詞を全て忠実に再現すると小説は果てしなく冗漫になっていく。
こういう形式的な頻出間投詞や副詞は、登場人物のキャラクターに無関係だから、基本的に不要。たまに使用する分には良いが、これだけ乱発すると“水増し”にしか見えない。
選考委員は上記の③④⑤を「応募規定枚数の上限に近づけるための水増し」と見なして(応募規定枚数の上限に近いほど有利、という根拠ゼロの都市伝説が流布しているせいで)選考時の減点対象にする。これまた、この回の応募作の水準が低空飛行だった傍証になる。
⑥メイン・テーマ以外のことが不勉強。188ページの13行目に「RAY、英語のレイがフランス語の発音だとへになるんだよ」という文章がある。
作者が無知なら、選考委員も、早川書房の編集者も全員が無知。フランス人は「はひへほ」のH音が発音できない「ホテル」は「オテル」になる。よくもまあ、こんな無知を恥ずかしくもなく世に出せたものだと呆れるばかり。
私は何でも屋なので、実はフランス語の教科書も出しているが「RAY」なら読みは「レ」である。どう間違っても「へ」になりようがない。生半可な知ったかぶりは自分の首を絞める。
⑦「目を丸くする」「くすりと笑う」「不敵に笑う」のような、使い古された個性ゼロの形容が頻出する。こういうボキャブラリーの貧弱さも、実に情けない。
まだある。残り3項目は、このサイトの読者諸氏への宿題としよう。『花を追え』の欠点を10項目、即座に挙げられるようなら、あなたの“傾向と対策”の分析能力には合格点が付けられる。
プロフィール
若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。