若桜木虔先生の指導でデビューした方々の声(川越宗一)
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『第25回・松本清張賞受賞』
そして僕が若桜木先生の門を叩いた(つもりでメール添削講座に申し込んだ)のは、初めて書いた小説で夢膨らませて応募した第24回の松本清張賞に、一次選考にも引っかからず落選したことを知った日でした。
――などという文章は悪文である。
そう教えてくれたのが、若桜木先生でした。
若桜木先生の指導を受けるきっかけは先の悪文の通りなのですが、僕の場合はとにかく文章の書き方、読みやすい構成をみっちりと指導されました。
一文中の動詞数は三個まで!
指示語、指示代名詞は避ける!
接続詞、とくに「そして」「しかし」は使わない!
回想シーンは入れない!
などなどの添削の書き込みで、提出した僕の原稿はいつも真っ赤になっていました。
文章のクセというのは身体化してしまっているためか、なかなか直しにくいものです。若桜木先生は僕が何度も繰り返す過ちを、淡々と、けれど必ず指摘してくれました。
添削の受け初めの頃は真っ赤だった原稿も、数カ月経つと赤い個所が少なくなり、成長をしみじみ感じたものでした。
また若桜木先生のご指導は、速度も大変ありがたかったです。
というのも、小説を書くとは地道で孤独な作業です。相談するにも相手がいません。言い換えれば、投げ出したくなるほど鬱々とした日々が続きます。
ですが若桜木先生の場合、夜更けに書いて出した原稿はたいてい、朝起きる時までには添削(真っ赤なのですが)して返してくれます。
朝、添削を確認する。昼は一日考えながら仕事をし、夜に書いて提出する。翌朝にまた添削を確認する。いつの間にか執筆のリズムが出来上がっていて、おかげで気持ちが折れることなく最後まで書くことができました。
落選した次の年の松本清張賞を受賞できたのは、様々な幸運が重なってのことと我ながら思います。ただ、その運をつかむところまで僕を引き上げてくれたのはメール添削でのご指導の数々です。これがなければ今の僕はなかったと強く思います。
[wakasaki_debut]