コロの家出
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コロの家出
池田典子
右見て、左見て。誰もいないな。よし、計画実行だ!
少し開いた門を鼻で押し開けて、外に飛び出す。これで自由だ!
ボクは柴犬のコロ。大通り沿いの家に住むこの街一番のイケメンさ。
ご主人様は小学校四年生のナナちゃん。とても明るくて優しい子なんだ。ボクのことをとてもかわいがってくれる。ボクは最高に幸せな犬だな。
ただ最近ちょっと……。散歩に連れていってくれるけれど、リードにつながれていて自由がない。一度でいいから公園を自由に走り回ってみたいんだ。それと、もう一つ行ってみたいところもあるし。
そこで、ボクは家出を計画した。
今日の道路はずいぶん車が多いぞ。気をつけて渡らないとな。よし、流れがとぎれた。せーの!
……あぁ、来ちゃった。右、左、よし行くぞ!
……あぁ、まただ。仕方がない。横断歩道に行くか。
しっぽを上げて横断歩道を渡った。今のところうまくいっているな。途中で友達のチロも誘ってみたけれど、鎖で繋がれているから無理だと断られてしまった。残念だ。
しばらく歩くとついに公園にたどりついた。目の前に広がるのはさわやかな緑のじゅうたんだ。顔にさわさわと優しい風があたって心地がいい。
やったぞ! 自由に走り回れる!
ボクはスピードを上げた。風と追いかけっこをするように、思いっきり走った。気持ちいい!
よし! 一つ目の目的は果たした。
残るはあと一つ。あの柵だ。
公園の奥にある背が高くて白い柵。近づくと鼻をくすぐる甘い匂いがするあの柵の向こうが、ずっと気になっていたんだ。
ところが、近づこうとすると、ナナちゃんはダメといってリードを引っ張ってくる。そんなことをされるとますます気になってしまうのがこのボクさ。今日は邪魔するものはいない。ワクワクしながら柵の方へ走っていった。お、通れるぞ。このまま一気に突入だ!
ボクは柵の間を勢いよくくぐっていった。すると……。
すぐに足元の地面がなくなった。急な坂をゴロゴロ転がっていく。スピードがどんどん速くなっていく。助けて!
どしんと塀にぶつかって、やっと回転が止まった。ここはどこだ? 見たことのない場所だ。どうしよう……、帰れなくなったら!
ぶつかった背中がとても痛い。こわいよ。
ナナちゃん、助けて!
泣きそうになっていたとき、甘い匂いがボクの方へふわっとやってきた。どうやらこの塀の向こうからのようだ。そこはパン屋さんだった。お店の中にはおいしそうなパンがたくさん並んでいる。
お店の前で眺めていると、中から真っ白な服を着た太っちょなおじさんが出てきた。おじさんは泥だらけのボクの前にかがみこんで、優しい笑顔で言った。
「ボクちゃん、どこから来たの? まさかこの崖から落ちてきたのかい?」
ボクはしっぽを振りながら、おじさんの目をじっと見た。おじさんは優しくボクの頭をなでてくれた。ぐぅぅ、お腹が鳴った。
「お腹がすいているの? パンをあげようか」
おじさんは、焼きたてのバターロールを食べさせてくれた。ほんのり甘くておいしかった。
「ボクちゃん、家はどこだい? 崖の上にあがったら自分で帰れるかい? おじさんが送っていってあげるよ」
おじさんはそう言うと、軽トラックで崖の上まで送ってくれた。ボクはおじさんにお礼のひと吠えをすると、家に向かっていちもくさんに走っていった。
家に着くとだれもいなかった。ボクは門の前でみんなの帰りを待った。
ところが、いつまでたっても帰ってこない。どうしたんだろう? ボクは不安な気持ちでいっぱいになった。
もうすっかり暗くなった頃、ナナちゃんが帰ってきた。ボクの顔を見たとたん、パーッと明るい笑顔になって抱きついてきた。
「どこに行ってたの? 心配したんだよ」
ナナちゃんの目から大粒の涙が流れてきた。ごめんね。ボクは心の中で謝った。ナナちゃんの腕の中はとてもあたたかくて、自分がどんどん安心していくのがわかった。
もう家出はやめよう。あとからやってきたパパに抱きかかえられて、思わず目がトロンとなった。
次の日から、ボクは公園の柵に近づくのはやめた。
かわりに崖の下に向かって大きな声で精一杯ほえるようにした。パン屋さんにお礼を言っているつもりさ。聞こえているかな?
崖の下からは今日も甘い匂いがふんわりと広がっていた。