ふたりでおるすばん
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ふたりで
おるすばん
吉見人子
日曜日の朝。おかあさんは仕事に行くしたくをしています。今日はお仕事お休みじゃないの? と、たっくんが思っていると、
「ごめんね。急に仕事行くことになったの。けんちゃんとおるすばん、お願いね」
――えー。けんちゃんとふたりで? いやだな――
と思っている間に、
「じゃあ、あとよろしくね」
けんちゃんに声をかけると、おかあさんは出かけてしまいました。
ふぁ~とあくびをしながらリビングにやってきたけんちゃん。まだパジャマのままです。
――ぼくはもう朝ごはんを食べて服だってひとりで着がえてるぞ。おとななんだから、もっと早起きしなよ――
けんちゃんは冷蔵庫から牛乳を出し、おかあさんが用意してくれたトーストを、もふもふ食べはじめました。寝ぐせもそのままで、まるでカピバラみたいです。
たっくんのおとうさんは、たっくんがまだ赤ちゃんのとき、病気で亡くなりました。けんちゃんは、ちょっと前からいっしょに暮らしはじめた、おかあさんの彼氏です。
たっくんは、きのう保育園でまみちゃんに言われたことを思い出していました。
「たっくんのパパは会社に行かないんだね。うちのママが言ってたけど、売れない小説家だからずっとうちにいるんだって」
――売れてないは、よけいだよ。それにパパじゃない。けんちゃんだ――
それまで自分の背の高さくらいまで積み上げた積み木が、ガラガラとくずれました。
「あとで、川までさんぽに行こっか」
にかっと笑うけんちゃんの目が、さらに細くなりました。ふたりは、お昼ごはんを食べてから出かけることにしました。
外はいい天気で、五月の風がさわやかです。たっくんは、いつもおかあさんと手をつないで歩きます。けんちゃんは、ふたりのあとを歩き、ときどき立ちどまり、何かメモをしています。今日はけんちゃんとふたりっきりなので、くっついたりはなれたりしながら、川までやってきました。
向こう岸までは大小のとび石があり、石をわたって岸まで行けるようになっています。たっくんは、いつもおかあさんと手をつないで石を渡りましたが、今日はひとりで渡ってみようと思っていました。川の流れはおだやかで、日の光が水に反射して水面が輝いています。
たっくんはひとつひとつしんちょうに、石を渡っていきました。川の中ほどまで来たとき、水面のきらきらがまぶしくて思わず目をとじ、その場にしゃがみこんでしまいました。
そのとき、
「けんちゃんは、やさしい人だよ」
と、下の方から声がしました。目をあけてみると、川の流れにさからって泳いでいる一匹のメダカがいました。
「たっくんとおかあさんが、あぶなくないように見守ってくれているよ」
――メダカがしゃべった!?――
びっくりして石から足をふみはずしそうになったとき、体がふわりと浮きあがりました。けんちゃんがたっくんをだきかかえ、むこう岸まで石を渡っていきます。
「だいじょうぶ?」
たっくんを、とんっとおろし、けんちゃんがたずねました。うん、と答えたものの、しゃべった。メダカが……。
たっくんのひとりごとは、けんちゃんにはきこえませんでした。
さんぽから帰るとけんちゃんは、
「ホットケーキ、食べよっか」
にかっと笑って言いました。おかあさんが用意していたホットケーキを冷蔵庫からとり出し、レンジでチンすればできあがり。たっくんの前にホットケーキの皿がおかれました。ほかほかで甘い、いいにおい。ケーキにはチョコレートシロップでねこの絵がかかれていました。
「このまえはあたしをひろってくれてありがとう」
――しゃべった! ホットケーキのねこ!!――
「たっくんとはいっしょにくらせなかったけど、けんちゃんの友達の家で元気にしてるよ」
びっくりして、いすごとひっくり返りそうになったとき、体がふわりと浮き上がりました。たっくんは無事だったものの、たおれたイスがけんちゃんの足を直撃し、けんちゃんはたっくんをだきかかえながら、ぴょんぴょんとびはねました。
「だいじょうぶ?」
ふたり同時に言いました。
「うん」とこたえたものの、しゃべった。ホットケーキのねこが……。たっくんのひとりごとは、足がいたかったけんちゃんには聞こえていませんでした。
その夜、おかあさんと話していたけんちゃんは、今日ちょっと不思議なことがあって。と言いかけてやめました。
「信じないよね。たっくんのピンチのとき、どこからか声が聞こえたなんて」
それから一年後。今日もふたりでおるすばんです。たっくんは、ねぐせのままリビングにやってきたけんちゃんに言いました。
「おとうさん。川までさんぽに行こうよ。おやつはホットケーキね」