「湊かなえ×柏田道夫」対談【前編】
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現在発売中の公募ガイド1月号は、「湊かなえ大特集」です。デビューから10年経った湊さんの、これまでの軌跡をまとめました。これを記念して、2009年10月号の特集で行った、湊かなえさんと柏田道夫さんによる対談を特別公開します。
1973年、広島県生まれ。2007年「聖職者」で小説推理新人賞を受賞。翌年『告白』でデビューし、09年本屋大賞を受賞。『リバース』『未来』『ブロードキャスト』など著書多数。
小説家、劇作家、シナリオ・センター講師。著書に、『武士の料理帖』(映画脚本も務める)、『一億人の超短編シナリオ実践添削教室』など。
湊かなえさんも昔は公募ガイドの読者でした。作家人生を決定付けるきっかけとなった、柏田道夫さんとの出会いとは? シナリオから小説へと創作の舞台を移した理由とは? ベストセラー『告白』はどのように書かれたのか? 必見の対談です。
柏田
「2009年本屋大賞」の受賞、おめでとうございます。
湊
ありがとうございます! この賞は私にとっても、「いちばん読者に近い賞」だと思っているので、本当にうれしかったです。
柏田
私のシナリオ講座(「公募ガイド」で2014年まで連載)に作品を応募してくれていたこと、覚えています。丁寧な、綺麗な字面が印象的だった。もちろん完成度も高かったし。
湊
私も、先生が返してくださった添削の赤字を、今でも大切にしています。「こんなにきちんと読んでくださってるんだ」って。あのころは、通信制の教室に通っているような気持ちで応募していましたから(笑)。
柏田
公募に応募するスタートは、川柳だったと聞きましたけど。
湊
そうですね。公募ガイドを開いて最初のほうにあった「心理学575」(平成16年)。最優秀作を獲れて、自分の作品が載っているのを見たときの感動は、今でも覚えてます。
柏田
公募生活を始めるきっかけっていうのは、何かあったんですか?
湊
結婚して、淡路島で生活するようになって、時間に余裕ができたんです。それで、「何かしてみたいな」って。はじめは手芸をやってみたんですけど、とにかく時間と場所を取られてしまって、しっくりこなかった。そんなときに、スーパーで公募ガイドを見つけたんです。「これだ!」って思いました。
柏田
時間も場所も気にせず、やりたいときにやれる、と?
湊
そうそう(笑)。はじめはそんなに大きな目標もなくて、なにがしかでこの雑誌に名前が載れば満足できる。そんな感じでした。
頭の中で描いた場面をただ文字にしてみたかった
柏田
その後は、シナリオを書き始めて、私の講座でも何度か優秀作品として登場していただくことになるんですが……そもそも、シナリオを書いてみようと思ったのはどんなきっかけがあったんですか?
湊
何か長いものを書いてみたいというのがあって。もともとが空想好きなんです。頭の中でいろんな場面を思い描くのが好きだったから、そんな場面・映像を文字にするなら、シナリオがいちばんだと思ったんです。それで、先生の講座にあった書式で書き始めてみました。
柏田
じゃ、私の講座も少しは励みになったのかな?(笑)
湊
とっても! 講座に名前を載せていただくのは、少しカン違いしちゃうぐらい励みになったし(笑)、添削で、前回応募した作品のことまで触れられているのを見て、本当によく読んでくださっているんだなって、次の作品を書くモチベーションになりました。
柏田
そうしているうちに、平成17年にはBS-i新人脚本賞で佳作、19年には創作ラジオドラマ大賞を受賞。特にラジオドラマの方は読ませていただいたけど、列車事故の話と骨髄移植の話を上手に絡めて、いろんな思いが重なる、すごくボリューム感のあるヒューマンドラマでしたね。
湊
ありがとうございます。ラジオの脚本は絵がない分、とても難しかったですね。セリフで状況を説明しなければいけないんだけど、説明し過ぎると単なる実況になってしまって……。
柏田
創作ラジオドラマ大賞は、小説推理新人賞を受賞した「聖職者」と同じ年の受賞ですよね? あれだけ中身の濃いものを2本、しかも小説と脚本という別の形で同じ時期に書かれたというのは、ちょっと驚きなんですが。
湊
「聖職者」が11月の締め切りで、ラジオドラマの締め切りが翌年の1月でした。確かに書き続けの数ヶ月でしたけど、「聖職者」を書き終えた時点で、「こんな救いのない話で年を終えるのはいかがなものか?」と思っちゃったんです(笑)。それで、ラジオドラマの方にも応募してみようと。
柏田
小説を書いたのは「聖職者」が初めてなんですか?
湊
いいえ、その前に1本、200枚程度のものを書いて、太宰治賞に応募しました。女子高生がトンガへ行く青春小説だったんですけど、2次を通過して終わりました。
柏田
小説を書き始めた理由は?
湊
脚本を書いてみて、長いものを書くことの楽しみを知りました。それで、別の形の長いものを始めたいと思ったのがいちばんの理由。それと同時に、脚本家としてプロになるためには、地方に住んでいることがハンデになることも知りました。
柏田
確かに、現場での修正や打ち合わせが多い脚本の世界では、地方在住が不利にはたらくことも否めない部分はありますね。小説なら、地方在住の作家さんはたくさんいますから。
湊
その当時は、脚本の賞と小説の賞を同時進行して応募していたので、脚本でできることと小説でできることをどちらも成り立たせようと思っていました。脚本というものは、行き着く先に必ず映像がある。そして、一瞬を表現するなら映像には勝てないなと。だからこそ、脚本ではできないこと、小説だからこそ面白いことを思いっきりやってみよう!っていう意識はすごくあったと思います。脚本では一人のキャラクターがずっと喋っているなんてありえないですから。
柏田
結果、小説も脚本も受賞することになったわけですよね。あの2つの作品は、手応えとして、それまで書いてきたものと違いましたか?
湊
確かにあの2作品は、書き上げられたことにすごく満足できました。賞を獲れても獲れなくてもいいやって。それまで書いたものを振り返ってみると、「この辺までかな」っていう予測が出来ちゃっていました。それが「手応え」ということだったんですね。あの2作品に関しては、そんなものを超えた達成感がありました。