受賞のコトバ 2016年4月
斬新な作風の青春文学小説を募集。選考委員は椎名誠、早坂暁、中沢新一、高橋源一郎。大賞受賞者には賞金100万円が贈られる。
(主催:松山市/坊っちゃん文学賞実行委員会)
受賞者:卯月イツカ(うづき・いつか)
1975年、大阪府生まれ。大阪教育大学教育学部卒業。事務補助。趣味は創作活動全般と読書。変わった人やモノをこよなく愛する。受賞作『名もない花なんてものはない』は、雑誌『クウネル』(マガジンハウス刊)に全文掲載された。
大切なのは「良かったよ」と言ってもらえること
二〇一五年三月末、某賞に初めての長編小説を送った私は浮かれきり、すぐさま次の作品を完成させたくなった。
「何かちょうどいい賞はないか」
公募ガイドを開き、規定枚数・締め切り共に頃合いの『坊っちゃん文学賞』を発見。早速ネットで賞の傾向等を調べ、「青春といえば高校生」ということで、まず登場人物を決めた。そして執筆に取り掛かったが、書いては消しての繰り返しで、驚くほど話が進まない。気分屋で面倒くさがりの性格ゆえに全く書かない日も多く、「この作品は本当に完成するのだろうか?」と何度も思った。
締め切りまで一週間を残すところで、まだ三十枚近く書かねばならない事態に。最終日、リミットぎりぎりに書き終えるも、プリンタの調子が悪く、もう出せないかもしれないと一瞬覚悟した。そんな拙作が、幸運にも大賞を頂いた。
嬉しかったのも束の間、早坂先生の酷評。今までで最低とまでのたまい、なんとも後味の悪い授賞式となった。知人は優しい言葉で慰めてくれたが、厳しい言葉は心に深く刺さり、しばらく随分落ち込んだのだ。
ある日、ツイッターで『坊っちゃん文学賞』と検索をかけてみると、全然知らない人が、拙作を「嫌いじゃないです」とツイートしてくれていた。私は思わず「ありがとうございます」と呟いていた。
賞を頂くことは嬉しい。賞金だって欲しくないと言えば嘘になる。でもそれよりも、お世辞抜きで作品を「良かったよ」と言ってもらえることが一番大切なことだ、と、改めて気づかされた出来事だった。
子供の頃、自分のお小遣いを出して買った初めての本が、福永令三先生の『クレヨン王国シリーズ』だった。「物語を書きたい」と思ったきっかけとなった作品である。幼い私は、ノートに他愛無い童話もどきを一生懸命書いて、途中で飽きて未完のまま終わった。作品一つ完成させられなかったあの時代から比べれば、今の自分は成長したといっていいだろう。ただ、人の心を動かすにはまだ相当の努力をしなければいけないようである。
「いつか小説家になったら、そこに『佳子に捧ぐ』っていれてな」と言った友人がいる。もう会えなくなって二十年は経つが、彼女はそんなことは忘れてしまっただろう。今はまだ到底捧げられそうにもないが、いつか彼女の忘れてしまった夢をこっそり叶えることが、私の小さな夢である。
受賞作:『名もない花なんてものはない』
駐輪場にとめていた自転車のスポークに、アゲハの幼虫が挟まっていた。高校2年生の千花は、隣のクラスの山崎の力を借りて幼虫を救出する。これがきっかけで、千花は少しずつ山崎に惹かれていく??
協賛広告主(14社)の課題にもとづく、20秒のラジオCMコピーを募集。審査員は中島信也、谷山雅計、児島令子、 近藤浩章ほか。グランプリ受賞者には賞金100万円が贈られる。
(主催:文化放送)
受賞者:タイガータイガークリエイティブの合田陽太郎(ごうだ・ようたろう)
1981年、神奈川県生まれ。大連外語学院卒業。CMプランナー。受賞作の課題は、衛生害虫対策のための商品「クリーンドクター」(企業:シー・アイ・シー)。
人生はわからないものです
人生は何があるかわかりません。十年ほど前、僕は湘南にあるイタリアンレストランで働いていました。独身男子ということもあり、あちこちにある支店を飛び回る毎日。人見知りで人前に立つことがあまり好きではなかったのですが、そのぎこちなさが逆に目立ったのでしょうか。様々な人からよくしてもらえました。
さらにわからないことに、それから数年後には海外で珈琲を淹れていました。英語もろくすっぽ話せなかったのですが、今でいうコミュニケーションアプリのスタンプさながらのジェスチャーや表情だけで会話をしていました。また、「日本人は繊細だ」というステレオタイプのおかげでしょうか。僕の淹れた珈琲を毎日飲みに来てくれる常連さんができました。その中には武芸の達人もいたので、異国の地で心細かった自分には、とても心強かったです。
もっと人生はわからないことに、日本に帰った僕は、某面白法人のコピー部に入りました。国語が苦手な理系人間だったのですが、それが逆に違和感となったのでしょうか。僕が考えたゲームの兵士の台詞や、会社で発行していたメールマガジンに対して、Twitter やFacebook などからちょこちょこ反応が返ってきました。やりすぎて、炎上したこともありましたが……。
現在も人生はわからないもので、昨年から大阪に移り、タイガータイガークリエイティブというクリエイティブエージェンシーの会社にいます。肩書きはCMプランナーです。普通の人なら諦めてしまうところを、それに気がつかずに夢を追い続けた鈍感さが功を奏したのでしょうか。ずっとやりたかった仕事に就くことができました。このまま大阪で骨を埋める覚悟です。
逆にわかりたくないのにわかってしまうこともあります。たとえば、僕はもうオジサンということ。にもかかわらず、業界では新米。同じ年の人と比べれば、圧倒的に出遅れています。みんなに追いつくためには、ひとつでも多くの打席に立たなければいけない、とこの賞に応募を決意。50案出すことを目標にしました。それがよかったのでしょうか、それともビギナーズラックなのでしょうか。グランプリをいただくことができました。まさか自分がグランプリをもらえるなんて……。本当、人生はわからないものですね。
受賞作品
SE (扉)
中年男性 ただいま。
(間)
きゃーーーーーーーー。
きゃーーーーーーー。
N あなたの中の女性が目覚める前に。
害虫駆除ならクリーンドクター シー・アイ・シー。