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刺さる文章⑤:伝わるだけでなく共感させ刺さる文章へ

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「伝わる文章」が書けるようになったら、これをさらに進化させ、「共感させ、刺さる文章」を目指しましょう。

剌さる一行を生かすも殺すも描写力

出来事を再現することで読み手に追体験してもらい、言葉で説明することなく体感してもらう。それを実現するのが描写です描写は説明しても伝わらないような感覚、感情などを伝えるのに向き、「うれしかった」「悲しかった」とは書かずに、出来事だけを書きます。
いわば、書かずに表現するというのが描写の極意。
「武士の一分」として映画になった藤沢周平の『盲目剣谺(こだま)返し』は、失明した夫のために家名存続を願い出た妻の加世が、その代償として身体を要求され、死んだ気になって相手に身をまかせるという筋。
それが発覚し、加世は離縁されますが、最終的に加世は許されます。

「今夜は、蕨たたきか」
と新之丞は言った。
「去年の蕨もうまかった。食い物はやはりそなたのつくるものに限る。徳平の手料理はかなわん」
加世が石になった気配がした。
「どうした?しばらく家を留守にしている間に、舌をなくしたか?」
不意に加世が逃げた。台所の戸が閉まったと思うと間もなく、ふりしぼるような泣き声が聞こえた。
縁先から吹き込む風は、若葉の匂いを運んで来る。徳平は家の横で薪を割っているらしく、その音と時おりくしゃみの音が聞こえた。
加世の泣き声は号泣に変った。さまざまな音を聞きながら、新之丞は茶を啜っている。

(藤沢周平「盲目剣甜返し」)

「うれしい」とは書かず、泣かせています。「離縁したことを許す」とは書かず、「食い物はやはりそなたのつくるものに限る」と言わせています。絶妙と言っていい表現力です。
また、主人公は盲人ゆえ、聴覚や嗅覚を使った描写が多く、これも情景を喚起させます。

共感させるには、自分の話ではないかと思わせること

共感や共鳴には「共」という字がつきます。これは「同じ」という意味。書かれたことについて、読み手が「私と同じ」と思うこと。しかし、「朝起きて歯を磨いた」では、「同じだ」とは思っても共感はしません。
「どうせ汚れるのになんで磨くんだろう」ならどうでしょう。ちょっと共感されるかもしれません。
共感されるためには、同じは同じであるけれど、何か心にひっかかっていたような思いを突く必要がありそうです。
又吉直樹・せきしろ共著の『まさかジープで来るとは』の中に、又吉直樹作の自由律俳句として、
「こんな大人数なら来なかった」
という句が載っています。数人の飲み会だと思っていたら十人以上いて、初対面の人と話すのは億劫だなあという感じでしょうか。
また、同書のせきしろ作に
「常連客と楽しそうなので入れない」
というのもあります。常連客の多い店って、なんだかアウェーだという疎外感があります。万人には共通しませんが、わかる人にはわかる。そういうところを突かれると、共感共鳴という現象が起こりやすくなります。

 

※本記事は「公募ガイド2017年4月号」の記事を再掲載したものです。

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