笑いを知れば、もっと小説は上手くなる③:お笑いに学ぶアイデアの探しかた


お笑いと小説は表現方法は違うが、考え方は似ている
漫才やコントを作るときも、まずアイデアが必要になりますが、アイデアは日常生活の中から探します。
たとえば、「コンビニのレジに並んだけど、店員が気づいてくれなかった」という出来事があったとして、ぼやき漫才なら自虐ネタにするでしょう。
また、それが笑い話になるように設定を変えたり、話の順番を変えたり、ツッコミを入れたりして脚色していきます。
このあと、お笑いは実際に演じ、小説は文章で表現するという違いがありますが、ここまでの過程はかなり似ています。
- とっかかりのアイデア
- 作りこみ
- 演技(小説は描写)
ということで、ここでは小説と共通する1と2について説明していきます。
芸人と作家、ジャンルは違うが同じ種類の人間
さて、最近は小説を書く芸人が多く、自らも小説を執筆したことのある「爆笑問題」の太田光さんは、テレビ番組の中でこう語っていました(以下要約)。
「芸人は文学をやるような連中なのかもしれない。お笑いやコントをやっているような連中は、あらゆる方向から考えるクセがついているのかもね」
芸人として常にアイデアを練っているから、小説を書いても発想が秀逸ということでしょう。
また、芸人や作家になりたいと思った人は、いい意味で変人、あるいは、世の中のはみだし者というところがあります。
人間としては同じグループに属すものの、たまたまアウトプット先が違ったというだけなのかもしれません。
お笑い芸人が、面白い発想をする2つの理由
お笑い芸人たちは、なぜ面白い発想ができるのでしょうか。理由は2つ考えられます。
前述したように、芸人は(いい意味で)はみだし者が多い。こうしたアウトサイダーは、世の中のおかしいところ、面白いところがよく見える。
それは外国に行くと、その国の特徴がよくわかるのと似ています。
外にいる人には中がよく見える。
逆に言えば、世の中の中心にいて安住しているような人には小説は書けない。少なくとも世の中とズレていることは必須です。
また、劣等感があり、優等生をはすに見ているようなひねくれ者であるのも不可欠。みんながみんな右に行くなら俺は左に行くというあまのじゃくがユニークな発想を生むわけです。
お笑い芸人が面白い発想をするもうひとつの理由は、日常的に発想のトレーニングをしていること。
お笑いライブがあれば、新ネタを考えなければなりませんし、毎日が大喜利のような生活です。
発想を鍛えたいなら、あなたも芸人になればいいわけですね。実際にはならなくても、なったつもりになって、変人、ひねくれ者を目指す。そして日々ネタを考える。それを続ければ、必ず創作に生きてくるはずです。
なぜだろう、気になる、と思ったらチャンス
日常の中で「?」と疑問に思ったりすることがあります。そのときがアイデアを得るチャンス。
たとえば、群馬県で高速道路に乗ったときはまわり中が群馬ナンバーだったのに、東京に入ったあたりではもう群馬ナンバーはいない。彼らはいったいどこに消えたのか、と思ったとしましょう。
別に不思議でもなんでもない、群馬の人は群馬に帰っただけですが、それで終わりにしてはもったいない。別の解答を考える。
「あんなにいた群馬ナンバー、どこに消えたんやろ」
「あいつら、東京に入った途端、品川ナンバーに変えるんやで。ボタン一つでクルっとな」
「007か」
「東京人のふりしてるけど、ホンマは群馬県民か埼玉県民や」
「へえ、そうやったんかーって、そんなわけあるかー。群馬県民と埼玉県民にいっぺん謝れ」
このアイデアにも大中小があって、10分のコントになる大ネタもあれば、10秒で終わる小ネタもあります。これは小説で言えば、長編向きのアイデアか、短編向きのアイデアかと同じです。
アイデアが結実するまでにはまだ難関が
アイデアを思いついても、問題はそのあとです。
たとえば、「駅を歩いている人の背中に、電車のように行き先が書いてあったら面白いな」などと思ったとしましょう。
これはとっかかりのアイデアですが、このあとが問題です。
「目の前の女性の背中に『天国』とある。女性は飛び込み自殺を図ろうとし、主人公は助ける。事情を聞くと、恋人に捨てられたのだと。その後、女性は恋人を殺し、自らも死ぬ。その背中には『地獄』とある。主人公の行動は女性には余計なお世話だった」
次はこれを文章にするわけですが、ここでつまずく人も。
つまり、死を選ぶならもっと、もっともな理由がないとリアリティーに欠けると思ったり、背中に天国だ地獄だという文字が浮かび出るという話を書いて「実話のようだ」と思わせるにはどう書いたらいいかと悩み、途中で放り出したりしてしまうわけです。
しかし、筆力は書くことでしか身につかないもの。不出来だと思っても完結させましょう。書いた分だけ経験値は上がります。
知っていますか、漫才の歴史
平安時代からある萬歳は、新年に二人一組で家々を訪れ一人が鼓、一人が舞を踊る伝統芸能。
明治期には大阪の寄席で、胡弓・鼓・三味線で囃したてる三曲萬歳が演じられていましたが、今の漫才とはスタイルが違います。
現在のしゃべくり漫才が始まったのは意外と最近で大正期。横山エンタツと花菱アチャコがルーツです。このとき、ボケとツッコミというスタイルが確立しました。
ちなみに当時は「万歳」「萬才」「萬歳」など表記がばらばらだったため、昭和8年、吉本興業が名称を公募。「滑稽コント」「ユーモア万歳」「モダン万歳」「ニコニコ問答」といった作品が寄せられましたが、いずれも決め手に欠き、最終的には同社内の案で「漫才」に決まりました。
その後、漫オは主に関西方面で育ち、1980年の漫オブームにより全国区に。そして芸人はアイドルをしのぐステイタスを得て現在にいたります。
同じ話でも主人公が違うと!
下記はツイッターにあった笑い話。人物が二人登場しますが、どちらを主人公にするかで話が変わってきますね。
状況が隠されている、だから笑える!
トイレに入ると、隣の個室から声が聞こえた。
「元気か? 」
私は戸惑いながら返事をした。
「はい」
「それは何よりだ」
「どうも」
「今、何してる? 」
「トイレだけど」
すると、急に隣の個室が静かになり、小さな声が聞こえてきた。
「隣に変なやつがいるから、またあとで電話するわ」
状況があと出しされているので笑い話になるわけです。
これを逆に相手の立場で語ったらどうでしょうか。トイレで電話していたら、隣の男が執拗に返事をしてくる…… 。こちらのほうは怖い話になりそうです。
※本記事は「公募ガイド2017年6月号」の記事を再掲載したものです。