第8回ゲスト選考委員は芥川賞作家で、
文學界新人賞で選考委員を務める中村文則さん。
2023年10月に発売した新刊『列』執筆秘話のほか、
プロデビューしたい人に向けたアドバイスを聞いた。
なぜ並んでいるのかわからない列で、
現代社会を象徴的に表そうと思った
―― 新刊の『列』は、これまでとはまた違った作風ですね。
『逃亡者』と『カード師』を書いたとき、これまでの僕のやり方ではこれ以上のものは書けないと思ったので、ここで原点回帰というか、アプローチをかえることで新しく見えるものがあるのではないかと。広い世界を書くのではなく、一つの対象に絞って、集中して深く掘り下げていく。そういう形で前作を超えられないかと思いました。
―― あとがきに「人間の存在というものを、特徴的なシチュエーションそのものでも、表現するような小説」とあります。
大勢の人が得体の知れない長い列に並んでいて、誰もがなぜ並んでいるかわからない。まず、この情景が浮かびました。そのとき、列で現代社会を表すことができると思ったんです。今、SNSの時代になり、人は人類史上もっともお互いを比べ合ってしまう時代に入っています。そういう状況を列に並び続ける人たちで表現できると思いました。
―― SNSで幸福そうな人を見ると、相対的に不幸になった気になります。
デュルケムの『自殺論』には、急激な不景気でも社会は乱れますが、急激な好景気でも社会の病理は増えると書かれています。より成功した人を見ると欲望が刺激されますが、叶えられない欲望は苦痛に変わってしまいますので、それがまたストレスになる。これも列で表せると思いました。
―― 第二部にはサルが出てきます。
人間はサルから進化していますので、最新のサル研究を見れば、人間の何かが見えてくるのではないか。「列」と同時に、このアイデアがあったんですね。面白いと思ったのは、ニホンザルはボスザルがいる階層社会というイメージが強いですが、それは動物園や人工的な餌場があるときだけで、自然のサルはもっとゆるい生活をしている。ボスザルもいません。そこから、本当は人間ももっとゆるい存在なのに、社会の何かによってこんなに苦しくなっているのではないかと思い、それが列で表現されています。
―― 人間の中に列を作るような本能的なものがあるんですかね。
人間は動物から進化していますので、その習性から抜けきることは難しい。では、人としてどうすればいいか。それを考えたのが『列』です。読み終わると茫然とするけれど、楽になれたという声もよく聞きます。
―― 隣の列がどんどん進んでしまい、あっちに移ろうかと思ったり。これも何事かを象徴していますね。
列あるあるというか、前後で争ってみたり、誰かが荷物を置いたが、それをどけたり、第一部はそうした列にまつわるトラブルから始まりますが、こうした日常にある光景にも人生の側面が表れています。
―― 作中にある〈一番最悪なのは、これが列ではなくて、円である可能性です。〉というセリフが印象的でした。
そもそも先頭があるのかとか、先頭にいる人も何かでは一番でも、別のものでは一番ではない。結局、比べ合わざるを得ない。これはしんどいですよね。人と比べ合うなというメッセージを出すことは簡単なんですが、現実には難しい。では、その中でどうやって生きればいいか。それを一緒に考えていくような小説として『列』を書きました。
歴史的な名作だと思い、
客観的に読む
―― 中村さんは25歳でデビューされています。
大学を卒業するときに、二年間は小説に集中して作家を目指し、二年経ったら就職して作家を目指すと決めました。しかし、全然うまくいきませんでした。当時は自分のことを「天才」と思っていまして(笑)、「すごい作品ができた」と思って応募するわけです。「これは文学の世界が騒ぎになる」と自信満々で。そしたら一次予選で落選でした。
―― それは信じがたいです。
なんでだと思い、もしかして郵便局が送り忘れたのかもと。だから次は別の郵便局から出したのですが、また一次で落ちたので、そこで「悪いのは僕だ」と気づいた(笑)。何しろ自分のことを天才と思っていましたので、書店で結果を見たときに愕然としてしまい、歩けなくなって。
―― 茫然自失ですね。それからどうされたのですか。
近くの公園に行ってベンチに座り、それから三つのことを決めました。
一つは、人より多く努力する。もう一つは、自分の個性を出そうと思いました。デビューするにはこういう小説がいいのかも、と思うのをやめて、自分が本当に好きなことをやろうと。
―― それはドストエフスキーですか。
ドストエフスキーもそうですし、カミュ、カフカ、太宰治、安部公房、三島由紀夫、大江健三郎さんなど、自分が好きなものの影響を前面に出そう思いました。
―― 努力する、個性を出す、そして三つ目は?
自分を客観的に見ること。これが大きかったですね。以降は書いた作品を寝かすようになりました。時間をおいて、自分が書いた作品ではなく、「これは歴史的な名作だ」と思って客観的に読む。そうすると、「あれ、これ名作ちゃうぞ」となる。「ここってだめじゃない?」「ここはこうしたほうがよくない?」とどんどん見えてくる。そうすることで自分の執筆スタイルががらっと変わりました。
―― 成果はいつ出ましたか。
それまで一次予選も通りませんでしたが、客観的に見るという作業をしたら、やがて受賞まで行きました。
―― 劇的ですね。新潮新人賞を受賞する前はどこかに応募されましたか。
群像に二回落ちて、文藝も二回落ちています。新潮は一度目でした。今、考えても落ちた作品はだめでした。この中にはいいものが眠っているから見つけてくれというのでは厳しいです。見つけてもらえることもありますが、そうでないケースのほうが多い。だったら、いいに決まっているでしょというものを出したほうがいい。
―― 運が悪かったわけではないですよね。
運が悪くて落ちるということはあると思います。でも、運は言いかえれば確率なので、何回も応募すれば、実力があるのなら残ります。一回なら別ですが、四回、五回と運が悪いことはまずない。
―― あきらめずに書き続けることが大事?
ずっと落ち続けたのなら、自分のほうに原因があることになる。客観的に見られなければ同じことをくり返すことになってしまいます。
―― 客観的になれなければ、努力も実りにくいんですね。
自分にだめ出ししないといけませんので、これが一番しんどいことだと思います。それでも客観的に読んで、直して直して直してという作業を自分でやっていく。これが一番重要ですね。
何かを目指すとき、人は何かになってから本当の自分の人生が始まると思いがちです。でも、目指している間もあなたのかけがえのない人生なので、どうか楽しんで欲しい、と思います。
読まないで書こうとしても
絶対に無理!
―― 中村さんは純文学作家ですが、純文学とはなんでしょうか。
あくまで僕の考えですが、文学は、そこに書かれている言葉の全体で、その言葉の全体以上のことを表しているものと言えます。
そしてここからは主観ですが、その中で深いものが純文学だと思っています。
―― 文学の中にもエンターテインメント性があります。
その通りです。なので、ほかの人がミステリーだと言っているものも、あれは純文学だと思ったりもします。
―― ストーリー性はどうですか。
ストーリー性があると純文学ではないという話になるとドストエフスキーが否定され、ギリシャ神話が否定されますので、僕はそうは思いません。純文学の深みがあり、ストーリーとしても面白ければとてもいい。
―― 創作法についてお聞きしたいと思います。テーマはどのように探しますか。
テーマは自分の中から出てきます。書きたいものがわからないという人は、できればビジネスホテルがいいですが、部屋にこもって、様々なことを思いつくままに、自分の中の嫌な部分も隠さず全部ノートに書いていくといいです。
―― 嫌なことを書く?
嫌なことも含め、自分そのものを書いていく。たぶん愕然とすると思うんですが、テーマはその中に隠れています。
―― プロットは作られますか。
大雑把にはつくります。最初はノートに、書きたいアイデア、書きたいシーンを書いていき、小説の全体像が見えてきたら、そこで初めて冒頭を書きます。冒頭が一番難しい理由は、可能性が無限にあるからです。一行書けば、次の一行はある程度限られますので。一行目は一番自由なので難しい。
―― プロットは大雑把であるほうがいいですか。
職業作家として小説ばかり書いていると、勝手に人物が動いたり、物語が動いたりして、当初のプロットから離れていき、そっちのほうが面白かったりします。何気なく書いた文章がのちのちいい伏線になったり、長くやっていると脳がそうなってきます。これができるようになったのは、作家になって七年ぐらい経ってからです。最初のうちはちゃんとプロットを作ったほうがいいと思います。
―― プロットも含め、書く前が肝心ですね。
新人賞の選考委員をしていると、書く前が一番大事かもしれないと思います。書く前に、これがいいものになるかを考える。応募作には、ちゃんと考えてから書いたほうがいいなと思う作品がけっこうあります。
―― ストーリーメイクについてはどうでしょうか。
ストーリーやアイデアを得たいのなら、いろんな作品に触れるしかありません。本を読まないで本を書こうとしても絶対に無理なので、こればかりはどうしようもないです。
―― 読むことで勘が養われるというのはありますね。それは中村さんがお決めになった三つのことの一つ、人より努力することに通じますね。大変貴重なお話、ありがとうございます。