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仕組みがわかれば書ける! 小説の取扱説明書①:小説文章の仕組み1

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文章のメカニズム

ある一文を書いて、その次にはどんなことを書けばいいでしょうか。それは先行する文章の不足を補う文です。

 

原稿が書けずにもがいていた。

 

この文章には、不足した情報があります。たとえば、「どんな原稿なの?」 「誰が書いているのっ」「なぜ書かなければいけないのっ」などなど。
では、それに答えましょう。

 

原稿が書けずにもがいていた。俺は今月締切の新人賞に応募するつもりだったが、まだ一行も書けていなかった。

 

疑問が解けました。しかし、新たな疑問も生まれています。「どんな新人賞っ」「なぜ,応募したい?」……。

このようにして先行文脈が抱えた不足を埋めていく。それが文章を連ねるということです。

小説の文章も同じ

このメカニズムは小説も同じです。

目を覚まして最初に目にはいったのは、やけに高く見える天上だった。そのまま昔の習慣でセミダブルの左側をさぐる。
誰もいないシーツの冷たさが指先に痛かった。もう彼女は出ていったのだ。

(石田衣良『スローグッドバイ』)

「なぜやけに高く見えるっ」「昔の習慣ってっ」「彼女って」「というより目を覚ましたのは誰っ」
 
この文章を読んだ人は、怨霊息識のうちにそんな疑問を抱くでしょう。その問いに次々に答えていく。小説の場合もこのようにして文を連ねていきます。
ただ、すべての疑問に答えるわけではありません。
詩人のヴァレリーは「散文は歩行、詩は舞踏」と言いました。散文には歩いていく目的地、結末があり、文章自体も目には見えないベクトル(方向性)を持っているということです。同じベクトルを持った文の集合体が一つの作品と言ってもいいです。
つまり、散文の冒頭に何か書いたら、それは「こんな方向に話が進みますよ」という先触れであり、この方向から逸れたことは書かないことになります。

会話・説明・描写

小説は、「会話文」「説明文」「描写文」の三つから成ります。

会話文

会話文には、「直接話法」「間接話法」「自由間接話法」の三つがあります。

「守、お前じゃないのか。友達と約束でもしてあったんじゃないのか」
守は、バケツのなかの魚をのぞき込みながら、ぼく、知らないと首を振った。三輪子も真弓も覚えがないという。

(向田邦子『鮒』)

カッコでくくられたセリフは直接話法です。《ぼく、知らない》は「ぼく」が言ったままのセリフですから直接話法とみてもいいですが、《覚えがない》のほうは、三輪子と真弓が「知らないわよ」とかなんとか言ったものを、主人公(塩村)の立場で言い直したという意味では間接話法と言っていいでしょう。

よかった。やっぱり三輪子はカンづいてはいないのだ。だが、ここで相好を崩してはいけない。わざと仏頂面をして首をひねった。

(向田邦子『鮒』)

《よかった。やっぱり三輪子はカンづいてはいないのだ心だが、ここで相好を崩してはいけない。》
は、本来であれば、
《よかったやっぱり三輪子はカンづいてはいないのだ。だが、ここで相好を崩してはいけない、と塩村は思った。》
とでも書くべきところ、《と塩村は思った。》を省略し、主人公の内面のセリフを直接的に書いています。これを自由間接話法と言います。一元視点の形式のときだけ使える用法です。

説明文

説明文は、文字通り、何かを説明した文章です。では、何を説明するか。「いつ、どこで、誰が、何を、どうした」といったことです。
もちろん、説明しなくていい場合もありますが、しかし、あるべき説明文が抜けると読み手は驚きます。戸惑います。

ランチタイムだというのに、その店に客は誰もいなかった。気がねなくお茶だけを頼み、小一時間ほど小説を読んだ。
 
斬新な設定だ。サラダを口にしながら、独り言のようにつぶやく。
「人気作家だもん」
 
隣でエリが答えた。
「詳しいね」
山田はエリを見ずにつぶやいた。

 

単に,《サラダをロにしながら》だけならいいですが、その前に《お茶だけを頼み》とありますので、「サラダはいつ注文したのだろう」と思ってしまいます。
さらにエリという人物に関しては、どこかからいきなり瞬間移動してきたかのようです。
小説には時空(時間と空間)があって、時間があれば情景は変化しますから、書き手はその変化を読み手に伝える必要があります。
また、変化があれば、なんらかの反応(リアクション)もあるでしょう。例文で言えば、たとえばこれが《気づくとエリが隣にいた。》という設定なのであれば、続くセリフは「詳しいね」ではなく、「いつ来たの?」などでないと不自然ですね。

描写文

描写文は、ありありと分かるように書いたもの。「情景描写」「人物描写」「心理描写」などがありますが、描写の対象が違うだけでやることは同じです。
では、「ありありと描く」とはどういうことでしょうか。説明が難しいので、逆に描写でないものを挙げましょう。

 

私は寂しいと思った。

 

これは心理描写ではなく、心理の説明です。描写というのは、もっと人物の目(五感)を使って書いたものです。

斬新なデザインの館内は青い闇に包まれている。ほとんど黒に近い群青色の壁に沿って、くっきりと四角くガラスがはめ込まれている。その中はうっとりするような水色だ。湛えられた水はゆらゆらと揺れて、床に備えられた管から酸素のネックレスが昇っていく。

(山本文緒「いるか療法」)

描写は「辞書的な説明では分からないような感じやニュアンスを伝えたもの」ではありますが、過剰に比喩を重ねていくのではなく、むしろ、淡々と事実を写生していくものです。
また、出来事を描写するのであれば、「こんな出来事があった」と頭で書くのではなく、「どんな出来事だったのか」が分かるように目で書きます。説明するのではなく、紙の上で出来事を再現するようにして書くということです。
ただ、描写はセリフや説明文を含む作品全体で表現するもの、全体を通じて浮き彫りにするものですから、本来は「ここが描写だ」とは言いにくい。
その意味では、小説の文章のすべてが描写であり、描写の中に説明やセリフがあると言うべきかもしれません。

 

※本記事は「公募ガイド2011年9月号」の記事を再掲載したものです。

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