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仕組みがわかれば書ける! 小説の取扱説明書③:小説の視点、あるいは焦点化1

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小説の視点

作中の光景を映しているカメラの位置(ビュー・ポイント) のことを「視点」と言いますが、そのパターンを四つに分けてみました(表2参照)。
表2の1「全知視点」はシーンを天上から俯瞰で見て語ったものです。
2「外的視点」は客観的に観察する書き方。「カメラ・アイ」とも言います。
3「内的固定視点」は特定の人物一人を通じて書いたもの。一人称小説や三人称一元視点がこれにあたります。
4「内的不定視点」は基本的には「内的固定視点」と同じですが、章など大きな区切りで視点人物が変わるものです。
三人称多元視点がこれにあたります。

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全知視点

特定の人物の心の中に入り込み、その人物になり代わって語ることを「焦点化」、また、焦点を合わせた人物を視点人物と言いますが、「全知視点」は作者自らが語り手となり、どの人物にも焦点を合わせず、または複数の人物に自在に焦点を合わせて語ります。
古典的な作品に多い形式で、「個人的全知」と「非個人的全知」があります。

個人的全知

「個人的全知」は簡単に言えば作者が顔出しする小説です。

英国人はそれでも方針を変えず、黒羅紗がいやなら黄羅紗はどうかとおもってふんだんにもちこみ、結局は売れなかった。このため、こっけいなことだが、書記たちがそれを仕立てて着ざるをえなかった。ついでながら、この事情について研究されたオーストラリアの日本学者ジョイス・アク口イド教授は、女性らしいユーモアでもって“当時の平戸の町を、カナリア色の服を着て歩いていたイギリス人を想像し、おかしいとお思いになりませんか″と語っている。

(司馬遼太郎『韃靼疾風録』)

昔はこのように作者が独自の見解を述べたり、読者に向かって《諸君に問いたい》などと語りかけたりする小説もありましたが、今はまずないですね。

非個人的全知

「非個人的全知」では作者は顔出しせず、姿かたちのない語り手に徹します。

自衛隊は北部、東北、東部、中部、西部の五つの方面隊によって国土の防衛にあたることになっている。いま国道八号を西へ移動しているのは、東部方面隊第十二師団である。
同じ夜、西部方面隊に所属する北九州の第四師団は関門トンネルを通過し、山陰の海ぞいにはしる国道一九一号を高速で北上中であった。

(半村良『戦国自衛隊』)

国道八号と関門トンネルを同時に見ることができる人はいませんが、ここでは全知の語り手が説明的に語っています。
このように「全知視点」ではなんでも書け、視点の切り替えも自在です。合戦シーンや寵城した犯人と警察の攻防を説明的に書くようなときは便利です。
しかし、どの人物に感情移入していいか分からなくなったり、さらにはどんな話だったかも分からなくなったりします。
全面的全知は、今はあまりやりません。

外的視点

人物を外側から見るどいう意味では「外的視点」は「作者視点」ですが、人物の内面に入り込むことはしません。外側から観察します。

大型バスが走っている。舗装された道が一本、真直につづいていて、その左右はひろびるとした野原である。ところどころに、人家が見える。やがて、海が見えた。その海はしだいに迫ってきて、道のすぐ下が波打際になった。波が砕けて、白く飛び散る。(中略)
その若い女が立上がって、バスの振動に足をすこし縺らせながら、奥の席に歩み寄った。男の傍に、並んで坐った。女車掌が、おや、という眼を向けた。いままでは、離れ離れに、他人のような顔で坐っていた二人である。
 
(吉行淳之介『夕暮まで』)

バスの中に無人のビデオカメラがあって、それが淡々と風景を映している感じです。《やがて、海が見えた》と言われても、誰に見えたの?と思ってしまう書き方ですが、昔は冒頭のみこのような客観描写をし、のちに特定の人物に焦点化する書き方がよくありました。
「外的視点」は常に人物の外側に視点があります。外的なことについては全知ですが、人物の内面は書かず、語り手も思想や感情を書きません。ポーカーフェイス的小説です。
ちなみに、この書き方で一人称にするとハードボイルド文体になります。

 

※本記事は「公募ガイド2011年10月号」の記事を再掲載したものです。

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