文学賞別傾向と対策4:純文学系新人文学賞 傾向と対策
文学賞に通じた文芸ライター独断!純文学系新人文学賞 傾向と対策
各賞の差はなくなりつつある
――純文学系の新人賞の違いや特徴についてお聞きしたいと思います。
全体的に差異がなくなり均質化しているような印象があります。しいて違いを言えば文藝賞とすばる文学賞が話題性を重視しているということでしょう。
――文藝賞の受賞者は若いですね。
文藝賞はこれまで女子中学生や女子高生、同性愛者といった際立った特徴のある人たちが受賞しています。年齢的にはことさらに若い人が受賞するという傾向があります。
年齢が若いということで期待されているのは「伸びしろ」があるということなのです。美人女子高生ということでデビューして、その後、力をつけた綿矢りさのようなヒョウタンからコマのようなケースもあります。
――新潮新人賞、群像新人文学賞、文學界新人賞はどうでしょう。
新潮新人賞はここ数年、該当作なしということがあるようですが、そこに「小説の新潮社」の矜持を感じます。いい作品がないのならば、無理してまで受賞作を出すことはないのですから。
数年前に雑誌をリニューアルした「群像」は、他の賞と比べて青春文学という傾向が強い印象があります。かつて村上龍、村上春樹を発掘した「夢」をもう一度ということでしょう。
文學界新人賞は伝統のある賞なのですが、文芸5誌の中では若干特色のある賞と言えそうです。規定枚数が比較的短い100枚、年2回開催ということも大きな特徴で、受賞作はバラエティーに富んでいるといっていいと思います。
今回芥川賞を受賞した円城塔は文學界新人賞出身で、デビューのきっかけとなった受賞作は「オブ・ザ・ベースボール」、モブ・ノリオが文學界新人賞と芥川賞をW受賞したのは「介護入門」。両作品とも他の文芸誌だったら受賞することは難しかったかもしれません。
受賞後に一番お得な賞は?
――作家を「育てる」力はどう違うと思いますか。
新潮社は新人の育成に力を入れているほうだと思います。「小説の新潮社」と言われるだけあって、見識のある編集者が多いということなのでしょう。ただそのことが結果的にプレッシャーになって新人が育たないというケースもあるかもしれません。
集英社はかつて「作家が育たない、居つかない集英社」と言われていたことがあるのですが、その「伝統」が今でもあるように思われます。
河出は受賞した新人を育成していくだけの編集者の余裕が社内的にないといってしまっては失礼になるでしょうか。だから話題性のある、しかも営業的に即戦力になるような新人を選んでしまうところがあると考えることもできます。
「群像」は昔は面倒見が良かったけれど、今はどうでしょう。おそらく、そんなに悪くないはずです。「文學界」は良いほうではないかもしれません。文春でもエンタメ系のほうは良いということを聞いたことがありますが。いずれにしても担当、編集によってかなり違います。
――ずばり、受賞後に一番お得な賞はどれでしょう?
いろいろな見方ができると思いますが、単行本を出してくれるすばる文学賞と文藝賞はお得かもしれません。新潮新人賞、群像新人文学賞は受賞しただけでは本にしてくれません。文學界新人賞の場合は規定枚数が100枚程度で、これだけでは本にすることはできません。つまり、同じレベルの作品を3、4本書く必要があるということです。
新人賞を一つのステップだと考えると芥川賞にどれだけ近づくことができるかが重要になるとも言えます。ここ十数年の傾向を見ていると新潮社と文春が受賞作をキャッチボールしているような印象があります。
事前取材を怠らないこと
――応募にあたってやっておくべきことはなんですか。
まず自分が応募する賞を決めてしまう。
そしてここ数年の受賞作を読んでみるということは、最低限やっておくべきでしょう。たまたま規定枚数が合っていたからとか、締切日が近かったというだけで応募しないということです。
気をつけなければいけないのは、受賞傾向を分析しすぎて、いかにも「おたくの賞向けに書きました」というような作品や過去の受賞作の模倣のような作品を書いてしまうことです。「蛇にピアス」が受賞したから今度はタトゥーにしましたというのではだめだと思います。しかし、過去の作品からも離れているが、賞の趣旨からも離れているというのでもだめなので、その判断はけっこう難しいかもしれません。
――執筆の際に必要なことはなんでしょうか。
事前の調査と取材だと思います。新人賞に応募するつもりだという原稿を読まされることがよくあるのですが、読むと学校の先生ならば学校の話、サラリーマンなら会社の話、学生なら大学の話、主婦なら家庭の話が書いてあります。プロの作家は小説を書くために一生懸命事前の資料の調査や取材をやっていて、それなのに素人は事前の準備をなにもしないでただ思いつきだけで書いてしまうって、どこかおかしいでしょ(笑)。
自分が知っているつもりの身近な題材の話でも、少し詳しく調べてみると意外に知らなかったことがあるのに気がつくはずなのです。
3・11後をどう描くか
――どこかに「新しさ」を感じる作品が求められているのですね。
「新しさ」には二つあると思います。一つは題材の新しさで、もう一つは表現としての新しさということになります。新人賞で求められているのは新しい世界観、新しい人間観、新しい小説観ではないでしょうか。
――テーマの選び方も重要ですよね。
文芸批評家の絓すが秀実さんはかつて「今はエンターテインメント系の作家のほうが重たいテーマを扱った小説を書いている」と言っていたことがあります。ここ最近の純文学系の新人賞の受賞作を読んでみると当たり前の日常をちょっと変わった視点から描いたような作品ばかりがやたらと目につきます。そうするとそもそも純文学ってなんなのかと思ってしまうのです。
個人的にはこれからどうしても書いてもらいたいのは3・11以降の福島原発事故の事態なのです。この事態を経験した日本の状況をなんらかのかたちで描いた作品を書いてもらいたいと思っています。
第二次世界大戦を経験して「戦後文学」というものがあるのだとしたら、「ポスト・フクシマ文学」というのが当然あるべきではないでしょうか。
編集余談
『北村薫の創作表現講義』という本の中で、「群像」編集長 唐木厚氏は以下のように語っています。
「群像」は、そんなに色は極端じゃないのですけれども、例えば「文藝」という綿矢りささんを出したところというのは、やはり非常に若い女性を受賞者に選んでいるなという印象が、外から見てありますね。「新潮」さんは、割合と男性的な感じがしますね。内にこもるタイプの男性的な受賞作が多いなという印象があります。「すばる」も女性が強いなという印象があります。「小説すばる」という雑誌の新人賞も、村山由佳さんとか、女性作家を多く出していますので、やはり集英社さんも女性が強いなという感じがしますね。「文學界」はそんなに色がないのですけれども、「文學界」新人賞の最大のメリットは、芥川賞を主催している会社なので、芥川賞に近いということですね。
(北村薫『北村薫の創作表現講義』)
一般に先行誌は総合的、保守的で、後発誌は逃戦的になります。先行誌と同じことをしていては勝てませんので、何か違った編集方針を打ち出します。文芸誌の場合も同じです。
では、「新潮」「文學界」「文藝」「群像」「すばる」の5大文芸誌を古い順に並べると……。もっとも古いのは明治37年創刊の「新潮」。次の「文學界」は昭和8年、小林秀雄らを編集同人として文化公論社から創刊、翌年には文圃堂が版元になり、昭和11年、文藝春秋に引き継がれます。
「文藝」はもとは改造社の雑誌で、昭和19年、河出書房が買い取りますが、会社倒産により一時休刊、その後、季刊になって現在に至ります。「群像」は終戦直後の昭和21年創刊。それからかなり遅れ、昭和45年、「すばる」が創刊されます。
これを先行誌・後発誌の法則にあてはめてみると、「新潮」と「文學界」は伝統を守り、でんと構えている感じ。「群像」も同様ですが、「文藝」「すばる」は様々な事情から話題性という一発を狙っている感はあります。後発といっても一番遅い「すばる」ですら創刊40年以上ですから、先行誌・後発誌という意識もなくなっているのかもしれませんが。
しかし、どの雑誌もまったく同じ編集方針で、求めているものもまったく同じというほうが変ですから、母体となる文芸誌と過去の受賞作、選考委員の作品は読んで分析しておいたほうがいいです。敵を攻めるのになんの情報もないのでは不利ですから。
公募というのは、なんの説明もされないまま提出する企画提案に近いのですが、主催者による説明が応募要項しかないのであれば、自分で分析し、戦略を立てるしかありません。
ただ、一方で、計算だけでは人の胸は打たないということもありますから、書く段になったら、分析や戦略は忘れ、書きたいことを書く。矛盾するようですが、受賞するためにはこの二つが必要という気はします。
※本記事は「公募ガイド2012年5月号」の記事を再掲載したものです。