物語の型カタログ1:物語の特徴を考える
物語とは何だ?
物語とは、誰かによって語られたもの、または、そのような設定で書かれたものと言えますが、近世以前の物語は文字通り「物を語る」で、話の中心は「物」です。人物は出てきますし、主人公もいるのですが、人物は人物であって人間ではありません。類型化されたキャラクターに近い匿名性のある存在です。
それゆえ、「桃太郎も浦島太郎も人物としては好きだけど、どんな顔? どんな性格? 趣味は? 嗜好は? そうしたプロフィールはないじゃないか、リアルじゃないじゃないか」という批判が始まります。これが「物語批判」ですね。
そして、明治18年、坪内逍遥によって『当世書生気質』が書かれ、ありのままに書き写す写実主義が生まれます。これが日本近代文学の始まり。この時点では小説は反物語ですから、「小説≠物語」と言えます。
しかし、いくら人情世態を写し取ったとしても物語性のない小説はおもしろくないですから、評価はされても売れなくなります。そこで小説は写実主義でありつつも、物語性を取り込んでいきます。
このようなストーリー性のある小説は「小説=物語」と言っていいでしょう。
物語構造はみな起承転結
物語はジャンルは多種多様、設定も内容も千差万別ですが、パターンは同じです。一つに集約できます。それは「何が、どうして、どうなった」です。
これは、起承転結や序破急とも言い換えられます。
起承転結はご存じですね。漢詩の構成法を応用したものです。序破急は能からきたもの。序は導入部、破は展開部、急は終結部です。
もっともらしく説明しましたが、こうした構成法を知らなくても、思考をうまくまとめようとすると、必然的に三~四の柱ができます。柱が一つでは思考はまとまりませんし、十も二十もあればどれかを統合したくなります。起承転結、序破急、三幕構成、三段論法……みな三~四ですし、日常生活でも論考はだいたいそうですね。
たとえば、「サッカーが見たいな。でも仕事が優先だ。仕方ない、残業だ」とか。これを「サッカーが見たいな。でも仕事が優先だ。仕方ない、サッカーを見ちゃおう」と言えばギャグにはなりますが、論理的ではありませんから話はまとまりません。
始まらない話、終わらない話
物語というのは、「何が、どうして、どうなった」と展開しますが、これを起承転結で書いてみるとします。
起:主人公がいて
承:出来事が起きて
転:どうにか解決して
結:元に戻る
「出来事」というのは「問題」と言い換えてもいいですね。今お読みになっている小説をこの法則にあてはめてみてください。このような大きな流れ(起承転結)があるはずです。
というより、
起:主人公がいて
承:出来事が起きない
これでは話が始まりませんね。事件なり事故なり、あるいは主人公の心を揺さぶる何かが起きているはずです。
また、こんな展開はどうでしょうか。
起:主人公がいて
承:出来事が起きて
転:どうにも問題を解決できず
結:でも問題を放置
こんな構成もNGですね。
主人公が問題を放棄するのはアリですが、作者自身が問題(テーマ)を放置しては終われません。序盤で起きる出来事は「問い」でもありますから、「答え」がなければ尻切れになってしまいます。
だから何なのかが問題
物語では冒頭、または序盤で出来事が起きますが、その出来事がごくごく日常的なことだと、書きやすい半面、おもしろい話にはなりにくいです。やはり、ある程度は「大きな出来事」が必要です。
しかし、「未来にタイムスリップする」とか、「未知の国を旅する」とか、出来事が大きければ大きいほど説得力ある話に仕上げるのが難しくなります。今の筆力と相談し、頑張ればどうにか書けるという設定にするのがいいでしょう。
さて、起で設定した状態は事件や事故によって破られますが、最終的に結で元に戻ります。しかし、元の状態とまったく同じかというとそうではなく、主人公の心はちょっと変化しています。
たとえば、
起:主人公のバイト先の、
承:新人の女性に一目惚れ、
転:なんどもアタックしたが、
結:結局、振られた。
この場合、主人公は最後にまた元の状態に戻ってはいますが、しかし、主人公は出来事を経験していますから、最初の頃の主人公とはどこか違っているはずです。体験を通じて、何かしら得たもの、学んだものがあるはずです。それこそがその作品のテーマです。
起承転結を崩していく
物語構造は基本は起承転結でも、必ずしもそのままとは限りません。構造がシンプルなだけに、「この先、こうなる」が見えやすく、そのため、先を予想させないようにフェイクを入れたり、なんだかんだでようやく解決! と一息つかせたあと、さらにもう一つ、どんでん返しを用意したり……。
あるいは、AとB二つの起承転結があり、それらが交互に出てきて最終的に一つのストーリーになるというような構成もあります。
また、本編の起承転結の前後に序章と終章がついていたり、本編の前に発端の事件が書かれていたり、起が長くその中に転のような山場があるものや、起承転転転のような構成もあります。
こうした変形をする場合、基本の型がないと総崩れになります。逆に起承転結がしっかりしていると、いくら崩しても話は錯綜しないものです。
ミニ大衆文学史
文学史には、明治文学の研究者、柳田泉の命名と言われる「上の文学、下の文学」という言葉があります。
「上の文学」は朱子学を中心とする儒学で、実用を目的とする武士の文学。経世済民の志は述べても虚構性は乏しいというもので、明治期には文学というより哲学、思想、社会科学になっていきます。
「下の文学」は戯作小説、俳諧、川柳、狂歌、浄瑠璃、歌舞伎、講談、落語など快楽を追求する平民の俗文学で、これらが大衆文学の源流となります。
では、「下の文学」が大衆文学になる過程をたどってみましょう。
明治初期、庶民に人気だったのは講談や落語といった舌耕文芸で、その代表は三遊亭円朝と二代目松し ょうりんはくえん林伯円です。彼らは江戸期の落語や講談を集大成するとともに新作も創作しましたが、この頃、日本に速記術がもたらされ、こうした口演作品は次々と速記本として刊行されました。これら読む講談、読む落語は話し言葉で書かれており、これは言文一致運動に大きな影響を与えます。
また、明治初期は印刷技術が普及した時代でもあり、新聞創刊が相次ぎます。当時の新聞には政論を中心とした大新聞と庶民向けの小新聞とがありますが、小新聞では市井のゴシップ記事などが人気で、ここでは仮名垣魯文などの戯作作家が健筆を振るいます。こうした覗き趣味的な記事は「続き物」となり、これはのちに新聞の連載小説になります。
明治20年代、仮名垣魯文一派の滑稽本が飽きられてくると、西洋の小説を翻訳、翻案した小説が人気となります。さらに、明治30年代には、恋愛、金銭、嫁姑、男の不実といったことを主題とする通俗小説が出現します。
通俗小説とは世俗に通じた小説という意味で、当時は通俗小説と言えば現代もの、大衆小説と言えば時代ものというようにジャンル分けされていました。
ただし、大衆小説という言い方が定着するのは大正以降で、大正末期では、大衆小説、読物文芸、新講談といった言い方が存在していました。同じ対象をジュニア小説と言ったりライトノベルと言ったりするたぐいでしょう。
ちなみに「大衆文学」の名付け親は時代小説の白井喬二で、氏によると、当初は「大衆」に「民衆」の意味はなく、辞書にない造語だったそうです。
この頃、大衆小説は一般文芸よりも一段低い通俗読物という扱いでしたが、大正15年に『大衆文芸』が発刊され、これにより通俗読物は大衆小説へ、そして大衆文学へと変わっていき、戦後は高度のエンターテインメントに発展します。
ロシア・フォルマリズムのシクロフスキーは、「上位文化の誕生は下位文化の絶えざる振幅を必要とする」と言いましたが、現代の物語(エンターテインメント小説)は、戯作小説、講談、落語といった下位文化をベースに、その栄養を得て発展してきたと言えます。
※本記事は「公募ガイド2012年10月号」の記事を再掲載したものです。