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物語の型カタログ2:設定と構造から見た物語の型

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基本の型を押さえよう

物語には様々なパターンがありますが、話の内容ではなく、設定や展開、構造で分類したものが次ページです。
本誌4月号の特集「ストーリーメイクの鉄則」のインタビューで柏田道夫先生が挙げてくれたように、ストーリーには、

  • 「サクセスストーリー」
  • 「巻き込まれ型」
  • 「空間限定型」
  • 「相棒もの」
  • 「旅もの」

があります。
また、次ページでは、物語がどんな構造をしているかによって、

  • 「入れ子構造」
  • 「二つの視点」
  • 「群像劇」

の3つに分けてみました。

次ページの分類では挙げていませんが、これ以前に、人物がいて、出来事が起きて、それが解決して終わりという普通の起承転結、序破急の構成があるます。これは言うなれば「単純構造」。
すべての物語は「単純構造」の変形で、推理小説では冒頭に「発端の事件」があり、本編が起承転結になっていたりします。また、「起承転結+意外な結末」なら「どんでん返し」になります。
「入れ子構造」は、サンドイッチにたとえると、本編の部分が具で、序章と終章というパンで本編を挟んだ構成。
ただし、この序章と終章の時制は、本編とは違っています。たとえば、冒頭で主人公が半生を語り出したところですぐに本編になり、本編では過去に遡り、そこを現在として半生が語られます。そして、最後に冒頭の場面に戻ります。こうすると本編は普通の起承転結でも話が重層的になる利点があります。
「二つの視点」と「群像劇」は、誰を語り手にしているかという分類。「二つの視点」の場合はそれぞれの人物のストーリーにそれぞれ起承転結がありますが「群像劇」の場合は語り手がどんどん交代していくだけで、ストーリーそのものは単純構造だったりします。

すべては「行きて帰りし物語」

すべての型にあてはまってしまうので今回は敢えて分類していませんが、すべての物語に共通する構造を言えば、それは「行きて帰りし物語」です。
「グランドホテル形式」にしろ「ロードムービー」にしろ、主人公がどこかに行き、最終的には帰ってきます。帰ってこなければ話は終われません。
「桃太郎」が鬼ヶ島に行ったきりだったらどうでしょう? 「浦島太郎」が竜宮城に居座ったら? 文字通り、話になりません。
ただし、この「行く・帰る」は物理的な「行く・帰る」に限りませんから、別の「行く・帰る」があればOKです。
たとえば、「桃太郎は誰とでも友好的」という前振りがあり、その後、鬼退治に行きます(好戦的になります)が、しかし、鬼と仲良くなって鬼と暮らしましたとさ、というストーリーの場合、「図らずも好戦的になってしまった桃太郎が、最後に本当の自分を取り戻した(本当の自分に帰った)」と考えれば、ストーリーは「行きて帰りし物語」としてちゃんと話が成り立っています。

このように考えると、「出来事が起きて、本当の自分に気づいた」という展開の話は、すべて「行きて帰りし物語」のバリエーションと言えます。
また、「入れ子構造」の話、たとえば、絵本を読んでいた子がいつのまにか絵本の世界という異次元に迷い込んでしまい、なんだかんだあって元の現実に戻ってくるというのも、ひとつの「行きて帰りし物語」です。
つまり、話というのは「行ったきり」ではだめということですね。だめと言うか、それでは落ちつかない(オチつかない)ですね。
考えてみればあたりまえで、日常生活でも「いいこと教えてあげよう。いや、やっぱりやめた」と言われたらすっきりしませんね。
物語構造もキャッチボールのようなもので、「行ったら、帰ってくる」、「なぜという問いがあったら、こうだという答えがある」のように呼応しています。
逆に言うと、読後に「なんだか話が終わっていない、すっきりしない」と思ってしまう理由は、最初に打ち上げた問いに最後できちんと答えていないか、答えていても問いと答えのバランスが悪いのが原因でしょう。
そうしたバランス(話の配分)を見るためには絶対的に要約力が必要で、要約力はある程度は読書量に比例します。

物語の型

サクセスストーリー

最初に「○○になる」という夢や希望があり、困難に打ち勝って大願を成就させるまでを描く。
夢や希望が簡単に叶うとおもしろくならない。ライバルが現れて夢の実現が邪魔されたり、なんらかの事情があって夢にチャレンジすることすらできないような状態に陥ったりする。最初から大きなハンディキャップを負わされている場合も。
「起」で主人公はマイナスの状態になり、「転」でプラスに転じるが、いったん落ちかけて再逆転というのが定番のパターン。「シンデレラ」がその典型。立身出世物語。

巻き込まれ型

主人公そのものは偉人でもスーパーマンでもなく、どちらかといえば普通の人で、ごく普通の平和な暮らしをしているが、ある日、なんらかの事件に巻き込まれ、元の日常を回復するために奮闘しなければならなくなるようなストーリー。
サクセスストーリーの主人公には、物語の出来事に参加する強い意志と動機があるが、巻き込まれ型にはなく、突然の日常の変化から逃げようとする、抜け出ようとするところにおもしろさがある。映画『逃亡者』がその典型だが、世の大半の物語が巻き込まれ型とも言える。

空間限定型

場所を一つに限定し、主人公がそこに入って出てくるまでを描く。映画『グランドホテル』にちなみ、グランドホテル形式とも言う。
ミステリーによく出てくるクローズド・サークル(孤島や山奥の山荘など)もグランドホテル形式のひとつ。映画『ダイハード』や安部公房の小説『砂の女』も、冒頭でそこに行き、結末でそこから出るという意味ではグランドホテル形式。
「脱出が目的の場合」「○○して脱出するのが目的」「脱出自体は目的ではない(ほかにある)」などバリエーションは様々。

相棒もの

バディ(相棒)がいる物語。テレビドラマ『相棒』がまさにそう。
主人公と副主人公がいて、両人とも相応のウェイトをもって描かれ、時に副主人公がスピンオフすることもある(スピンオフ=脇役が主人公になること。『踊る大捜査線』から生まれた『交渉人 真下正義』などがこれにあたる)。
主人公と相棒は正反対のタイプが多い。「ノッポとチビ」「細めと太め」「几帳面と大雑把」など。
二人は協力し、競い合い、互いの欠点を補いながら、共通の目的やもくろみ、任務、死命を果たす。

旅もの

ロードムービーとも言う。主人公の目的は旅路の果てにあると設定されているが、物語のメインは旅の過程。「肉親を探す」「失った何かを探す」「自分を探す」など、なんらかの目的があって主人公は旅に出て、旅の終わりが物語の結末。
成功するポイントは、旅の目的をはっきりさせ、どうしても到達したいという強い意志を持たせること。
また、たどりつけそうでいてなかなか到達できないようにすること。
ホメロス『オデュッセイア』、十返舎一九『東海道中膝栗毛』。伝奇小説『西遊記』などが典型。

入れ子構造

入れ子というのは、器の中に器が入っているような構造。サンドイッチ形式とも言う。たとえば、今現在にいる人物が昔話をし、そこから話は過去に戻り、最後に今現在に戻って終わる。「現在・過去・現在」、「現在・タイムスリップ・現在」のように、本編の前後に序章と終章がくっついて本編を挟んでいる形式。
映画で言うと『スタンド・バイ・ミー』や『ジュマンジ』がそう。
冒頭に現実の現在と思われる部分があることで本当にあった話のような印象になる。現在と過去のストーリーが連動しているとさらにマル。

二つの視点

多くの小説では、一人称にしろ三人称にしろ、ある特定の人物(の目)を通して語っていく。これを一視点(一元視点)と言い、特に心理小説に向いた書き方だが、相反する二人の人物の目で出来事に迫る形式もある。村上春樹『1Q84』やフレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』などがそう。
ただし、なぜ二つの視点で交互に書くのかという創作上の意図がないと失敗する。刑事視点と並行し、安易に犯人視点を交えたりすると、知らなければ怖かったシーンがネタバレとなって興ざめになる例も。

群像劇

群像劇とは、複数の人物によって物語が進行していく形式。多くの小説では、特定の人物(主人公)が出来事に遭遇し、そこで何をどう見たかを語るが、群像劇では何人もの人物が出てきて、それら複数の人物の目を通して出来事を追う。
横山秀夫『半落ち』や伊坂幸太郎『ラッシュライフ』、司馬遼太郎『関ヶ原』、アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』、山崎豊子の一連の作品などがそう。
人物より事件(出来事)にウェイトがある話に向く。ただし、初心者、アマチュアには難度が高い。

 

※本記事は「公募ガイド2012年10月号」の記事を再掲載したものです。