人は何歳まで作家デビューできるか1:作家のデビュー年齢は上がっている
30歳で遅咲きと言われた時代
平成24年下半期の芥川賞は、黒田夏子が『abさんご』で受賞。史上最高齢の75歳ということもあって話題となりました。一方、直木賞のほうはと言うと、こちらは男性作家では史上最年少、朝井リョウが24歳で受賞。平成生まれでは初の直木賞作家となりました。
朝井リョウは、早稲田大学に在学中の2009年、『桐島、部活やめるってよ』で小説すばる新人賞を受賞してデビューしましたが、在学中にデビューした作家というと、16歳で『花ざかりの森』を書いた三島由紀夫、22歳で『死者の奢り』を書いた大江健三郎、一橋大学在学中に『太陽の季節』で文學界新人賞と芥川賞をW受賞した石原慎太郎、武蔵野美術大学在学中に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞と芥川賞をW受賞した村上龍、高校在学中の17歳のときに『インストール』で文藝賞を受賞し、大学在学中の19歳のときに『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞した綿矢りさといった面々が浮かびます。
こうした方々と比べればという意味だと思いますが、村上春樹が『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞したのは30歳のときで、当時は遅咲きと言われていました。
もともと近代文学の書き手は年齢的に若く、作品の発表年から年齢を割り出すと、森鷗外『舞姫』28歳、志賀直哉『或る朝』25歳、谷崎潤一郎『刺青』24歳、武者小路実篤『お目出たき人』26歳と皆20代の仕事です。
ここに挙げた方々は文学史的には純文学に分類されるような作家ですから、多かれ少なかれ自分探し的な小説が多く、その書き手となると10代、20代、せいぜい30代ということになりますし、明治期は日本そのものが大人の自我に目覚めた高校生のような時代ですから、アイデンティティーを模索したような小説や、文学のあり方を問うような作品が好まれ、そうなると高齢者の出る幕はなかったのかもしれません。
高齢者にも門戸が広がる
オール讀物新人賞は今回から「オール讀物」の購入が義務づけられましたが、それ以外の文学賞は経費が出る一方で、賞の実施そのものでは儲かりません。新人がデビューし、人気作家になるかベストセラーを出したりしてはじめて出版社は潤うわけです。
そうなると選考基準のどこかには必ず将来性が入ってきます。受賞作も売れてほしいけれど、その後ももっと活躍してほしいと思うのは、利潤ということを抜きにしても当然のことでしょう。
年齢も無視できません。最終選考にどの作品を残すか迷ったとき、編集部としては、同程度のレベルなら70歳の方より、伸びしろがありそうな20代の方に……と思っても不思議ではありません。
実際、昭和の時代の大手出版社による新人文学賞ではそうだったでしょう。
ところが、ちょっとずつ事情が変わってきました。それ以前に、新人発掘を目的とする新人文学賞ではなく、非出版社系の単発の文学賞では将来性など二の次ですし、エンターテインメント小説、とりわけ時代小説は、知識の面でも人生経験の面でも、10代、20代では歯が立たないというところがあります。
そのうえで言うと、昭和の終わりぐらいから、「高齢化社会」「生涯学習」の時代になり、高齢者がこぞってカルチャーセンターに通う時代を迎えました。
この時点では、書きたい人はあっても、肝心の主催者(出版社)側のほうに「高齢者を受賞させても仕方ない」という雰囲気があり、完全な一方通行だったと言っていいでしょう。
しかし、この10年で事情はかなり変わってきました。このあたりの事情は前項の校條剛氏のインタビューと重複しますので詳述はしませんが、要するに、「育てるのではなく、即戦力が出てくるのを期待する」「作家として生涯活躍する人はほんの一握りでしかない」という状況から、「一人の流行作家を作るのではなく、一発屋でもいいから、より多くの作家を発掘する」という方向にシフトしていったのではないでしょうか。
そうなると、死ぬまで作家でいる道は厳しくはなります。しかし、逆に多くの人にチャンスが生まれ、結果、高齢者にも門戸が開かれるようになったのです。
高齢作家の嚆矢三人
最近は50代、60代で受賞してデビューというのも珍しくなくなり、昨年はついに70代が出ましたが、こうしたことは公募文学賞が最初ではありません。文学賞で高齢者を受賞者に選ぶのにはそれ相当ハードルがあり、それが実現するまでには長い前段があります。
その嚆矢として三人挙げるなら、赤瀬川隼、隆慶一郎、加藤廣でしょう。
赤瀬川隼は、昭和6年生まれ。住友銀行、外国語教育機関書店などに勤務後、53歳のときに『球は転々宇宙間』でデビュー、63歳のときに『白球残映』で直木賞を受賞しました。
ちなみに、芥川賞作家の尾辻克彦(赤瀬川原平)は弟です。
隆慶一郎は、大正12年生まれ。脚本家を経て、61歳のときに『吉原御免状』でデビュー。小説を書くようになったのは還暦を過ぎてからで、その後、急逝したこともあって実働は5年。代表作は『影武者徳川家康』です。
加藤廣は、昭和5年生まれ。山一證券、経済研究所顧問を経て、ビジネス書を著すようになり、2005年に75歳でデビュー。代表作『信長の棺』は小泉純一郎総理(当時)が愛読書として挙げたことからベストセラーとなりました。
この三人は新人文学賞を経て文壇に登場したわけではありません。デビューの詳しい経緯は分かりませんが、赤瀬川隼は弟が作家、隆慶一郎は名のある脚本家、加藤廣はビジネス書の著者でしたから、もともと出版界と繋がりがあり、その関係で声がかかったのでしょう。
いずれにしても、こうした方々の活躍を経て、文壇内に、高齢者も書き手として十分通用するという印象が浸透していきました。
これが公募文学賞においても高齢の受賞者を出す土壌となったわけです。
※本記事は「公募ガイド2013年5月号」の記事を再掲載したものです。