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人は何歳まで作家デビューできるか6:出でよ、90歳の新人作家(元小説新潮編集長・校條剛さんインタビュー)

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昨年、高齢者の新人が躍進

――昔と今の新人文学賞では何か変化がありますか。

今は遥かにレベルが高いです。理由はやはりパソコンの普及でしょう。今は文章の直しが簡単にできる。昔は手書き原稿ですから、たくさんの直しは難しかった。最低レベルの原稿というのが少なくなった。一次で落ちた人と二次に残った人の差がさほどないんです。

――今、60代、70代といった高齢者が書きたがっているのはなぜでしょう?

若い頃には書けなかったからだと思います。小説好きの人の中には、頭脳が明晰で、一流企業に入った人も多い。若くしてプロ作家になるのはぶらぶらしていた人ですよね。就職できなかったり、失業したりして。僕に言わせれば、才能は誰も変わらない。すべての人ではないですけど、プロ作家になれる人はいっぱいいるんですよ。

――高齢者の中には希有な経験と膨大な知識を持った方々が多いです。

特に第一線でサラリーマンをやってきたという人は優秀ですよ。小説も書けちゃうんです。森村誠一さんは、サラリーマン時代にうだつのあがらなかった人こそ小説を書けと言っていますが、成功した人は、もっと書けると思います。

――校條さんは、昨年、73歳の新人をデビューさせていますね。

昨年、多紀ヒカルさんの『神様のラーメン』を新聞社に売り込み、朝日、毎日、読売、日経、産経などにインタビューしてもらいました。
その後、75歳の黒田夏子さんが芥川賞を受賞して騒がれました。僕のほうが先にこういうムーブメントをやったのに、後だしジャンケンのように思われると嫌なんですけどね(笑)。

――早稲田文学新人賞の黒田夏子さんと群像新人文学賞(優秀作)の藤崎和男さんなど、昨年は70代で受賞する人が目立ちました。

70歳でも80歳でも、書ける人は書ける。
ただ、出版界の、少なくとも新人賞の枠内では高齢者を敬遠しているのは事実で、今後もそんなに歓迎するとは思えません。

――校條さんが新人賞を担当されていた30年前、2次選考に高齢者の作品が上がってきたらどうされていましたか。

同一線上に若い人の対抗馬があったら、高齢者のほうを落としたでしょうね。

――今はどうでしょうか。

以前、ヤフー・ジャパン文学賞の下選考をしましたが、最終選考は候補作の数編がヤフーのサイトに公開され、読者が投票できる仕掛けになっていました。
そして、ここが大事な点なのですが、応募者はペンネームでも本名でも自分の好きな名前とメールのアドレスだけを応募原稿に書き込めばいいことになっていました。住所も年齢も、男女別も、もちろん、本名も主催者に知らせる必要がありません。
多くの新人賞の応募規定では年齢などを明記するようになっていますが、身元を確認することによって、逆に要らぬ計算が入ってしまうことも考えられます。

新人を育てる場所も人もなく

――かつての新人賞は短編も多かったのですが、それが10年ほど前から長編ばかりになりました。理由は即戦力を求めているからだと思いますが、新人を育てる余裕がなくなったのでしょうか。

確かに、暇はないですね。それと、やはり長編のほうが実力を判断できます。

――面倒見はどうでしょう。

面倒見はどの会社も悪いでしょう。たとえば、ある出版社は3年ごとに編集者が異動になります。その際、前任から後任へ「○○さんをお願いします」と作家が引き継がれるわけですが、後任は最初から手がけてないから愛情がない。別の新人が出てくると、そっちのほうに気持ちがいっちゃう。編集者が悪いのではなく、制度がそうなっているんですよね。

――問題は異動ですか。

もう一つ、書く場所が少ないということがあります。編集者にとって一番大事なことは場所を与えることなんです。そうすれば作家は育っていくんです。与えないから腐っていく。今はその場所が現役作家で埋まっちゃっているんです。

――それはなぜ?

話題の作家や有名作家が名を連ねていないと雑誌も本も売れないから。雑誌で新人作家特集をすると、必ず惨敗します。

――新人に割ける誌面も少ないですね。

100~150枚あると作家本来の味が出せるのに、雑誌に掲載しやすいから30~50枚で書いてくださいって言う。でも、それではいいものはできない。それから短編集が売れなくなってきた。要するに長編の時代に変わっちゃったんです。
エンタメの場合は文庫が主流です。文庫で売れない作品は生産する意味がないんです。

――そんな中で、75 歳の黒田夏子さんが受賞者になりました。

従来の小説は書き方が決まっていて、つまり閉塞感があって、それに選考委員たちは飽き飽きしちゃっていたのかも。

――高齢者だから選ばれたのではなく、若い人にない感覚だから受賞したということでしょうか。

選考委員は、天井に風穴を開けてくれる作品を待っていたんでしょう。格好よく言うと、ボードレールを愛読していた小林秀雄が初めてランボーを読んで、球体のガラスにバリンと穴を開けられた、そんな気持ちじゃないですかね。

作家は10年と考えれば

――校條さんはカルチャーセンターでも講師をされていますね。やはり、書きたい人が多いですか。

「書きたい人は多いけど、読みたい人が少ない」とよく言われているんですよ。カルチャーセンターでは2005年から教えていますが、皆さんにはっぱをかけるんです、これ読んでおいたほうがいいとかね。
新刊を買うこと、図書館で借りないで、買って読むこと。他人様に自分のものを読ませたいなら、他人様の小説を逆に読んであげるべきです。それと、新刊はトレンドっていうのか、「今」っていう雰囲気があるんです。それを身につけておかないと、時代おくれの雰囲気がでちゃいますからね。

――書きたい人がたくさんいる、そして、そうした人の中から毎年何十人もの作家がデビューするとなると、出版社としてはプロ作家一人にがんばってもらうのではなく、一発屋でもいいからそういう人がたくさん出てほしいということになり、だったら別に年齢は60歳でも70歳でもいいじゃないかというふうになっていったんでしょうか。

出版社が、そう思ってくれたらいいですね。僕は「作家10年説」というのを唱えていて、今の作家は現実には10年しかいいものを書いていないんですよ。
10年経ってリーダビリティーがなくなった作家は出版社にうとまれていくし、本が出せなくなっていく。

――長く活躍する作家は何が違う?

成功している好例は、ハードボイルドから歴史小説、そして中国ものというふうに10年単位で移行した北方謙三氏。
昔は作家になったらずっと作家でいられたんです。しかし、今は、努力しない人は完璧に食えなくなる時代です。作家は大変な商売で、自分を改革していかなければならない。5年、10年というサイクルでね。

――息の長い作家はほんの一握りで、たいていは10年で一線を退くと腹をくくれば、定年になってからでも遅くないとも言えますね。

そう、だから70歳でも80歳でもいいんですよ。80 歳でデビューした人は90歳でやめればいいんです。そこでちょうど死んじゃうかもしれない(笑)。
90歳の作家が出るとおもしろいと思いますね。詩人の柴田トヨさんは99歳でデビューして、101歳で亡くなったでしょ。もうちょっと長生きしてほしかったな。「90歳の作家、出でよ!」という感じですね。

 

校條剛(めんじょう・つよし) 元「小説新潮」編集長。日本推理サスペンス大賞、新潮ミステリー倶楽部賞、小説新潮長編新人賞を創設。日大藝術学部、朝日カルチャーセンター講師。『スーパー編集長のシステム小説術』『朝5分!読むだけで文章力がグッと上がる本』など著書多数。

 

※本記事は「公募ガイド2013年5月号」の記事を再掲載したものです。