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世界文学があなたの小説を新しくする1:新しい風はいつも外から吹いてくる

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翻訳もののもどかしさ

たとえば、ここに『殿中でござる』というタイトルの小説があるとします。日本人なら、この題名を見ただけで「忠臣蔵ではないか」と思うはずです。それが現代小説だったとしても、「やってはいけない場所でやってはいけないことをしてしまった話だろう」というぐらいの察しはつくはずです。作者もそれを狙ってタイトルをつけるでしょう。
ところが、これを英訳し、タイトルも「It´s in the castle!」とでもした場合、日本のことを知らない外国の読者はなんのことか分かりませんし、「castle」から連想する城も西洋風の城になってしまうかもしれません。
逆も真なりで、私たちが世界文学を読むときは、「正しく日本語に翻訳されているのかもしれないが、その実、とんでもない読み違いをしているのではないだろうか」という感覚を持ちます。
実際、その国の文化や習慣、風俗などを知らないと、なんだかとんちんかんなものをイメージしている気にもなりますし、それを注釈で説明されても分からないことに関しては同じです。街並みも人々の服装も、具体的な絵としては浮かべにくかったりします。
ギャグになるとさらに分からず、

「なるほど。聖アントロワーペン職者の服は肉ア ントンワップル入りパンの近くにあるんだね」

(清水義範著『世界文学必勝法』より)

と言われても、ジョークらしいとは分かってもよくは分かりません。分かっても笑えません。翻訳ものには、そうしたもどかしさがあります。

ヒントとしての世界文学

しかし、それでも世界文学を読まないと、私たちが書く小説は自家中毒を起こし、行き詰ってしまうはずです。新しい風が入りませんから。
実際、作家志望の皆さんは、いろいろ手を変え品を変え工夫したつもりでも、できあがるものは似たり寄ったりだったりはしませんか。
それだけでなく、あっという仕掛けもアイデアもなく、かといってテーマ性も深さもなく、何か新しさがないと思っていませんか。
原因は、書く人を刺激し、そんな手があったのか、真似できないかと思うようなインプットがないことではないでしょうか。そして、そのような小説は、自分からは遠いところ、世界にあるはずです。
そもそも日本文学はずっと世界文学を取り入れてきました。近代の西洋文学史と日本文学史が驚くほど似ているのは、西洋の小説をそのつど輸入し、あるいはいっぺんに輸入し、模倣し、応用してきたからです。私小説のように日本で独自に発展したジャンルもありますが、大まかな流れはほぼ同じです。
近代の日本文学の本家は、すべて世界文学にあると言ってもいいです。写実主義、自然主義、ロマン主義、耽美派、教養小説……みんな輸入品です。
推理小説、SF小説、ファンタジー、ホラー、ハードボイルド、ロマン・ノワール……これらも発祥は海外です。
かつて、日本文学はこうした世界文学を積極的に取り入れていました。取り入れなければ、自国の文学の発展はないというぐらいにどんどん模倣し、どんどんアレンジしていきました。
ところが、自前の文学が発展すると、前述のような翻訳のもどかしさもあって、世界文学は読まれなくなりました。特にこれからプロを目指すアマチュアの方が読まなくなりました。
似たような小説しか読んでいなければ、当然、書く小説も似たようなものになり、永遠に金太郎飴状態を続けることになってしまいます。
ならば、創作のひとつのヒントとして、世界文学を読んでみましょう。教養を身につけるためではなく、書く意欲を醸成してくれる手段としてです。
そして、「この作家の作品は全部読みたい」という作家を探しましょう。そこまで入れ込む作家と出会えたら、あなたの小説にも相当の影響をもたらすと思うのです。

COOL JAPAN小説版は可能か:日本の小説を翻訳する壁

マンガ・アニメはJAPANならなんでもいいとばかりの勢いで翻訳されていますが、日本文学は、村上春樹など一部の作家を除き、ほとんど翻訳されていま
せん。それはなぜでしょうか。
翻訳しにくい小説の特徴として以下の3点が挙げられます。

  • 文化的知識、歴史的知識を要するもの
  • 日本の街にウェイトがあるもの
  • 日本独自のもの(政治、方言・掛詞)

たとえば、作中にこたつがでてきた場合、特に説明の必要なければ「低いテーブル」というぐらいで済ませるそうです。
しかし、東野圭吾の『容疑者Xの献身』のように、こたつが凶器となっている場合は、読者に「なぜテーブルに電気コードが付いているんだ?」という疑問を抱かせてしまいますので、説明せざるを得ません。しかし、説明ばかり長々とやるわけにもいきませんし、そういうところが翻訳するときのネックになります。
また、コメディも訳しにくく、日本語のダジャレなどは新しく書き直すしか手がないそうです。
もう一つ、日本の小説を世界で売るための障害があるとしたら、海外の市場が求めているかがあります。
たとえば、アメリカでの翻訳ものの出版点数はわずか2%だそうです(小説以外を含む/日本は7%)。これについて沼野充義教授はこう言っています。
「アメリカは英語圏だけで成り立っている世界です。最近の意識調査でも、アメリカ人は英語以外の言語で書かれたというだけで、それはレベルが低いものと思う傾向が出ています」
であれば、わざわざ訳書を買ってまでして読もうとは思わないかもしれません。
沼野教授によると、アメリカ人には英語で書かれたものだけが素晴らしいと思う英語中心主義が無意識のうちにあり、そのため出版する場合も翻訳ものだと分からないように訳者名を小さく表記したりするそうです。
ただし、スウェーデンのスティーグ・ラーソンの「ミレニアム」のヒットにより英語圏以外の作品にも期待が寄せられていますし、日本の小説については村上春樹が道を切り開きましたので、今後については期待が持てそうではあります。

アジアで人気、日本の小説

翻訳ものの割合が多い国は韓国とトルコで30%だそうです。明治以後の日本もそうでしたが、これは、国内には秀作がないから海外から取り入れよう、そして自国の文化を育てようということの表れで、韓国などでは日本のベストセラー小説がどの国よりも早く翻訳されているそうです。アジアに関して言うと、マンガと小説の区別はあまりないのかもしれません。
このあたりの翻訳状況について、ウェブサイト「アジアミステリリーグ」の松川良宏さんにお聞きしました。
「日本のミステリー小説の翻訳状況はアジアと欧米で大きく異なります。韓国、台湾、中国、それからタイは受容に積極的で、日本推理作家協会賞の受賞作や各種のミステリーランキングの上位作品が次々と翻訳出版されています。数年前のデータですが、韓国と台湾では日本ミステリーの翻訳出版は年間100冊ほどのペースです。人気の傾向も日本と同じといっていいでしょう。東野圭吾や宮部みゆき、伊坂幸太郎といった作家が特に人気です。また、台湾や中国では島田荘司が「日本推理小説之神」と呼ばれており、台湾には島田荘司の名を冠した「島田荘司推理小説賞」まであります。中国語で書かれた長編の本格ミステリー小説を募集するもので、受賞作の日本語訳も出ています」
COOL JAPAN小説版については、まずアジアが有力のようです。

 

※本記事は「公募ガイド2014年5月号」の記事を再掲載したものです。