世界文学があなたの小説を新しくする3:大きな物語は辺境からやってくる(沼野充義教授インタビュー)


元祖はセルバンテス
――小説の起源は?
何を起源とするかは小説の定義にもよりますが、小説というのは近代的な装置で、小説と言えば普通は近代小説です。
その前提で小説を近代のヨーロッパを起源とするジャンルと考えるなら、16世紀にスペインでセルバンテスが『ドン・キホーテ』を書きますが、このあたりが元祖と考えられます。
――小説が生まれる前はどんなものが読まれていたのでしょうか。
中世には❶騎士道物語という英語でロマンスと言われるものがあって、これは荒唐無稽な、リアリズム的な裏付けのない奇想天外なことが起こるお話。
――物語と小説の違いは?
小説というのは人間の心理とか社会的なものをきちんと描きますね。それから、小説はあるものを額面どおりに受け取らないで、パロディにして笑ってしまったりするところがあります。セルバンテスの場合もそうですが、これについて自分が書くというのはどういうことなのかというような、書くことについての仕掛けを持ってきたりする。小説についての小
説という今で言うメタフィクション的な要素が、小説の源流の時点であったわけです。
――先駆的な仕事をした人はほかにどんな人がいますか。
18世紀頃から、イギリスの❷デフォーとか、❸スターンとか、❹フィールディングとか、フランスで❺ヴォルテールとか、そういう人たちが近代小説の基を作っていく。この辺の人たちはまだ教訓的だったり寓意的だったりしますが、スターンの『トリストラム・シャンディ』は主人公が生まれるまで脱線につぐ脱線で、なかなか本筋に行かない。すごく遊び心に満ちた書き方をしています。小説というのは自由なかたちの冒険ができる。これは最初からあったわけです。
――そうした作家は同時多発的に生まれたのでしょうか。
フランコ・モレッティという理論家は「波と木」という比喩で言っています。波というのは、あるジャンルがどこかで発生したら、それが世界的に伝播していくこと。小説というのは波の典型で、どこが起源とは言えないんですが、ヨーロッパで起きたことが世界に波及していったわけです。日本には明治維新以後に届いたし、19世紀後半にはラテンアメリカにも及んだ。小説の大きなジャンルは波になる。それに対して木というのは系統樹。日本なら日本の中で、どういうジャンルがどういうふうに歴史的に成長していくかということ。波と木のインタラクション(相互作用)で成り立っているというのがモレッティの見方ですね。
――小説は大きな波だったんですね。
小説というジャンルは世界的に波及力の大きかったもので、ジャンルの中で一番ジャンルらしからぬジャンル。というのは、なんでもぶち込めるんですね。約束事というのがほとんどない。❻ドス・パソスのような新聞記事の引用のようなコラージュ風の小説もありですし、宗教的な議論を展開することもできる。そこが小説の化け物的なところですね。
――19世紀には写実主義が生まれます。
普通に今、近代小説と言う場合には19世紀の小説をイメージする場合が多いですけど、これは基本的にはリアリズム(写実主義)ですね。
19世紀の初めにロマン主義の時代があって、この頃のドイツでは、❼ホフマンなどによって幻想味の強い幻想文学が書かれますが、一番典型的な小説はリアリズムで、これは19世紀に頂点を極めます。
――その次に来るのが自然主義?
ゾラの自然主義はリアリズムを科学的に、遺伝的な要素まで踏み込んで拡張していったものですね。
――自然主義はリアリズムに含まれるものとして、リアリズムの作家と言えば?
フランスでいえばバルザック、スタンダール、フローベール、ロシアはドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフは19世紀も末のほうになりますが、こうした有名作家がどんどん生み出されていく。イギリスではディケンズ、アメリカはヨーロッパに比べると後発ですが、19世紀だとホーソン、メルヴィルとか。アメリカの場合は伝統的にヨーロッパのリアリズム小説とは違っていて、アメリカの文脈ではロマンスという言い方をすることが多いんですが、これに対してノベルとはどういうものかと言うと、基本的にはリアリズム。社会とか人間心理をリアルに描いたものです。
反動の反動で動いていく
――少し時間を巻き戻し、18世紀からの西洋文学の流れを教えてください。
18世紀あたりは❽新古典主義(ネオクラシシズム)の時代で、ネオクラシシズムは西洋古典に範をとります。物事をきちんと描きますが、リアリズムとは違います。ある枠にはまった、理念的な典型にもとづいてものを見ます。
それに対して、19世紀初め頃に❾ロマン主義が出てきます。長編小説を意味するロマンスと語源は同じですが、このロマン主義は、幻想的な要素、あるいは現実とは違う次元の精神世界とか幻想世界を見ていこうという傾向が強い。昼の世界に対して夜の世界があるというのがロマン主義です。
ロマン主義は、精神世界とか荒々しい情動とかそういうものを賛美しますが、ある意味、このロマン主義への反動で出てきたのがリアリズムです。
――反動だったのですね。
❿リアリズムは、基本的に世の中をありのままに見ようとする。現実という表面の上ですべて正確に見ることができるという信念です。
だから、これも世界の見方に関する一種のイデオロギーなんですが、リアリズムのおもしろいところは、私はイデオロギーではありませんよ、無色透明ですよと言いたがるイデオギーなんです。
――リアリズムへの反動は?
ヨーロッパだと19世紀末に、リアリズムに対する⓫反動で、世紀末文化というのが爛熟していく。リアリズム的文化が崩れて、その先に行きようがなくなって、象徴主義(サンボリズム)とか世紀末のデカダンスとか、そういう動きが出てきます。
――反動の反動ですね。
時代様式の変化は反発の反発というように動いてきますから、リアリズムの反動として出てきた象徴主義は、ある意味、その前のロマン主義に近い面があります。
リアリズムのような平板な世界の捉え方ではなく、現実の昼の目には見えない幻想的なものを見ようとし、宗教的なものも復活します。
――象徴主義のあとは?
20世紀初頭には、象徴主義に反逆してアヴァンギャルド的なものが出てきて、イタリアの未来主義、ダダイズム、シュルレアリスムとかいろいろなものが出てくる。
小説ではジョイス、プルーストが出てきて、意識の流れとか言語実験とかそうしたものを取り込んで、フィクションについてのフィクションというかたちでより精緻なかたちで発展を遂げていくんでが、これは発展であると同時に、このままでは小説が行き詰まってしまってこれ以上先に行けないという道に至るわけですね。フランスはヌーヴォー・ロマンというかたちで言語的実験性を強めてしまい、袋小路に入ってしまいました。
――もう反動はない?
イズムの変化は20世紀初頭ぐらいまでははっきりしていましたが、そのあとは何がなんだか分からなくなっている。ある意味、敵がはっきりしていれば、自分の方針や姿勢もはっきり決まるのですが、今はこいつに反逆してやろうというものがないですね。
おすすめは移民の文学
――20世紀後半は、ラテンアメリカの文学が出てきます。
西洋小説があまりにも完成されて、先へ行ってしまったために⓬行き詰まり、自家中毒になってしまった。それに対するカンフル剤というか、起死回生の力強い一発が辺境からやってきました。
――辺境とは?
20世紀でいうとロシア、それからドイツもそうですけど、革命によって亡命者がたくさん出ています。⓭ミラン・クンデラにしても⓮ソルジェニーツィンにしても、東欧やロシアの亡命者は西側に来たとき、西側では忘れられた大きな物語を外部からもたらしたんです。
これと似たことが、日本にも起きています。楊逸という中国人作家が芥川賞を受賞しましたが、彼女の作品は日本人が忘れかけていたような愛と青春と革命の感動的な物語で、『時が滲む朝』なんかはまさにそういう感じですね。
――現代の世界文学でお勧めは?
今のアメリカの移民が書いている文学とか、そういうところから学ぶものはすごくあると思います。それはやはり、移民としてある環境に入っていき、そこで母語でない言語を習得して物語を書く。
それは自分の存在意義を見つけることでもあって、まさに書くことが生きることであるというような本源的な機能を持っている。それが移民の文学です。
――たとえば、どんな作家がいますか。
中国系移民の⓯ハ・ジンとか、⓰イーユン・リー、タイ人の⓱ラッタウット・ラープチャルーンサップ、インド系の女性作家⓲ジュンパ・ラヒリとか。みんな移民ですね。それからロシアからの移民二世の⓳ゲイリー・シュタインガートなんかも非常に元気がいい。
――おもしろい世界文学の探し方は?
翻訳ものってそんなにたくさんありません。白水社、早川書房……。新潮社、集英社のような大手になると売れない本は出しませんから。
――翻訳ものは当たりはずれがなさそうですね。ありがとうございました。
注
❶騎士が冒険の旅に出て美女と恋に落ちたりするのが典型のお話。ロマンス諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語など)で書かれていたからロマンスと言い、多くは冒険譚、恋愛譚だったから冒険や恋愛のこともロマンスと言うようになった。
中世から近代の初めくらいまではインテリはラテン語でものを書いていたが、それに対して騎士道物語はロマンス諸語(口語)で書かれていた。従って読者対象も庶民ということになる。
❷ダニエル・デフォー(1660~1731年)
イギリスの小説家。『ロビンソン・クルーソー』が有名。
❸ロレンス・スターン(1713~1768年)
イギリスの小説家。
❹ ヘンリー・フィールディング(1707~1754年)
イギリスの劇作家、小説家。イギリス小説の父。
❺ヴォルテール(1694~1778年)
啓蒙主義を代表するフランスの哲学者、小説家。『カンディード』はピカレスク小説(悪漢小説)で、探偵小説誕生に影響を与える。
❻ジョン・ロデリーゴ・ドス・パソス(1896~1970年)
アメリカの小説家、画家。著書に『北緯四十二度線』、『一九一九年』、『ビッグ・マネー』などがある。
❼E・T・A・ホフマン(1776~1822年)
ドイツの小説家、作曲家、音楽評論家、画家、法律家。『牡猫ムルの人生観』が有名。
❽新古典主義
18世紀にヨーロッパで流行した芸術思潮。17世紀の古典主義を再評価したもの。古典主義はギリシャ・ローマの古典古代を理想と考える芸術のムーブメント。
❾ロマン主義
18世紀末から19世紀前半にかけて、主にヨーロッパ各地(フランス、イギリス、ドイツ)で展開された思潮。古典主義に反発し、自由な表現を追求した文芸運動。
❿リアリズム
文芸の方法論の場合は現実主義と訳さず、写実主義と訳す。19世紀中頃にフランスで起こる。科学が発展した社会にあって超常的なことを廃し、現実をあるがままに写そうする。バルザック『ゴリオ爺さん』、フローベール『ボヴァリー夫人』、モーパッサン『女の一生』、ゾラ『居酒屋』などがある。特にゾラは自分の方法を自然主義と名付けてスローガンとする。この自然はナチュラリズムではなく、創作上の作為がないという意味の自然。
話のおもしろさを無視し、劇的な展開を廃し、ヒーローではなく一般人を描く。ディテールにこだわり、何気ない日常の情景を丹念に描く。
⓫単純にロマン主義→写実主義→象徴主義ではなく、前進と後戻りがあり、バルザックとゾラの間には、アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』やヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』などのロマン主義がある。ロマン主義は中世のロマンスの復活とも見られるが、全く荒唐無稽のお話ではなく、リアリズムという近代小説の枠の中で
波乱万丈のストーリーを展開。
⓬たとえば、『ユリシーズ』で知られるジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』では、言語実験と「意識の流れ」という手法を極限まで高めた結果、あまりにも難解な作品になり、理解不能とも言われた。「意識の流れ」は、人間の思考を、秩序立てたものではなく、絶え間ない流れとして描こうとする手法。
⓭ミラン・クンデラ(1929年~)
チェコ生まれのフランスの作家。
⓮ソルジェニーツィン(1918~2008年)
ソビエト連邦の小説家。『収容所群島』が有名。
⓯ハ・ジン(1956年~)
中国系アメリカ人作家。著書に『待ち暮らし』『すばらしい墜落』など。
⓰イーユン・リー(1972年~)
北京生まれのアメリカの作家。著書に『千年の祈り』『黄金の少年、エメラルドの少女』など。短編の名手。
⓱ラッタウット・ラープチャルーンサップ(1979年~)
タイ系アメリカ人作家。著書に『観光』など。
⓲ジュンパ・ラヒリ(1967年~)
インド系アメリカ人作家。著書に『その名にちなんで』『停電の夜に』など。
⓳ ゲイリー・シュタインガート(1972年~)
レニングラード生まれのロシア系アメリカ人作家。著書に近未来小説『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』など。
沼野充義(ぬまの・みつよし)
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授(現代文芸論・スラヴ文学研究室)。専門はロシア・ポーランド文学。日本文学の海外への紹介にも積極的に取り組んでいる。『W 文学の世紀へ』『徹夜の塊 亡命文学論』『ユートピア文学論』など著書多数。
※本記事は「公募ガイド2014年5月号」の記事を再掲載したものです。