10.3更新 VOL.33 小説すばる新人賞、フェミナ賞、ほか 文芸公募百年史


今回は、実質的には昭和最後の年となった昭和63年(1988年)に公募された7つの文学賞のうち、同年に締め切った4件を紹介する。
バブル経済真っ只中であったこれらの賞からは、高額賞金化、女性作家の台頭という時代が見えてくる。
昭和最後の登竜門、小説すばる新人賞
昭和63年(1988年)年はとんでもない年だった。新設公募などそんなにあるものでもないのに、この年はなんと7件もの文学賞が創設されている。
① 第1回小説すばる新人賞 締切1988/5/31 賞金100万円
② 第1回日本推理サスペンス大賞 締切1988/6/15 賞金500万円
③ 第1回フェミナ賞 締切1988/10/31 賞金100万円
④ 第1回FNSミステリー大賞 締切1988/12/20 賞金1000万円
⑤ 第1回自由都市文学賞 締切1989/1/31 賞金130万円
⑥ 第1回日本ファンタジーノベル大賞 締切1989/5/31 賞金500万円
⑦ 第1回坊ちゃん文学賞 締切1989/6/30 賞金200万円
①と②については、募集自体は前年の昭和62年(1987年)に始まっていた可能性が高く、⑤~⑦については締切は翌年の平成元年(1989年)になるが、昭和63年(1988年)のある一瞬においては、7件の文学賞が同時に動いていたわけだ。
今回はこのうち、昭和63年(1988年)に募集を締め切った4賞(①~④)について取り上げ、⑤~⑥については次回以降で紹介する。
まずは、集英社の小説すばる新人賞。
同賞は昭和62年(1987年)11月に刊行された「小説すばる」創刊を記念して創設。プロの登竜門として現在も継続中の文学賞の中では最後発ではあるが、その後は押しも押されもせぬ一流の文学賞となる。昭和の最後に真打登場といったところか。
第1回の規定枚数は100~300枚(現在は200~500枚)、賞金100万円(現在は200万円)、応募数は1303編だった。直近の第37回(2024年度)の応募数も1072編で、創設からずっと好調を維持している稀有な賞と言える。
第1回の選考委員は五木寛之、田辺聖子、半村良、渡辺淳一の4氏で、第4回から阿刀田高、第9回からは井上ひさしが加わり、第14回からは宮部みゆき、第24回からは出身者の村山由佳が加わっている。ちなみに五木寛之氏は第1回から現在募集中の第38回までずっと選考委員を務めている。御年93歳。いやはやなんともこれは驚異的だ。
38年の間にデビューし、大成した受賞者は山ほどいるが、主だった作家を挙げてみよう。
第2回(1989年)花村萬月「ゴッド・ブレイス物語」 第119回芥川賞受賞
第3回(1990年)篠田節子「絹の変容」 第117回直木賞受賞
第6回(1993年)村山由佳「天使の卵(エンジェルス・エッグ)」 第129回直木賞受賞
第10回(1997年)荻原浩「オロロ畑でつかまえて」 第155回直木賞受賞
第10回(1997年)熊谷達也「ウエンカムイの爪」 第131回直木賞受賞
第13回(2000年)堂場舜一「8年」
第16回(2003年)山本幸久「笑う招き猫」
第17回(2004年)三崎亜記「となり町戦争」
第21回(2008年)千早茜「
第22回(2009年)朝井リョウ「桐島、部活やめるってよ」 第148回直木賞受賞
第25回(2012年)櫛木理宇「赤と白」
壮観と言うしかない。朝井リョウさんは純文学とエンタメ小説の違いもよくわからないまま、「村山由佳さんの出身公募だったから」という理由で応募したそうだ。有名作家を輩出していると、その人に憧れてまた有為な新人が応募してくるといういいスパイラルが生まれるのかもしれない。
その前年の千早茜さんは、小説すばる新人賞とポプラ社小説大賞に同時に応募し、両賞で最終選考に残ってしまったが、両社が話し合い、先に応募した小説すばる新人賞を受賞した。初応募だったので二重投稿禁止という規約に気づかなかったらしい。公募初心者にはよくあることだが、仮にこのとき応募を無効にされても、千早さんほどの才能があれば、いずれかは頭角を現わしただろう。
篠田節子さんはデビュー前、文章教室と間違えて朝日カルチャーセンターの多岐川恭さんの小説講座に入ってしまったが、せっかく受講したのだからと課題を出したところ、周囲の受講生(おばさんたち)に「あなた、うまいわ」とおだてられ、調子に乗って書いていたところ、3年後にはプロになっていた(褒められるって大事!)。受賞作はカルチャー教室で課題として提出したものに加筆したものだった。
宮部みゆきらを輩出、日本推理サスペンス大賞
同じく昭和63年(1988年)、日本テレビ開局35周年を記念して日本推理サスペンス大賞が創設されている。入選作は日本テレビが放送し、新潮社が出版するという特典があり、ドラマ化されるとなるとスポンサー料が入るから高額賞金となる。賞金は破格の1000万円。規定枚数は350枚~600枚、選考委員は逢坂剛、佐野洋、椎名誠、高見浩、連城三紀彦の5氏だった。
第1回応募数は337編。該当作はなかったが、優秀作として乃南アサ「幸福な朝食」を発掘した。続く翌年の第2回は、宮部みゆき「魔術はささやく」が受賞している。宮部さんは2年前に「我らが隣人の犯罪」でオール読物新人賞を受賞しているが、プロアマ不問の日本推理サスペンス大賞で再デビューを果たした。売れていなかったわけではないが、早く単行本デビューをしたかったようだ。
宮部みゆきを発掘した第2回のとき、「リヴィエラを撃て」で最終候補まで残ったのが高村薫だ。選考委員だった椎名誠さんは「何が書いてあるかさっぱりわからず、0点をつけた」と言っている。ちょっとややこしい小説ではあったかもしれないが、「小説新潮」編集長だった
それにしても乃南アサ、宮部みゆき、高村薫の3連発はすごい。ほかにもミステリーの賞はあったが、賞金1000万円ということに加え、時代が女性発のミステリーを求めていた。ミステリーの世界は松本清張によって文学となり、そのあと、綾辻行人、有栖川有栖ら新本格の作家陣が続いたが、読者は男ばかりだった。そこにユーモアミステリーの赤川次郎が登場して若い女性の読者を増やしたが、とはいえこれも男性が描く世界。日本推理サスペンス大賞の3人がデビューした背景には、女性の書き手を望む出版事情と需要があっただろう。
江國香織、井上荒野を発掘、フェミナ賞
昭和63年(1988年)秋には、翌年3月に発刊される女性向け文芸誌「フェミナ」の創刊を記念して、フェミナ賞が創設されている。主催は学習研究社で、小説とノンフィクションを募集。規定枚数は100枚程度と短編で、女性向け文芸誌だけあって応募資格は女性限定だった。選考委員は大庭みな子、瀬戸内寂聴、田辺聖子、藤原新也。賞金は100万円(第1回は受賞者が3名いたので賞金は各70万円に按分)。その3名が以下の各氏。
井上荒野「わたしのヌレエフ」
江國香織「409ラドクリフ」
木村英代「オー フロイデ」
第1回応募数は1098編、女性限定にしては順調で、発表号の「フェミナ」の表紙には「大型新人登場」と銘打ち、3人の名前と写真が掲載されている。第1回にしてこの結果は快挙であり、話題性も十分だったろう。
この中で真っ先に売れたのは江國香織。話題作を次々と上梓し、2004年に第130回直木賞を『号泣する準備はできていた』で受賞する。
井上荒野は体調不良で出遅れるが、2001年に再起し、2008年に第139回直木賞を『切羽へ』で受賞する。この二人が同時受賞だなんて驚きしかない。
しかも、境遇がよく似ている。井上荒野の父親は作家の井上光晴。江國香織の父親はエッセイストの江國滋。年齢も3歳しか違わず、のちに親友となる。瀬戸内寂聴ということでもつながりがある。江國さんはおそらくは父親経由で瀬戸内寂聴さんと面識があり、フェミナ賞に応募したのも寂聴さんの勧めだったそうだ。この寂聴さんと荒野さんの父親、井上光晴は不倫関係だったから、荒野さんは父親の不倫相手が選考する賞に応募したわけだ。
余談だが、文壇には「○○の娘」という例が多い。昭和62年(1987年)に海燕新人文学賞を受賞してデビューした吉本ばななは文芸批評家、吉本隆明の娘。もっと時代を遡ると、森茉莉と森鷗外、幸田文と幸田露伴、津島佑子・太田治子と太宰治……みんな父と娘。阿川弘之と阿川佐和子、金原瑞人と金原ひとみもそうだ。最近、円地文子と国語学者の上田万年が親子だと知ってびっくりした。また母子だが、澤田ふじ子と澤田瞳子も親子だ。
吉行エイスケと吉行淳之介、斎藤茂吉と北杜夫、大岡信と大岡玲、海外ではアレクサンドル・デュマとデュマ・フィスという例もあり、白石一郎と白石一文は親子で直木賞作家だが、父と息子より父と娘のほうが圧倒的に多い。息子が作家になると言った場合、親は「小説で一生食っていくのは難しい」と難色を示すが、娘の場合は「嫁に行くまでのモラトリアム」と思って許してもらえる節がある。上記のどなたかのエッセイにそう書かれていた記憶があるが、もっともそうした男女差は今ではほぼない。
短命だったFNSミステリー大賞
残る一つは、昭和63年(1988年)12月20日締切で公募した第1回FNSミステリー大賞。主催はフジテレビで、扶桑社が協力している。規定枚数は300枚~400枚。選考委員は中島河太郎、竹内洋、ほか。そして賞金はこれも1000万円である。「あれ?」と思った方もいるかもしれない。前出の日本推理サスペンス大賞とよく似ている。放送局と出版社という座組も同じなら賞金も同額、創設された年度も同じだ。
受賞者って誰だっけとネットを見たが、結果が検索に引っかからない。おかしいな、当時、大きな話題となったし、受賞者も公募ガイドに出てもらった記憶があるとバックナンバーを見たところ、「賞と顔」というコーナーに第1回FNSミステリー大賞・レディース・ミステリー特別賞として藤林愛夏さん(当時42歳)が出ていた。この号(公募ガイドVol.37)によると、第1回の応募数は341編あったが、該当作はなかった。
また、同号には第2回の募集も掲載されており、タイトルは「第2回FNSレディース・ミステリー大賞」となっていた。「レディース」が加えられていることからもわかるとおり、第2回から女性限定の賞に衣替えしたらしい。わざわざ応募対象を半分にしたのはフェミナ賞の影響か、女性層を取り込もうとしたのか。いずれにしても目論見はうまくいかなかったようで、同賞はこの第2回をもって終了している。
日本推理サスペンス大賞は第7回で、フェミナ賞は第3回で、FNSミステリー大賞は第2回で終了と短命だったが、しかし、この花火は大きかった。今までは暗いオタクの世界だった投稿の世界がパッと明るくなり、眩しさに目が眩むようだった。世はまさにバブル経済真っ只中。信じられないような勢いで公募が活気づき、「また文学賞が創設されたの?」と編集部はウハウハ、口の悪い人には「駅弁文学賞」と揶揄されるのだが、その快進撃についてはまた次回で!
文芸公募百年史バックナンバー
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