短編で学ぶ 小説講座1:深い人生観と雰囲気を感じさせる一人称小説
短編の書き方の特徴
短編小説は、400字詰め原稿用紙で言うと、100枚以内の作品になり、文学賞で100枚以内の枚数のものは短編の賞に分類されます。
もちろん、はっきりした決まりはありませんので、単行本になった短編集の中には150枚ぐらいのものもありますが、短くて10枚、長くて100枚、多くは60~80枚ぐらいという感じでしょうか。5枚、3枚、もっと少なくて300字といった枚数の短編は掌編と呼ばれます。
100枚の小説は、それだけでは単行本になる枚数ではないという意味では短編に含まれますが、100枚あればそれなりの結構の小説が書けますから、長編小説と変わるところはありません。
ただ、短編の場合は、枚数の関係で、ワンストーリー、ワンアイデア、あるいは、ある断面しか書けません。
たとえば、小松左京の長編小説『日本沈没』は、「日本が沈没するという話が絶対的な核のアイデアで、日本が沈没するためにはどうしたらいいかという中アイデアがびっしりきて、沈没したらいったい何が起こるかという枝葉がある」(川又千秋先生のインタビューより)のですが、筒井康隆の『日本沈没』のパロディー、『日本以外全部沈没』は短編ですので、「日本以外が全部沈没したら」というワンアイデアで書かれています。
さらに、もっと短い掌編になると、説明もとにかく短くコンパクトにまとめないといけません。だらだら書いたり、主人公の心の中をごちゃごちゃ書いていると、あっというまに紙幅が尽きてしまいますね。
しかし、文は短くとも表現効果は落とさず、効率よく表現をしなければいけませんので、そこが難しいところではあります。だからこそ勉強になるのですが。
私小説というリアル
ここでは、志賀直哉『城の崎にて』、梶井基次郎『冬の蠅』、三浦哲郎『拳銃』、村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』を取り上げます。
日本文学には、私小説という実体験を書いたジャンルがあります。実体験を書いたのだったらエッセイではないのかと思いそうですが、一から十までノンフィクションではなく、実体験を使って創作したものです。
読み始めて読者は、「これって実話っぽいな。うん、実話だ。実際にあった話だ」と思いますが、作者としてはしてやったりというところでしょう。
「これから本当にあった話をします。噓ではありません」という書き方をしますが、これはリアリティーを出す手法で、実際にはかなり創作が入っています。
あるいは、世間が勝手に私小説と言っているだけで、実は実体験でもなんでもなく、実体験を装っているだけかもしれません。それは作者でなければ分かりませんが、本来小説は読者を騙してなんぼというものですから、それはOKです。
騙すのが作家の仕事です。
そのようにして実話を書いたり、実話に見せたりするのは、言おうと思えば、たった一言でも言えること、人生観を漏らしたいからでしょう。
あるとき、病気やケガをして、人生について何か思う。しかし、それだけを唐突に書いて、「人生は○○だ」と言っても説得力がありません。それは名言集などを読んでも、必ずしも感銘を受けないのと同じです。だから、出来事を通じて、あるいは出来事の力を借りて、そのことを言っているわけです。
さて、次ページで取り上げる短編は四作とも私小説、またはそれに近い書き方をしていて、人称はエッセイと同じ一人称です。エッセイのようなスタイルですから、書くこと自体は難しくなく、書き方を真似ることは簡単だと思います。
しかし、凝った構成やあざとい仕掛けのようなものはありませんので、それだけに読後に何か深いものを残さないと再読に堪えないところはあります。
逆を返せば、結末を知ってから再読しても作品の良さは損なわれない。そこが名作たるゆえんです。
城の崎にて:志賀直哉
あらすじ
主人公の「自分」は山の手線の電車に跳ね飛ばされてケガをし、その後養生に、一人で但馬の城の崎温泉に出かける。
ある朝、温泉宿の屋根の上に一匹の蜂の死骸を発見する。それから少したち、のどに串を刺された鼠が小川に投げ込まれ、見物人に石を投げられているのを見る。さらにしばらくして、川原でイモリを驚かそうと石を投げたところ、偶然命中し、死なせてしまう。
ポイント
志賀直哉が東京で事故に遭ったのは事実。作中では、「イモリは偶然死んだ、死んだ蜂はどうなったろう、あの鼠はどうしたろう、死ななかった自分は今こうして歩いている。生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかった」と述懐する。三つのエピソードを通じて死生観を綴っている。
冬の蠅:梶井基次郎
あらすじ
主人公の「私」は渓間の温泉宿で療養している。もう二度目の冬である。冬が来て、私は日光欲を始める。窓を開け、日光が射すと、日陰ではよぼよぼしていた蝿が活気づき、私は冬の蠅を観察する。
ある日、私は村の郵便局に行き、そのとき、通りかかった乗合バスに乗って三里先の港町まで行ってしまう。そこで三日過ごして帰ると、蝿はすでに死んでしまっている。
ポイント
冬の蝿に病身の自分を見る。その蝿は、私が三日留守にし、日光を入れず、部屋も温めなかったため、寒気と飢えで死ぬ。
そして、私は「私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気が」する。『城の崎にて』同様、日本文学の伝統とも言うべき写生文で情景をスケッチした作品。
拳銃:三浦哲郎
あらすじ
主人公の「私」は母親を見舞いに郷里に帰る。私は6人兄弟の末っ子で、兄二人は家出して行方不明、長女と三女は色素欠乏症で、長女と次女は自殺していて故人である。母親は16年前に亡くなった夫(私の父親)のピストルの処分を依頼する。使った形跡はない。私は「東京の警察に届けますよ」と言い、翌朝、隣町の駅から東京に向かう汽車に乗る。
ポイント
かつてこの拳銃を見たとき、「この拳銃こそが、父親の支えだったのではあるまいか。その気になりさえすれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もある――そういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせたのではあるまいか」
と思ったことを思い出す。父親の遺品の拳銃を処分するというだけの話だが、小道具をうまく使い、ずしりと重い作品。
中国行きのスロウ・ボート:村上春樹
あらすじ
主人公の「僕」は模試で中国人小学校に行き、中国人教師と出会う。それが初めて会った中国人。二人目は大学生のとき。バイト先にいた中国人の女の子とデートし、帰りに彼女を山手線の逆方面に乗せてしまう。駅に戻った彼女に電話番号を聞くが、メモした紙を紛失する。三人目は28歳のとき。喫茶店で高校時代の知り合いの中国人に声をかけられる。
ポイント
村上春樹初の短編。カート・ヴォネガットやブローティガンの影響が強いと言われる同氏だが、「最初の中国人に出会ったのはいつのことだったろう?」で始まるなど私小説っぽく、現在から入って過去の三つのエピソードを出す構造は『城の崎にて』に似ている。『ライ麦畑』を彷彿とさせる居場所を探せない僕の追想と独特の文体で読ませる。
※本記事は「公募ガイド2014年6月号」の記事を再掲載したものです。