短編で学ぶ 小説講座2:トリッキーで効果的な技が冴える短編


短編は手品に似ている
文章を読むという行為にはご褒美が必要です。共感、感動、新しい知識、新しい発見など、何かを読者に与える必要がありますが、ご褒美は長編と短編では少し違います。長編はそれなりに重い読後感がないと、読んだ労力に見合わないところがあります。重いというか、真面目というか、テーマと真正面から向き合っているというか。
一方、短編では落語のようなオチのある作品やコメディーもOKです。
たとえば、吉行淳之介の「あいびき」という小品。ある男女が『あいびき』というホテルに行く。そこに行く前、男女は階下のレストランで食事をしたが、メニューにはミートボールしかなく、二人は不思議に思う。で、二人はベッドインしますが、女の子宮は鉄製のポンプになって男根を吸い込み、一方、男根は巨大な研磨機になって女を内部から粉砕していく。そして男女は骨までこなごなになり、合い挽きの肉塊になって、階下のレストランのミートボールになる……。
とてもシュールな展開で、これが長編だったら、長らく読ませて終わりはダジャレか!と言いたくなりますが、この作品は文庫本で5ページの小品だから許せてしまえるところがあります。
このように短編には、多かれ少なかれ最後に意外な結末が待っていたりしますが、結末が分かってしまわないように、なんらかの工夫をしないといけません。
たとえば、新美南吉の童話「飴だま」。
子どもを二人連れた女の旅人を乗せて、渡し船が出ようとしている。そこにヒゲを生やした侍が乗ってくる。侍は居眠りをしてこっくりこっくり。子どもが笑うと、母親は侍が怒りだしては一大事と注意する。子どもの一人が飴だまをねだる。
母親は与えるが、飴だまは一つしかなく、子どもたちは争う。子どもの声に侍は目を覚まし、刀を抜いてやってくる。母親は居眠りをじゃまされた侍が子どもたちを切り殺すと思うが、侍は飴だまを刀で二つに割って分けてやる。
このラストが手品的などんでん返しですが、もちろん、最初に「これは侍が子どもたちのために飴だまを割ってやる話です」と言ってしまったら台なしです。
また、そのことは覚られないように、「黒いひげをはやして、つよそうなさむらいが」と設定し、親切などはしないような雰囲気を醸しておく。このへんの勘所は手品や話術と同じです。
短編には切れ味が必要
太宰治に『親友交歓』という短編があります(『ヴィヨンの妻』所収)。
昭和21年9月、主人公の「私」は罹災して生家の津軽に避難している。そこに小学校時代の同級生の平田という男が訪ねてきます。この友人がまた傍若無人な振る舞いをし、「かかにお酌をさせろよ」などと言って私をさんざん振りまわしますが、私はウィスキーを出したりしてもてなします。
帰り際、友人は「ごちそうになったな。ウイスキイは、もらって行く。」と言い、私は四分の一ぐらい入っている角瓶に、友人がまだ湯呑茶碗に残しているウィスキーを注ぎ足してやる。すると、「ケチな真似をするな。新しいのがもう一本押入れの中にあるだろう。」と言う。私は煙草まで持たせて友人を玄関まで送るが、最後に彼は私の耳元でささやく。
「威張るな!」
これが最後の一行で、この作品はこれで終わっています。真似したくなりますが、下手にやるとセンスが問われそうな小気味よい終わり方です。
さて、次ページでは、芥川龍之介『魔術』、太宰治『魚服記』、生島治郎『暗い海暗い声』、向田邦子『三角波』を紹介します。
『魔術』は最後の切り返しが見事で手品のような作品。『魚服記』は結末とその過程ははっきりとは書かれていませんが、明確に類推できるように仕組んだ巧妙な作品。『暗い海暗い声』は幻想文学で、結末は掟破りです。『三角波』は最後にあっと驚く結末が待っていますが、常識の盲点をついていて意外です。
魔術:芥川龍之介
あらすじ
ある晩、主人公の「私」は人力車で小さな西洋館を訪ねます。表札には「印度人マテイラム・ミスラ」とあります。ミスラ氏は魔術を披露し、「誰にでも造作なく使えます。ただ欲のある人間には使えません」と言う。私は欲を捨てることができると約束し、魔術を習います。その後、私はトランプをしますが、友人が「財産をすっかり賭ける」と言うと、欲が出て、私は魔術を使ってイカサマをします。そして勝負には勝つが、カードの「王様」の顔がミスラ氏に変わり、私はまだミスラ氏宅にいることに気づく。
ポイント
夢オチという意味では「杜子春」と同じで、欲を出すと失敗するというところは「蜘蛛の糸」と同じ。数少ない夢オチの好例で、夢だったことに意味がある。
また、夢が覚める切り返しが鮮やか。
魚服記:太宰治
あらすじ
本州の北端の小山で、東京の学生が滝壺に落ちて死ぬ。それを15歳の少女スワは見る。スワはここで茶店をやっており、父親は夏は炭を焼き、盆過ぎに村へ売りに出る。父親はそれらが売れると酒くさい息をして帰ってくる。初雪が降った日、スワは疼痛を感じる。体がしびれるほど重い。ついであのくさい呼吸を聞く。スワは「阿呆」と言い、滝壺に飛び込む。
気づくとスワは鮒になっており、しばらく考えたのち、再び滝壺に向かう。
ポイント
疼痛というのは近親相姦と読める。それで自殺した少女は鮒に生まれ変わるが、鮒も自殺するというシニシズムの極致。
冒頭の学生の水死、父親に向かって「阿呆、阿呆」と言うセリフ、酒くさい息など、すべての部品が結末に向かって連動しているという技巧的な作品。
暗い海暗い声:生島治郎
あらすじ
重苦しいほどむし暑い晩、海は静まりかえっている。主人公の「私」は後甲板のほうに歩いていく。そこに先客の男がいる。男は骸骨のように痩せ細り、顔色はひどく蒼白い。男は「この船に幽霊が出るという噂がある」と言う。その幽霊はかつてここから海に飛び込んだ男で、スクリューに切り取られたのか右腕がないとも。そして、男は「ぼくには、その気持がわかるな」と言う。そのとき男は私の右腕がないのに気づく。
ポイント
この作品は一人称で、語り手も「私」だが、通常、語り手は物語の外にいると考えるもの。だから、「幽霊が出るそうだ、その正体は?」と語り手が語れば、幽霊は語り手以外ということになるが、この作品はそれを逆手にとっている。語り手に同化して読むと結末が意外。
三角波:向田邦子
あらすじ
巻子は達夫との結婚を控え、不安がある。波多野という達夫の部下が巻子に気があるらしい。二人の間に割って入りそうだ。しかし、無事挙式をし、新婚旅行に行く。巻子は達夫と波多野が、巻子を奪い合うように激しく卓球をしたことを思い出す。夜、波多野から電話が来る。
仕事の電話だったが、巻子にはベッドに入る時間を狙って掛けてきたように感じる。新居での生活が始まり、雨戸を開けて巻子は凍りつく。そこに波多野がいる。
ポイント
冒頭、電線に止まっていた二羽の鳩が交尾を始めるのは象徴的で比喩的な導入部。また、タイトルの「三角波」も関係を象徴するとともに伏線にもなっている。
と同時に、これらの伏線がすべて読者をミスリードさせる材料にもなっている。常識の盲点をついた仕掛け。
※本記事は「公募ガイド2014年6月号」の記事を再掲載したものです。