恋の短歌キット3:恋を詠もう1(東直子×せきしろインタビュー)


せきしろさんに恋の歌を作っていただきました。思い出を独特の感性で切り取った6首を、東さんと面白おかしく、そして深く読んでいく対談です。短歌のおいしいところがぎゅっと詰まっています。
せきしろさんの「恋の歌」(コメント:東直子先生)
短歌1:ミヤネ屋の声が聞こえて急ぎ出す待ち合わせまであと3時間
毎日午後2時ごろに始まる「ミヤネ屋」を時報がわりに使っているらしい。3時間も前からそわそわしている高揚感と、番組名からの、少々俗っぽいことがテレビから流れ続けている真昼間のけだるい感じとが重なりあって、なんともいえないリアリティーが生じている。
短歌2:干してある毛布の柄の花の名は知らないけれど呼び鈴を押す
呼び鈴を押すときに干してある毛布の柄が目に入った。ノスタルジックな毛布の花模様のその花の名前を本気で知りたいわけではなくて、なんとなく見ている、という所が味噌。生活の細部が外にはみ出しているのを訪ねてきた人が見るという構図が、ほんのり官能的。
短歌3:好きな子の通学用のヘルメット日差しがあたり温かいはず
使っている物さえ気になるのは、好きである証拠。本人不在のまま私物を見つめる場面に、片思いならではの至福と切なさがある。ヘルメットに日差しがあたって温まることと、その子の体温で温まることが繋がり、さらにその温かさを我がことのように感じている。
短歌4:恋人が力の限り雪を蹴るほんのわずかな雪が舞うだけ
人間側の「力の限り」にびくともしない雪、という対比が楽しい。恋人が、雪を蹴ろうとするいたずら心から、思ったよりも雪が舞わなくてちょっとがっかりする、行動と共にある心理の変化をすべて把握した上で、どうでもいいような時間を静かに慈しんでいる。
短歌5:突如鳴るバナナジュースを作る音彼女の声が聞こえなくなる
喫茶店で会話しているとふいに大きな音をたてるミキサー。相手の声がかき消される。そういうときに限って大事なことを言われていたのではないかと不安になるだろう。現実的な一瞬の描写と気持ちの揺れがくっきりと伝わる。バナナジュースという具体が効果的。
短歌6:今キミの足元にある石ころは僕が家から蹴って来たもの
道端の石ころを同伴者のように蹴り続けてきた行為に、うれしさや不安感など、いつもとは違うテンションにあることが窺える。2人の間に石ころが転がっている足元をクローズアップするだけで前後の時間を豊かに想像させる1首の切り取り方が絶妙で、素晴らしい。
過去の恋を思い出すのは楽しかったですね
――今回のお題は「恋」でしたが、いかがでした?
せきしろ
恋ってもうしないじゃないですか、この年になると(笑)。その場合に、過去を思い出すのと空想するのはどっちがいいのか?僕は思い出すほうが得意なので思い出して作りました。今のこと、たとえば「夏で暑い」という歌のほうが作りやすさはあるけど、思い出すのは楽しかったですね。
東
私も昔は恋の歌をよく作っていたような気がします(笑)。同世代の歌人は「口語、青春、恋」の3点セットという感じがありました。それは、もともと短歌は恋をベースに作られてきたという長い伝統があって、恋を詠むことは一般化されていたんです。
せきしろ
たしかに、短歌自体に恋愛のイメージがすごくあって、いろんな恋の短歌があると思うと、緊張しましたね。
東
相聞歌という形で奈良時代平安時代から恋愛を詠んできた歴史もあるので、短歌と恋を詠むことは太く結びついていますね。ただ、今の若い世代は逆に恋を詠むことを避ける印象もあって、恋の短歌も変わってきたなと思っています。
ミヤネ屋で時間を把握している日常を詠みました
――6首作ってみて、どうでしたか。
せきしろ
自分の感情を客観的にとらえるようにして詠みました。正直、そうしないと恥ずかしさや生々しさがありますよね。
東
たしかに恋愛の歌には気恥ずかしさがついて回りますね。
せきしろ
僕という人間を想像しながら読まれる恥ずかしさというか。
東
そうですね、でも短歌にすることでフィクション性を帯びるので、作品と割り切れば私はだいたい大丈夫ですね。
――ではさっそく、短歌①から見ていきましょう。
せきしろ
会社勤めではないので、生活リズムがバラバラになるんです。だからミヤネ屋で時間を把握してて、そんな日常を元に詠みました。
東
面白い歌だと思いました。状況がわかりますし、「ミヤネ屋」が効いていますね。この番組がかもしだす日常性がいいです。そういうのを毎日見ている人なんだなと。しかも「聞こえてくる」なので多分つけっぱなしなんですよね。
せきしろ
そうですね。特に好きなわけじゃないけど、ずっとつけてますね。あの時間、ミヤネ屋しかないですよね。
東
そんなことは(笑)。でもそのなんとなくさが歌にマッチしていました。あと「3時間前」に、待ち合わせへの意識の強さが出ていましたね。支度に3時間もかかるなら女の子視点の歌なのかな?とも思いましたが。
せきしろ
歌の主体は僕です。着替えなおしたり時間がかかるんですよ。好きな子だったら待たせないようにしたいなとも思いますし。
東
そのかわいい気持ちが歌にも出ていました。
――短歌②はどんな背景があるんでしょうか。
せきしろ
女の子のアパートに行ったときの話ですね。各部屋のベランダにいろいろと干してある。その生活感がいい反面、女の子にはかわいいものを干してほしいと思う。でもお客様用に出してきたちょっと高いやつだったりしたらそれはそれでいいし、などと思いながらドアの前まで行く歌ですね。
東
恋の歌っていうと、気持ちの動きだけを書こうとすることが多いんです。でも実際は同時にいろんなことを見て考えているはずで、せきしろさんはそれを絶妙にすくいあげていますよね。今からまさに呼び鈴を押すという決定的瞬間に、毛布の柄のことを考えているという人間性の出方がとても面白い。付き合いたての初々しさも感じます。
せきしろ
初めて家に行ったときのことですね。覚えていることを素直に詠みました。
――短歌③についてはいかがですか。
せきしろ
中学生のころ、自転車通学の子がいたんです。ダサいヘルメットをまじめにかぶっている感じがかわいかった。あるとき、置いてあるそのヘルメットに直射日光があたっていた。温かいだろうなと思うけど、触るわけにはいかずにただ見ていたという思い出を元に作りました。
東
気になる人の持ち物が気になるというのは普遍的な心情かなと思います。日差しと彼女の体温の両方を感じているようなところもありますよね。想像のぬくもりで満足しているような幼い恋。1つ気になるのは、「好きな子」は直接的すぎる気もします。書かずとも好きなことは伝わるので、シンプルに「君が置いた」などにするとよかったかもしれないですね。
せきしろ
なるほど。
※本記事は「公募ガイド2020年10月号」の記事を再掲載したものです。