恋の短歌キット4:恋を詠もう2(東直子×せきしろインタビュー)


足元の石に魂をみる繊細さがユニーク
――短歌④は冬の歌ですね。
せきしろ
雪が積もっていて、女の子は舞い上がると思って蹴った。なのにぜんぜん舞い上がらなくて、それがよかったなと思い出して作った歌です。だってたくさん舞い上がっても嫌じゃないですか(笑)。
東
あ、そうですか?(笑)
せきしろ
こっちも緊張しちゃいますよ。わ、力強い!って。
東
なるほど(笑)。この歌は、無意味なことができる関係性が愛情を表していてよかったですね。1点だけ言うと、「雪が舞うだけ」の「だけ」に「これっぽちだった」という主体の気持ちが入り込んでしまっているので、情景だけに描写をとどめてもよかったかも。
せきしろ
そうですね。親密にするときに、わざとやらなくていいことをする年代ってあったと思うんです。そのときのことを元にしました。
――短歌⑤についてお願いします。
せきしろ
僕、バナナジュースが好きなので必ず頼むんです。でもミキサーの音がすごく大きい店もあって、言っていることが何も聞こえなくなるんですよ。ほかの人にも迷惑かけて。そのあと、僕のところにバナナジュースが来ると周囲の人は「あいつのか」となって気まずいじゃないですか。目の前の人の話も、聞こえないままイチかバチか返事してみるけどダメなときもあるし、という気持ちを凝縮しました。
東
ありますよね、大事な話に限って電車の音にかき消されるとか、切ないようなおかしいような出来事。数秒をとらえて、みんなが忘れていく出来事を「たしかにそういうことある」と思い出させてくれる歌です。しかも話が聞こえない原因は、自分のバナナジュースというのがいい。バナナジュースで起こった少しの不安が今後を暗喩しているようにも読めて、物語としてのふくらみもありますね。
せきしろ
ありがとうございます。
――短歌⑥はいかがですか。
せきしろ
昔から道を歩くときに、「白線から落ちたら家が火事になってる」とか余計なことを想像しながら歩くんです。このときもなんとなく石を蹴り始めて、最後まで続けられたらいいことがあると勝手に思っちゃって、頑張って蹴ってきたという話ですね。でも相手は知らないままという部分も歌にしました。「それは蹴ってきた石だよ」とは言えないですからね。
東
それは言わないほうがいいかもしれないですね(笑)。この歌、いちばん好きでした。世の中的に意味はないんだけど自分にとっては意味があるということを誰しも持っていますよね。それから「石ころ」が、君の家に行く特別さ、たどり着くことのできた奇跡を感じていることを象徴しています。
足元の石に魂をみる繊細さがユニークでした。「キミ」が片仮名なのも照れが感じられていいですね。
せきしろ
ありがとうございます。「キミ」は、すっと読んでもらえるように片仮名にしました。
東
軽さがあって、石ころのコロンと転がる感じとも響き合っていてよかったですね。
――これで6首終了です。ありがとうございました! 読者の皆さんにも、恋の一瞬をつかまえて短歌を楽しんでほしいですね。
東さん&せきしろさんの2人に聞きたい4つのこと
プロになるまでを振り返って、効果的だった練習方法はありますか?
せきしろ
投稿を始めたころは、かなりの数書いてましたね。公募ガイド読者もそうかもしれないですけど、何個載るまで書くとかノルマや目標を決めてやってました。仕事もなんでもないときにそういうことをやってて、それが訓練になっていたのかもしれません。具体的には、なんでも100個と考えながら多めに多めに作ってましたね。
東
今回の短歌も本当はもっと作ってらしたんですか?
せきしろ
そうですね、最初は2首でいいと言われてたんですけど、出してみて「これはちょっと」と言われると怖いのでたくさん作りました。ずっとそういうふうにやってきたのも訓練になったのかもしれないですね。でもそれに疲れたりはないですね、考えることが好きなんだと思います。
東
私の場合は、短歌をやっているうちに歌会に参加するようになって、人に意見をもらうことと、自分も意見を出すことの両方を繰り返したことが力になったのかもしれません。
短歌を作る楽しみはどういうところにあると思いますか?
せきしろ
ずっと漠然と頭の中にあったものが、作品として言語化された瞬間に僕はうれしくなりますね。たとえばさっきの「ミヤネ屋」も、ずっと頭の中にはあって、それを作品に落とし込めると喜びを感じます。
東
そうですね。モヤモヤしていたものが、形になってこの世に出せた喜びはありますね。それから、短歌や俳句は短いので、ひとつの言葉を生かすことができたらよい作品になりますよね。そんなふうに、言葉そのものの味わいをアップデートしていく楽しみもあると思います。小説はマラソンですが、短歌は瞬間の面白さを切り取る短距離走の楽しさですね。
せきしろ
僕は短歌や俳句以外も作りますが、作ること自体に「楽しいな~」はあまりない気もします。褒められたり、雑誌に掲載されたりしてほかの人の目に触れるとうれしいです。
東
私は投稿から短歌を始めたんですけど、やっぱり活字になって載るとうれしかったですね。
自分らしい作品、オリジナリティーはどのようにして獲得しましたか?
東
個性の発見ですよね。私の場合は、周囲の人から「こういうの好きそうだよね」「こういうの書いてよ」と、外から言われてだんだんそうなっていったという感じです。自分自身で内側から個性を発見して邁まい進しんした感じじゃない気がします。せきしろさんは、自分の個性をわかっている感じがしますよね。
せきしろ
いや僕もなんにもわかってないですよ。何が得意かなんて何もわからずにやってます。ただ、わざわざ文章にしなくてもいいようなことを拾い上げるのは得意かもなあと思います。
東
せきしろさんは人が見ないものを見ていますよね。そういう個性をどうやって身に付けるかといわれると、う~ん、とにかく何でもやってみることですかね。来た球をどんどん打ち返しているうちに自分の好きや得意がわかると思います。
せきしろ
それはありますよね。僕は最初、雑誌の仕事で10文字5行とかの短い文章ばかりたくさん書いていたんですが、楽しくて、向いてるなと思いましたね。
「よい短歌」とはどういうものなんでしょうか?
東
自分だけの視点や感覚があるものはよい作品なんじゃないかなと思います。
せきしろ
そうですね、お題があるときは、それをどれだけ派生させられるか、だと思います。お題が「恋」でキスだと誰でも思いつくので、そうじゃないものを考えるようにしています。だから恋に関係なさそうな単語を入れ込むとかしてみるといいかも。「石ころ」とか「ヘルメット」とか。そうすると他の人と違うよい作品になるかなと思います。
東
ミヤネ屋とかね(笑)。意外性のある単語が1つ入るだけでずいぶん変わりますよね。それから、推敲も大事ですね。細かな助詞を整えたり、定型のリズムを生かす作業は欠かせません。
せきしろ
僕は、推敲をするときはプリントアウトしたり、場所を変えたり一度寝たりと、切り替えてから行うようにしています。
※本記事は「公募ガイド2020年10月号」の記事を再掲載したものです。