公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

2018年WEB版SPECIAL INTERVIEW 一挙掲載!

タグ
小説・シナリオ
小説
バックナンバー

「月刊公募ガイド」2018年4月号から11月号までに特集でご紹介させていただいた先生方のWEB版ひとことインタビューを一挙掲載しています!
創作のヒントになるエッセンスが随所に詰まったご返答を頂いているので、ぜひご覧ください。

町田康先生インタビュー(4月号掲載)

――こぢんまりとまとまっている、弱いなどと言われます。どうしたら力のある作品を書くことができるでしょうか。

町田先生:真面目な方のようですね。小説の世界はまとまっていなければいけない、破綻があってはいけないと考えているのかもしれません。
小説って、全部きっちりまとまっているわけではないんですよね。
ちょっと不真面目にやってみてはどうですかね。首尾一貫していなくてもいいぐらいの気持ちで。破綻を恐れずにやるといいと思いますね。

――つまらない、ありきたりな日常を「これはいい!」と思ってもらえるエッセイにするにはどうしたらいいでしょうか。

町田先生:つまらない日常が一番変なんです。ただ、敏感に感じ取らないとわからない。
たとえば、「ムーンライトながら」という快速列車があります。
「ムーンライト長良」と書いてあれば、「ながら」は地名だとわかりますが、「ムーンライトながら」と書いてあると、「ムーンライトではあるけれども」と読める。「ムーライトながら……」と言いかけてやめたみたいな中途半端な感じがして(笑)。
普通の中には変がいっぱいある。それらを感じ取って書いていけば、すごく面白いエッセイになると思いますよ。

――書きたい衝動だけあって、語りたい内容がない場合は、どのようにして書く題材を見つければいいでしょうか。

町田先生:小説とはこういうものだというリミッターがかかっているんじゃないですかね。小説とは何かということを考え直してはどうでしょうか。
いろんな小説を読むと、こんな小説もあるのか、こんな書き方でもいいんだ、と思わされます。
小説はどんな書き方をしてもいいんだ、ということがわかればリミッターがとれて、面白いものが書けるようになるかもしれません。

 

町田康

62年大阪府生まれ。97年『くっすん大黒』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、00年「きれぎれ」で芥川賞を受賞。『告白』『生の肯定』など著書多数。

 

中島京子先生インタビュー(5月号掲載)

――中島京子先生の『樽とタタン』を読みました。小学生のタタンが主人公ですが、この話を語っているのは、小学校の頃から30年以上も経ったあとのタタンです。このような設定にした理由を教えてください。

長い時間が経ってから回想しているという形をとることによって出てくる効果を考えました。
語っているのは記憶の中のことだから、タタンに本当に起こったことなのか、いつの間にか作ってしまったストーリーなのか、誰かに聞いた話なのか、どこかで読んだ話なのか、いろいろ混ざっちゃっているだろうというような想定で書いています。

――中島京子先生の『樽とタタン』は、昔あったことを今語るという形式のように思いますが、回想ですので、いろいろなことがあいまいなのが普通です。では、作品の中で今起きている出来事を詳細に書いては不自然でしょうか。

回想ですから、すべて細かく記憶しているわけではなく、『樽とタタン』の中でも、長いセリフのあとに、〈そんなようなことを、学生さんはぶつぶつ言っていたように覚えている。〉と書いたりしています。
ただ、小説というのは、考えてみると不自然なもの、創造物です。一般的に、小説の状況は詳細に書かれるものです。わたしは気にしていません。

――情景描写などで、町の建物や草木植物の名前、場面に配置されている名詞を挙げ連ねたいのですが、目に写るものの名前すべてを知っているわけではありません。資料はどうやって探せばいいですか。また、資料不足でわからないところを書かなければならないとき、うまいごまかし方があれば教えてください。

植物図鑑を一冊買う。あるいはネットで検索してみてください。写真がついていて、木や葉の形状、花が咲く時期、どういうところに生えているかなどが詳細に書かれています。町で見かける程度の植物なら、まず間違いなく載っています。なぜごまかすのか理由がわかりませんが、創作であれば何を置いてもいいのでは。

 

中島京子

1964年東京都生まれ。東京女子大学卒。出版社勤務を経て、2003年『FUTON』でデビュー。10年『小さいおうち』で直木賞、14年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。『かたづの!』『長いお別れ』など著書多数。

 

最果タヒさんインタビュー(7月号掲載)

――縦書きの詩と横書きの詩がありますか、書く前に決まっているのですか。

最初は特に決まっていません。書いている時に言葉のリズムや、長さによって、なんとなく縦か横か見えてくることが多いです。

――詩が書けないときはありますか。

書けない、というよりは書き始めることができない、ということはよくあります。「詩を書くぞ」と意気込むと、緊張で言葉がすんなりでてこなくなりますし、逆に気持ちをゆるめていると、本当にリラックスしてしまって、気づくと何にもしてない……なんてこともあります。ぼんやりしたままで集中している状態に入るにはどうしたらいいか、私もよくわかっていないので、それまでは苦労します。今のところ、「書けない」ということを気にせずに、とりあえず書き始める、うまくいかなくても書き続ける、ということが一番良い方法に思っています。

――詩がなかったら、どうしていましたか。

この世に詩がなかったとしても、私はブログに同じような文章を書いていたと思います。それが「詩みたいだね」と言われたことで、詩の世界に入っていったので、詩というものがなくても、同じようなものを私は書いていたように思います。

 

最果タヒ

2006年現代詩手帖賞、2007年『グッドモーニング』で中原中也賞、2014年『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞。2016年『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を刊行し、翌年、映画化される。ほか、エッセイ『きみの言い訳は最高の芸術』、『千年後の百人一首』など著書多数。

 

 

honda.png

本多孝好さんインタビュー(8月号掲載)

――登場人物を考える際、その人物の履歴書は作成しますか?またはルールなどを決めていたりしますか?

本多先生:登場人物の履歴は、当然意識はしますが、人物造形に役立てるために履歴書を作成したことはありません。 ルールとして考えるのは「この人はどのように他者とかかわる人か(あるいは、かかわりたいと望んでいる人か)」です。

――本多さんが作品を作られるときは、どのようにして作りあげていくのか興味があります。 おおまかな全体のストーリーは頭の中ですでに完成しているのでしょうか。 または少しずつ書きながら作り上げていくのでしょうか。それとも私の想像を超えてますか。企業秘密でしょうか。

本多先生:私は『頭の中だけで物語を作る』ということができません。文字を書くことで、初めて物語が動きます。 ですので、「書きながら作り上げていく」ということになります。
ある抽象的なイメージがある → それを文章にしてみる → 物語が動き出す、という順序です。

――原作がドラマ化されたとき、ドラマについても「自分の作品」と思うものですか。 それとも、「ドラマはドラマ」と割り切り、原作にない人物が追加されても気にならないものですか。

本多先生:映像作品は他者の作品だと思っていますし、実際、そこに原作者が関与できる余地はほとんどありません。 今回、ドラマの脚本に参加したのは、部外者の原作者ではなく、当事者の脚本家として映像にかかわってみたかったから、というのも理由の一つです。

 

本多孝好

1971年、東京都生まれ。慶応大学卒。1994年、「眠りの海」で第16回小説推理新人賞を受賞。デビュー作を含む短編集『MISSING』が、このミステリーがすごい! 2000年版でトップ10に。『イエスタデイズ』『真夜中の五分前』『ストレイヤーズ・クロニクル』『at Home』が映画化。今回、公募ガイドで取り上げるドラマ『dele』(テレビ朝日)では原案と脚本も担当。

 

shimada.png

島田雅彦さんインタビュー(8月号掲載)

――こういう文章はよくないという例はありますか。

島田先生:人は放っておくと、自堕落な私(わたくし)語りに陥る。「ムカついた」で終わるようなね。トランプのツイッターじゃあるまいし。トランプ大統領のツイッターなんていうのは、悪い見本の典型みたいなもので。要するに、大統領のくせにマウンティングばかりしているでしょ。そんなもの、誰が読みたいんだということですね。

――デビューのきっかけは、持ち込みだったそうですね。

島田先生:福武書店(現ベネッセ)が発行していた文芸誌『海燕』に持ち込みました。持ち込みをしたのは、大学の卒業が近く、急いでいたからです。『海燕』にしたのは後発の文芸誌で、新人がいないから新人に飢えているだろうと思ったからです。知人に出版社の人がいて、相談に行ったところ、その場で『海燕』編集部に電話してくれ、「〇月〇日に来いって」と言われ、持ち込みをしました。

――芥川賞の選考委員をされていますが、昔と比べて純文学は変わっていますか。

島田先生:純文学とそうでないものとは、画然と隔てるものがあると思います。といって、純文学がエンターテインメントへの努力をしなくていいということにはならない。エンターテインメントはどんな作家であっても当然やらなければならないサービスの1つですね。

 

島田雅彦

1961年生まれ。東京外国語大学卒。83年、『海燕』に掲載された『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。同作を含め、6度芥川賞の候補になる。ほか、『僕は模造人間』『彼岸先生』など著書多数。2003年から03年からは法政大学国際文化学部教授。10年下半期から芥川賞選考委員。

 

takahashi.png

高橋弘希さんインタビュー(9月号掲載)

――バンド活動をされていたそうですが、それはいつ頃ですか。

高橋先生:バンドは高校生のときからやってました。主に活動していたのは20代のときです。

――小説と歌詞、書き方を明確に変えていますか。

高橋先生:書き方を変えるというか、自分は、小説と作詞はまったく別もので、歌詞を書くうちに、それがどんどん長くなっていき、それで小説になったということはないです。

――売れる小説と賞向きの小説の違いは?

高橋先生:純文学の場合、売れる小説と受賞する小説はずいぶん違うと思う。 エンタメだと、売れる小説で受賞することも、わりとある、かも?

――書きたい衝動はありますが、何を書いていいのかわかりません。

高橋先生:衝動があるのはいいこと。 書くことがなければ、とりあえず日記などはどうでしょう。 書いているうちに何かが見えてくるかも。

――どうしたら小説家になれますか。

高橋先生:以前、講演会で同じ質問をされたのですが、なんて答えたのか覚えていないんですよね…。ちなみにその質問をした方は、その後に文藝賞を受賞したそうです。 何か触発されるものがあったのかも。でもやっぱり、書きたいものを、書きたいように書けば良いのでは。

 

高橋弘希

1979年、青森県生まれ。文教大学文学部卒。予備校に講師として勤め、またオルタナ系ロックバンドで作詞・作曲を担当。 2014年、『指の骨』で新潮新人賞受賞。 2017年、『日曜日の人々(サンデー・ピープル』で野間文芸新人賞受賞。 2018年、『送り火』で芥川賞受賞。

 

motoya.png

本谷有希子さんインタビュー(11月号掲載)

――思いついたことはメモをしますか。また、執筆される場所と時間は?

本谷先生:メモはまったくしません。 執筆するのは自宅の中の仕事場です。時間は、10時から午後4時、5時ぐらいまでですが、午前中のほうが能率はいいかな。

――セリフに関して、自分なりのルールはありますか。

本谷先生:自分が知っている人の声にセリフの声を置き換えて、頭の中でその人の声でセリフを書きます。自分の中に“人”がいないとセリフは書けないです。 想像だけで書いてしまうと、絵に描いた人のセリフのようになってしまいます。

――最新のセブンルールはありますか。

本谷先生:「ザ・ノンフィクション」というドキュメンタリー番組を、家族が寝静まった状態で、誰にもじゃまされず、二回観る(笑)。せちがらさを受け止めて、それをわかったうえで、もう一回観ると、視点が変わって面白いんです。

 

本谷有希子

1979年、石川県生まれ。2000年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、作・演出を手がける。2006年、『遭難、』で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。2008年、「幸せ最高ありがとうマジで!」で第53回岸田國士戯曲賞を受賞。2011年、『ぬるい毒』で第33回野間文芸新人賞受賞。2013年、『嵐のピクニック』で第7回大江健三郎賞受賞。2014年、『自分を好きになる方法』で第27回三島由紀夫賞受賞。2016年、『異類婚姻譚』で第154回芥川賞受賞。純文学新人賞3冠作家となる。