第33回「小説でもどうぞ」佳作 あるじとの再会 エフエフエフ
第33回結果発表
課 題
不適切
※応募数275編
あるじとの再会
エフエフエフ
エフエフエフ
枯木のように細い腕をした痩せ細った男が、花の添えられた棺桶の中で横たわっていた。
その顔はいつもより白かった。
口を阿呆のようにぽかんと開けていた。中をのぞきこむと真っ暗だった。
吸いこまれそうな闇を感じた俺は、それ以上深くのぞきこむのを止め、目元に視線を移した。どんぐりのような丸々とした目が俺は好きだった。
しかしその目はもうピッタリと閉じられていた。
俺は棺桶に近づき、顔に手を伸ばした。
頬に触れると、冷たく固く、さほど賢くなかった俺でも、事の次第を理解した。
泣かずにはおれなかった。自分で自分を抑えきれなかった。
子どもだったから当然か。でも子どもでなかったとしても俺は泣いていたと思う。
それほど俺にとっては大切な存在だった。彼は俺の一部であり、全てであった。
感情のおもむくままに泣き叫んだ。周りの目なんかおかまいなしに泣いた。
長い長いサイレンのような、泣いている自分の鼓膜が破れるのではと思えるほどの嘆きだった。今でもあのときの自分の声は鮮明に記憶している。
すると恵子に叱られた。
「おじいちゃんの葬式で、なんてふざけた真似をするのかしら!」
おまけに頭を叩かれた。
何様のつもりだと噛みついてやりたかったが、力はあのときの俺より強かった。
ちなみに恵子は俺の母だ。
いずれにしても二度と会えないという喪失感が果てしなく大きく、俺は自分の半身が損なわれたような心地をおぼえた。
感傷的になりすぎた。
死は好きじゃない。死を連想させるものも好きじゃない。
理屈ではないのだ。もっと本能的なものだ。
明るい話に変えよう。
死から遠い、まだ生まれたばかりの話。
おぎゃあおぎゃあと産まれたばかりの甥の話。
沙世は二年前に結婚しており、最近男の子が産まれたのだ。
沙世は二歳上の姉だ。
それはいいのだが、姉の子どもの顔には不思議となつかしさをおぼえた。
あるとき姉が子どもを連れて家に遊びに来た。
ベッドに寝ている赤子を見て油断したのか、母と姉は別の部屋に移ってしまった。
なんと不用意なことかと半ば呆れた俺だが、幼い甥を一人残すのは心配だったので、しばらく見守ることにした。
赤子と二人きりになった俺は、その寝顔をまじまじと見つめる。
すやすやと無垢な姿で寝ている。
可愛い。たまらなく可愛い。
思わずぺろぺろ舐めてしまいたくなりそうな可愛さだが、それは自重した。
彼の平穏を乱してはまずいと思い、立ち去ろうとするや
「おい、なぜあのときあんなことをした」
振り返り、そっと近寄り、再び甥の顔をのぞきこむ。
目を閉じて眠っている。
気のせいか。
今度こそ振り返らず、立ち去ろう。
ただし起こさないよう、足音をさせずに。
忍び足で歩こうとするや否や。
「おい、返事くらいしろ」
たしかに聞こえた。
再びゆっくりと振り返る。
赤子はベッドの上であおむけだが、目を見開き、瞳はこちらに向けられていた。
どんぐりのように丸々とした目だ。
その顔は、懐かしい面影を残していた。
まちがいない、あの人だ。
「ひさしぶり」
俺がそう呼びかけると、赤子は驚いた顔をしたが、やがて目を細めて笑った。
「元気そうだな。俺が分かるのか」
「あるじ、お久しぶり」
俺は舌を出して笑った。
すると赤子は全てを理解した顔つきをした。
「お前は、まさか」
そう。甥がかつて祖父であったように、俺はかつてあるじの愛犬だったのだ。
不慮の事故で死んでしまったが、こうして人間として転生でき、幸か不幸か前世の記憶まで忘れずにいたのだ。
どうやらあるじも同じく記憶を保持したままらしい。
赤子の姿のあるじの目尻には涙が映る。
「そうか。そういうことか。お前は、あのときの」
「思い出してくれたかい?」
「あのときはすまなかったな。私が手綱を放してしまったせいで、お前は駆け出して車に惹かれて死んでしまった」
「もう過ぎたことだよ。それにこうしてあるじと会えて話ができて俺は幸せだよ」
おそらくあるじは、あのとき真上から自分の葬式を眺めているという光景を目にしていたのだろう。俺も似たような経験をしたから分かる。
あるじは、自分の葬式で犬の鳴きまねをする孫の姿を見て憤慨したのだとか。
その後、黄泉の国をしばし放浪したのち、こうして俺の甥として転生したのだという。
「これで長年の謎が解けた。わしはてっきりお前に馬鹿にされていたのかと思っとった」
「逆だよ。悲しくて悲しくて、再び会えたのにまた離ればなれになるのがつらくて思わず犬の頃のように泣いてしまったんだ」
「そうか。哀しい思いをさせて悪かったな」
俺は小さくなったあるじを抱きかかえ、あやすように微笑みかけた。
あるじは産まれたばかりの赤ん坊のように無邪気に笑った。
(了)