第33回「小説でもどうぞ」佳作 ステゴロ 佐藤海斗
第33回結果発表
課 題
不適切
※応募数275編
ステゴロ
佐藤海斗
佐藤海斗
芸歴十年、小林と相方の清水で結成されたお笑いコンビ「ステゴロ」のアウトローな見た目と悪態をつく漫才は、劇場に足を運ぶコアなお笑いファンから人気であった。特にネタ作り担当の小林は、劇場でもカリスマ的存在であり、このままテレビで活躍していくのだろうと皆思っていた。
しかし、コンプライアンスを重視する昨今のテレビ番組と彼らの芸風は相性が悪く、テレビ出演の機会はなかなか与えられなかった。劇場人気の勢いをそのままにテレビ番組で活躍させたい事務所は、彼らにネタの方向性について再三の検討を持ち掛けるも、プライドの高い小林が応じることはなかった。その結果、劇場での仕事も減っていき、
子供たちが夏休みに入る七月下旬。二人は客寄せとして、地方のショッピングモールにやってきた。都内での仕事と違って、満員電車に揺られることなく現場に行けることだけが唯一の利点だ。
少し時間を巻いてネタを終えたとき、客席の端に座る少女に目が留まった。歳は小学校低学年くらいだろうか。買い物の休憩がてら座りにくる高齢の客が多かったので、若い子が一人で見に来るのは珍しいなと思いつつ、舞台を後にした。
一服しようと楽屋を出ると、先ほどの少女が誰もいないステージの前に一人座っていた。少女が気になった小林は声をかけに行く。
「お嬢ちゃん一人で見に来たの。パパとママは一緒じゃないの」
腕をもう片方の手でぎゅっと握った少女は、軽くうなずいた。色褪せ、汗ばんだ灰色の長袖シャツを着た少女は、年頃の女の子にしては髪もボサついていて、毛先もざっくばらんで不揃いだ。
「ごめんな。こんな見た目だけど怖い人じゃないからな。ほら、嬢ちゃんもさっき、見に来てくれたじゃんか。お笑い好きなの」
黙ったままこくりと頷く。
「誰か好きな芸人さんはいるの」
「ティファニー」
ぼそっと呟いた芸人の名前は、テレビを席巻するお笑いコンビの名前で、コンビの仲の良さが国民にも大人気であった。
「今日ティファニーじゃなくてごめんな。おじさんたちも頑張ってテレビ出るから応援してくれな」
少女は不愛想な顔をもこわばらせながらもじもじとしていた。何と返そうと言葉を探しながら、シャツの袖で顔の汗をぬぐったときに、ちらりと腕に青黒い
「お嬢ちゃん、その腕どうしたの」
小林が問いかける。
「転んだ」
少女はそれだけ言うと、足早に走り去っていった。
おそらく親からは痣について聞かれたら、そう答えるようにと言われているのだろう。他人の家庭事情に踏み込めるほど、自分たちは殊勝な人間ではないし、その方法もわからない。
喫煙所でたばこの煙をくゆらせる。頭の中では様々な感情と思考が入り乱れる。吸殻を灰皿に強く押し付け、次を吸おうと胸ポケットを探るも、箱は空だった。いらいらしていると、清水がやってきて、黙って煙草を一つ渡してきた。
「どうした。そんないらいらして。生理前か」
「うるせえ。いろいろあんだよ、こっちには」
いつもの軽い調子でくる清水に無性に腹が立ち、つい声を荒げてしまった。静寂が場を支配する。気まずい空気を遮るように、清水が続ける。
「さっき見に来てたあの子がひっかかっているんだろうけど、他人の家のことまで考えられるような柄じゃないだろ、俺らは」
「気づいてたのかよ」
「あの見た目だからな。それにあの子、一回も笑ってなかったしな」
そういって紫煙を見つめる目は、どこかもの寂しげであった。
「ほんとにDV受けているとしたら、俺らのネタで笑えるわけないもんな」
あの子がまた来てくれるとは限らない。それでも、今変えなければ一生変われないという直感が小林を突き動かす。
「なあ清水。俺あの子を笑わせたい。だから、午後やるネタ変えてもいいか」
「変えるって言ったって、どこを変えるんだ」
「全部変えようと思う」
「正気か。あと二時間もないんだぞ」
「ああ、わかってる。でも、どうしてもやりたいんだ。この柄悪い服も変えよう。そこの服屋でジャケット買ってきて、髪もオールバックにしよう」
「そのなりで爺さん婆さん相手にしたら勧誘じゃねえか」
「じゃあオールバックはなし。あと、そういう偏見発言ももうなしな」
思わず吹き出す二人。まるで、若手に戻ったころのようにアイデアが次々と浮かんでくる。芸歴を重ねていくうちに
時間はあっという間に過ぎ、出番がやってくる。駆け込みで買ったジャケットは若干サイズがずれていて、そのみっともなささえも笑えてくる。
観客十数人の大舞台が幕を開ける。狙いをすましたつかみの下ネタで、少女がくすりと笑う。プライドなしの安直な手だが、その一手が、何よりも欲しかった少女の笑顔を掴み取る。即興ということもあって全体としてはややうけ。しかし、初陣を終えた新生「ステゴロ」の目は輝いていた。
アウトローな見た目と悪態漫才という武器を捨て、ステゴロで挑む二人がテレビを席巻するのは、まだ先のことであった。
(了)