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第33回「小説でもどうぞ」佳作 母の判断 あらさ

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第33回結果発表
課 題

不適切

※応募数275編
母の判断 
あらさ

 私の母は御歳八十四歳になるが、幸いにも丈夫で一人暮らしをしている。
 たまに大学生の孫娘の有美が様子を見にきてくれるのを楽しみの一つとしている。
 私も仕事の合間に顔を出すようにはしているものの、車で片道一時間を捻出するのは難しい。畑を作っていて楽しそうな母は、電話をしても「なーんもなんも」と余裕の対応だ。
 物忘れが目立つのが玉にきずな今日この頃ではある。特に人の名前はまず思い出せない。
 それなのに有美が手伝いに行くとむしろ世話をされているのは有美の方で、夕食をご馳走になったり、お風呂に入れてもらったり、果ては泊めてもらったりと、有美は何をしに行ったのだかわからない状態になる。
 畑で採れた無農薬野菜で作る素朴な料理と温かいもてなしは、有美の心を芯から癒やす。父はもう亡くなって十年になるが、当時はひどく寂しがっていた母も、今はすっかり吹っ切れて溌剌はつらつ としている。
 父がもしも今も元気ならば、二人で悠々自適な生活を送っていたのだろうかとふと考えることもある。
 そんなある朝、有美から電話がかかってきた。
「お母さん! 大変、おばあちゃんが嘔吐した!」
「え? いつ?」
「今!」
「どのくらい?」
「わからない。でも結構な量……」
「顔色は?」
「わからない」
 いくつか質問する。有美の電話からは動転している様子はよく伝わってくるものの、要領がつかめない。
「分かった。すぐに行く」
 私はすぐに勤務先に電話を入れ、有休をとった。
 急いで車に乗り込み、エンジンをかける。アクセルを踏み込み気味に車を走らせる。嘔吐ってことは何かおかしなものを食べた?
 でも無農薬野菜と近くの市場に来るお魚が中心の食生活のはず。変わったものなど口にしないと思うのだけれど。
 赤信号で止まるたびに有美に電話をするが、繋がらない。
 その時、メールが届いた。もちろん有美からだった。
「嘔吐は落ち着いたよ。おばあちゃんと近くの外科に来ている」
 え? 外科? 嘔吐で?
 おかしいでしょ?
 やっぱり母は認知症が進んでいるのだ。普通の判断とは思えない。内科も外科も分からなくなってしまっているなんて。
 かかりつけ医って内科だったんじゃない?
 赤信号ですぐにメールを折り返す。
「嘔吐なら内科よ。内科!」
「でもおばあちゃんがどうしても外科に行くって」
 内科を薦めているのに敢えて外科を選ぶ?
 やっぱり呆けてる。間違いない。
 ああ、おかあさんたら。
 これからのことを考えなくっちゃ。
 今までのように田舎で一人暮らしは危ないんじゃないの? 誰かが母の家に行って母と同居しなくては。
 いやいや、それは無理。私も主人も仕事や生活がある。頼れる親戚もいないし。
 できるとすれば有美だけど、有美はもうすぐ卒業、そして就職だから今のアパートは解約するし。それなら我が家に母を引き取るとか。
 いやいや素直に街に出てくる母じゃない。
 頭の中で将来への不安がムクムクと煙のように膨らむ。
 頭を振って不安を追い出す。
 今はそれどころじゃない。まずは目の前の母の嘔吐よね。母の容態の方が先よ。
 私は高速道路に乗って母のところに向かうことにした。
 少しでも早く着かなければ。
 それなのにしつこいくらいに母が認知症になった場合の生活が頭をよぎる。
 ついに来てしまったか認知症。母も高齢だから仕方がないと言えば仕方がないのだけど。
 やっと車は駐車場に着いた。私は急いで車を降り、外科の医院の診察室に飛び込んでいた。
「お母さん! 嘔吐は内科! 胃腸風邪か食中毒かよ!」
 駆け込んだ私が見たのは、肩に湿布を貼ってもらっている母だった。外科医が落ち着いた表情で私に微笑んだ。
「いえいえ、外科であっていますよ」
「え?」
 その場で固まってしまったのは私の方だった。
「これは肩こりからくる嘔吐であり、整形外科で合っているのですよ」
「整形外科……ですか」
「お母様の判断は正解ですよ」
 そうかそういうことか。
 私は胸を撫で下ろした。
 認知症だなんて私の早合点だった。
 ああ、よかった。
 そんな私を見ながら母が微笑んだ。
「えーと、顔は分かるんじゃが……どちら様でいらしたかのう?」
(了)