公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第33回「小説でもどうぞ」選外佳作 あやめさん 若林明良

タグ
小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第33回結果発表
課 題

不適切

※応募数275編
選外佳作 

あやめさん 
若林明良

 田所信之は郵便仕分けが楽しくて仕方ない。あやめさんの葉書きに会いたいからだ。
 地元の郵便局に入り、研修中の四月、あやめさんの葉書きに出会った。MHKの短歌テキスト宛ての投稿葉書だ。
「真はだかの体躯に耳を捺しあてて冬の桜のいのちを聴かむ」
 その左横に「あやめ」との名前がある。住所は町内のここから車で十分ほどの距離だ。電話は携帯番号。年齢の記載はない。
 細く流麗な文字。すべての行が、定規で引いたようにまっすぐだ。美しい。
 仕分け中はもちろん、裏の私的な文面を読んではならない。もっとも、時間に追われて文面を読む余裕なんかないのだ。だが、あやめさんの字が他の郵便物に比してあまりにも美しいので、驚きのあまり信之は手を止めて短歌をまじまじと読んでしまった。
 あやめさん。どんな人なんだろう。こんな綺麗な字だ。きっと、綺麗な人に違いない。
 あやめさんの葉書きは週に四、五枚の頻度で見つけた。いずれもMHKの短歌テキスト宛てだ。内容から、季節の移ろいを細やかにすくいとり、仕事にいそしむ若い女性を彷彿とさせる。
 信之は駅前の書店でテキストを開いた。あやめさんの歌はほぼ毎月掲載されていた。
「後輩のミスを伝ふる暇もなく業務終はりに発光したり」
 いいなあ。まじめに生きている人のささやかな、でも凛とした息づかいが聴こえてきそうで。後輩を叱れなくて後になってくすぶっている。優しい女性なのだ。
 信之はテキストを買い、見よう見まねで歌を作って出してみた。ビギナーズラックというのか、なんとそれが佳作として掲載された。しかもあやめさんの歌の隣に。
「くちべにと四字を発音して淫らいつもより深き紅色をひく」
「口座初めて開設するという人の背中にそっとエールを送る」
 うわあ、どうしよう。あやめさんの隣に並んじゃった。あやめさんもきっと、僕の歌を読んでいるだろう。ヘタクソすぎて笑っているかもしれない。
 ううん、あやめさんはそんな女性じゃないよ。田所信之さん、今は下手だけどがんばれって、きっと応援してくれているだろう。きっと、僕の名前をおぼえてくれたに違いない。
 仕分けは二人体制なので、信之が目にする倍は出しているだろう。MHKテキストはネット投稿も受け付けているが、あやめさんはこうやって葉書きをしたためているのだ。旧仮名だし、文化を大事にする奥ゆかしい女性である。
 あやめって本当の名前かな。筆名としても、りん と立つ紫のあやめのように楚々そそとした女性に違いない。あるいは、オフィスで後輩を優しく指導する女性。いずれにしても、相当の美人だ。
 当然、恋人もいるだろう。口紅をプレセントするような人が。それは仕方ないけど、遠くから密やかに想いを募らせるのは自由ではないか。信之はあやめさんの葉書きに、いや、あやめさんに会いたくてたまらない。
 彼は考えた。もしかしたらあやめさんは、ゆうちょの口座を持っているかもしれない。住所と電話番号から端末で個人情報を割り出せる。だが、それは犯罪だ。至極まっとうに育ってきた信之にできるはずがない。
 不適切な行為と自覚しつつ、信之は何度か休みの日にあやめさんの住所に行った。小綺麗なメゾンである。該当の部屋番号のベランダに洗濯物が干されていることはなかったし、いつもカーテンが引かれている。
 あやめさんが出てこないかと、信之は電柱の影に隠れてしばらく張ったが、ドアが開くことはなかった。不審者として誰かに通報されたらまずい。メゾンに行くのはやめ、信之は郵便局の窓口に来る女性をつぶさに観察した。残念ながら直接差し出される郵便物にあやめさんの住所はなかった。
 葉書きを買いに来たこの白いワンピースの上品な女性があやめさんかも。だったらいいな。金を投げるように置いて応対中も電話を続けるこの女性は、絶対違うよね。
 秋の終わり。
「お客様相談センターから連絡がきた。葉書きを速達で出し直したいので、探してほしいそうだ。MHK短歌宛て、差出人の名前はあやめ……」
 あやめさんに対面できる僥倖ぎょうこう! 信之の心は張り裂けんばかりとなった。電光石火であやめさんの葉書きを探し出した。センターに伝え、あやめさんに連絡してもらう。
「早く業務を覚えたいので僕に任せて下さい!」
 応対しようとする局長を鼻息荒く押しのけ、葉書きを手にし、カウンターに立った。
 ああ、あやめさん。やっとあなたに会えます。そしたら僕は、僕はあなたに……。
「電話をしたあやめです」
 二十分後。信之の前に身分証明の運転免許証を差し出したのは大柄な男だった。百八十センチは越えているだろう。白髪交じりの頭に黒縁の眼鏡。その奥にひかえる小粒の目。免許証に「岡本孝雄」とある。
「えっ……」
「ああ、あやめというのは筆名でして」
 あやめさん、いや岡本が、恥ずかしそうにはにかんだ。生年月日から割り出すと、現在五十八歳だ。
「では、速達料金二六〇円になります……」
 岡本から硬貨を受け取ると、信之は震える手で葉書きに速達印を捺した。
「いやあ、探していただいてありがとうございます。配達日って昔に比べて延びたんですよね。今日出したら締切必着日に間に合わないことに気づきまして。はは、は」
 大袈裟げさに頭を掻いた。
「ではこちら、確かに速達で出しておきますね……」
「よろしくお願いしますね」
 安堵の笑みをたたえながら、岡本が大股で郵便局を出ていった。民家に沈みゆく晩秋の日が信之の目を焼いた。
(了)