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第43回「小説でもどうぞ」佳作 魔女の軟膏 川瀬えいみ

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小説でもどうぞ
第43回結果発表
課 題

依存

※応募数367編
魔女の軟膏 
川瀬えいみ

 俗に「年寄りっ子は三文安い」という。祖父母に甘やかされて育った子どもは人間的価値が低いという意味だ。だからこそ、私と妻は、息子夫婦の忘れ形見である徹を甘やかすことなく育てたつもりだ。その甲斐あって、徹はどこに出しても恥ずかしくない自慢の孫に育ってくれた。成績優秀、品行方正、自立心も並み以上。大学卒業後には、私が経営する会社に入社することをよしとせず、学友と組んで起業したほどだ。
 その自慢の孫が最近、家柄人柄共に申し分のない美人の婚約者を放っぽって、四十路女に入れあげているとか。孫の婚約者から相談された時には、私は耳を疑ったぞ。

 問題の女の名は佐野蕗子。四十五歳。時間単位で家事代行を請け負う仕事をしている個人事業主。
 写真を見る限り、容姿は十人並み。他に誇れるほどの学歴もなく、コミュニケーション能力が高いわけでもなさそうだ。家事代行業務の内容やレベルにも、同業他社に比べて際立っている点はなく、ごく平凡。
 平凡でないのは、彼女の顧客たちだ。
 東証一部上場企業のCEOや役員、政治家、学者、大物俳優。すべて功成り名遂げた成功者ばかり。年代はばらばらで、共通点は彼らが幸福な家庭に育っていないことくらい。両親が離婚あるいは死別し、不遇の中、反骨精神やハングリー精神で成り上がってきた立志伝中の男たちばかりだ。色仕掛けに引っかかるような頓馬とんまではない。
 そもそも写真を何度見返しても、佐野蕗子は本当にごく普通のおばさんなんだ。そして、孫の徹は心変わりしたのではないようだった。ただ週に一度は佐野蕗子に会わずにいられないらしく、予約がいっぱいで仕事を頼めない時には、手土産を持って彼女の事務所に通っているのだとか。
 私は、最初に、薬物やギャンブルへの依存を疑った。依存性のある何かを提供されて、孫は彼女から離れられなくなっているのではないかと。
 しかし、興信所の探偵は、その可能性はないと断言した。だとすればなおさら、佐野蕗子という女は不気味な魔女である。私は、佐野蕗子がどんな女なのか、じかに確かめてみることにした。

「孫があなたに執着する様を見て、孫の婚約者が疑心暗鬼に陥っている。申し訳ないが、孫との接触を断ってもらえないだろうか」
 じかに対面しても、私は魔女に何も感じなかった。好意も嫌悪感も。彼女がどんな力を用いて孫の心を捉えたのか、謎は深まるばかりだ。やはり薬物だろうか。魔女は空飛ぶ軟膏を用いると聞く。
「お孫さんの生活や将来を危うくすることは、私の本意ではありません。わかりました。宮下様はよいお客様だったのですが、契約を打ち切りましょう」
 魔女は、こちらが拍子抜けするほどあっさりと、私の要望を聞き入れてくれた。交換条件の一つも持ち出すことなく。
 実際、それからすぐに、徹は憑き物が落ちたように魔女の事務所訪問をやめてしまったんだ。それこそまるで突然魔法が解けたように。
 私は、再度、魔女のもとを訪ねずにはいられなかった。

「昨年亡くなった徹さんのお祖母様――あなたの奥様は素晴らしい方だったのでしょう。ご両親を亡くした徹さんを、実の母以上の愛で導き育てた……」
 魔法が解けた理由を確かめにいった私に、魔女はごく平凡な笑みを浮かべて、そう言った。彼女の推察は当たっている。
「薬物依存なんて、とんでもありません。私のお客様が私に特別な好意を示してくださるのは、匂いのせいなんです」
「匂い?」
 どういうことだ? 私の鼻は何も感じていないぞ。私は彼女の説明に得心できず、眉をひそめた。
 魔女が、静かに頷く。
「私は、筋肉を緊張させることで、意識的に体温を上げることができるんです。体温が平熱を超えると、ある匂いを生む。いわゆる老人臭といわれるものなのだと思うんですが、それと私個人の体臭が混じると、いわゆる“懐かしいおばあちゃんの匂い”になるようなんです」
 人によっては不快な臭いかもしれない。しかし、いわゆるおばあちゃん子だった者たちには、この上なく懐かしく慕わしい芳香に感じられるそれ。
「なぜ多くの方々が私のように平凡な女に格別の好意を寄せてくださるのか、ずっと不思議だったんですが、そうと気付いてからは、問題にならない程度に仕事に利用させてもらっています」と、魔女は言った。「自分を守り育ててくれた人への信頼や安心感は、それほど強いものなんですね」と。
 匂いの魔力を消すには、きつめの香水をつけて接すればいいのだという。
「いや、妻にはそんな匂いなど……あなたからもそんな匂いは……」
「子どもの鼻で嗅ぐのでなければ駄目らしいんです。そして、その記憶を大人になっても持ち続けている人でなければ、私の魔法は効かない」
「疑うわけではないんだが……どんな匂いですか」
「ちょっと待ってください」
 彼女は、私の求めに応じて、肩に力を込め、体を緊張させた。魔女の頬に血の気がさす。次の瞬間、ふわりと、その匂いが私の鼻孔をくすぐった。
 おばあちゃんの匂い。
 亡き妻がこんな匂いを漂わせていたかと問われれば、「憶えていない」としか答えられない。それでも、彼女に惹かれた孫の気持ちが、私には痛いほどわかったんだ。
「佐野さん。孫の代わりに、ぜひ私と契約してください」
 孫同様、私も筋金入りのおばあちゃん子だったから。
(了)