第43回「小説でもどうぞ」佳作 自殺依存症 草浦ショウ


第43回結果発表
課 題
依存
※応募数367編

草浦ショウ
二〇二五年二月十六日。
田中浩一は気球に乗っていた。
眺望をしばし堪能してから、彼はバスケットから身を乗り出し、躊躇なく飛び降りた。
地面に叩きつけられるまでの僅かな時間、形容し難い快感が全身を満たした。
次の瞬間、目を覚ますと、自室のベッドの中にいた。
二〇二五年二月十六日午前六時七分。
どんな一日を過ごしても、必ずこの時刻、この場所に戻ってくる。
二〇二五年二月十六日という同じ一日が何度も繰り返されるようになってから、今回で237回目となる。
ループ現象を認識したばかりの頃、彼は彼なりに解決策を探った。しかし、これといった糸口すら見つからず、10回ほど繰り返したあたりで全てがどうでも良くなり、完全に諦めてしまった。
そのあとは、積んでいた本を読んでみたり、ひたすら対戦ゲームをプレイしたり、配信されている映画やドラマを観まくったりした。
しかし、60回ほど繰り返すと完全に飽きてしまった。どうやら自分は、本やゲームや映画さえあれば生きていけるようなサブカル人間ではなかったようだ。
そう認めると、次はピアノの練習を始めた。
同じ一日を繰り返そうと、記憶は引き継がれる。つまり、他人から見るとたった一日で、プロ並みに上達することだって不可能ではないと気づいたのだ。幸い、数年前に勢いで買ったが三日で投げ出したキーボードが押し入れの隅で埃を被っていた。
しかし、田中浩一は彼が自認している以上にものぐさな男だった。
今回は三日坊主こそ回避したものの、結局15回程度で辞めてしまった。練習中、一度も楽しいと思えなかったにしては続いた方だと自分に言い訳しながらも、彼は途方に暮れ始めていた。
このループはいつまで続くのだろうか。
通算100回目の二〇二五年二月十六日を迎えた頃には、完全に暇を持て余していた。
頭が変になりそうだった。
123回目。見ず知らずの他人を殴ってみた。どうせなかったことになるのだから、むちゃくちゃなことをして楽しんでやろうと思ったのだ。しかし楽しむどころか、しばらくの間、罪悪感に苛まれてしまった。なかったことになるとはいえ、記憶には人を殴った瞬間の嫌な感触が残り続ける。どうやら自分は、加虐に快感を覚えるような人間ではなかったようだ。
罪悪感と絶望感に耐えられなくなった彼は、衝動的に電車に飛びこんだ。
記憶には嫌な感触が残ってしまうと実感したばかりだというのに。もはや正常な判断力を失っていたのだろう。
しかし、この行動が彼の「生きがい」が見つかるキッカケとなった。
起点のベッドに戻った瞬間、脳内は快感と充足感で満ちていた。
自ら死へ向かうことへの恐怖が快感に変わる、その瞬間がたまらなかった。
普通は一度しか体験できない「死ぬ瞬間」を、自分は何度でも味わえるのだ。
その日から彼は、様々な自殺方法を試した。
ビルの屋上からの飛び降り、首吊り、焼死、トラックへの飛び込み……。
痛過ぎて快感からはほど遠い死に方も多かったため、徐々に「一瞬で死ねる」死に方を模索するようになった。
その模索も含めて楽しかった。
生きているという実感を、生まれて初めて味わえた気がした。
趣味に人生を捧げる人たちの気持ちが理解できた。
しかし、283回目の二〇二五年二月十六日。自殺に依存する日々は唐突に終わりを迎える。
その日は、スカイダイビング中に飛び降りてみようと、レンタカーを借り、とある地方に出向いた。
昼食を食べるために寄ったショッピングモール内で、小規模なライブが開催されていた。
三十分後。彼は号泣していた。
拙くとも一生懸命に歌い踊る彼女たちの姿に、明日に向かって進もうと応援してくる歌詞に、猛烈に感動していた。
スカイダイビングのことも忘れ、その場でグッズを買い漁り、帰りの車内で、配信されていた最新アルバムを何度も繰り返し聴いた。
帰宅後は動画配信サイトで彼女たちの映像を流しながら、情報をネットで読み漁り、知識を深めた。こんなに心が躍っているのは人生で初めてだった。これこそが「生きているという実感」だと今度こそ確信した。
ループにより、購入したグッズはもちろん消えてしまったが、そんな当たり前のことにすら気づかないほど熱中していた彼は、心の底からループ現象を呪った。これも初めてのことだった。
ループが続く限り、彼女たちの活動を追うことができない。新曲を聴くことや新たなライブを観ることも叶わない。そんなこと許せない。絶対に嫌だ。頼むから、俺を、彼女たちを明日に向かわせてくれ!――そう、強く願いながら眠りに着いた。
目覚めると、外は土砂降りだった。雨を見たのは随分久しぶりな気がする。
慌ててスマホを覗くと、二〇二五年二月十七日と表示されていた。
数週間後。
田中浩一はとあるライブ会場に向かうため、駅のホームに立っていた。
もちろん、彼女たちのライブに参加するためだ。
彼の心は満たされていた。もう自殺なんかに惹かれることはない。
彼女たちのお陰で、まともな日常を取り戻すことができたのだ。
しかし、依存というものは恐ろしい。
電車が近づいてきた瞬間、まるで習慣のように、気づくと足を踏み出していた。
警笛がホームに鳴り響く。
懐かしくも安っぽい快感が全身を巡る。
ああ、早く彼女たちに会いたい。
永遠の闇が訪れた。
(了)